冬 - 青色薔薇の咲く街で
青色薔薇の咲く街で(1)
【一〇六五年 終の月 十九日】
お邪魔してまっす、早くも来期残留が確定した学園のヌシっす!
ついに聖ライラ祭が始まりましたが、今年も我ら演劇部は祭の最終日、聖ライラの日に魔王城址で劇を開催いたします! 今年はフェーダ・シュリュッセルの『銀翼の魔王』も踏まえた完全新作劇をお送りいたしますので、お暇でしたら是非見に来てください! 俺も卒業生枠でこっそり参加しとるんで。
ではでは、航空部の皆さんに幸せの色が咲きますように!
――ヌシ
何しに来たかと思えば、宣伝しに来ただけかあの演劇仮面!
あと、奴は何年留年すれば気が済むんだ!
――セイル・フレイザー
フー、それはヌシだから仕方ない。
ここからは業務連絡。
本日から冬休みだが、帰省する者は祭の期間中に日誌にその旨を書いておいてほしい。こちらも、それに合わせて活動内容を決定する。
また、聖ライラ祭中は航空部の活動は行わないつもりなので、一年に一度の祭を楽しんで欲しい。ちなみに、部室は俺かフーが開けておくつもりだ。もし俺もフーもいなければ、合鍵はいつもの場所にあるためそれを使って欲しい。
また、暇ならヌシたちの劇も見に行くといいと思う。今年は俺も見に行くつもりだ。
それでは、皆に幸せの色が咲くように。
――ノーグ・カーティス
(リベル上級学校航空部日誌 一冊目より抜粋)
――一〇七九年、終の月
花火が弾け、冬の青空に色煙を咲かせる。
窓の外にたなびくのは色とりどりの飾り布。海のように青い色を湛えた薔薇が、屋根に、壁に、柱に咲き乱れ、青い花びらが風に舞い踊る。行き交う人々の笑い声と愉快な音楽、花火の音を聞きながら、すっかり色を変えてしまった町並みから目が離せない。
「ブルー」
今日は、聖ライラの日。楽園でも最大規模といわれる学園都市リベルの祝祭、聖ライラ祭最後の日。
聖ライラ祭――それは、女神ユーリスに選ばれた聖女ライラが、楽園全土を侵略しようとした魔王イリヤを打ち倒したことを記念して、年の末に行われる一週間の祭だ。そして、聖女と魔王の最後の戦いが数百年前の今日、この学園都市リベルの外れにある、魔王城跡で繰り広げられたのだと言われている。
少し、視線を町並みの奥に向ければ、数百年の時を経ても黒々と聳え立つ魔王城址が見て取れる。普段は立ち入り禁止だと言われ、町の役所から派遣される警備の兵たちが目を光らせているけれど、これも祭の最終日である今日だけは開放されるんだ、と部長が教えてくれたことを思い出す。
「ブルー」
生まれて初めて、リベルで迎える聖ライラ祭。楽園に生きる誰もが一度は参加したいと望むこの祭を、楽しみにしてなかったと言ったら嘘だ。狭い故郷を飛び出してライブラに渡り、ここリベル上級学校に入学した時から、友達と連れ立って年の終わりの祭を思いっきり楽しもうと決めていたのだ。
なのに、どうして。
「ブルー、聞こえてんだろ?」
「聞こえてません」
「聞こえてんじゃねえかよ!」
どうして、今、部長と二人で狭苦しい病室にいるのだろう。
もちろん原因はわかりきっている、ただ現実からちょっとだけ逃れたいだけなんだ。部長が逃れさせてくれるはずもなかったけど。
「部長、やっぱり無理なものは無理なんですよ。方向性を変えてかからないと、延々と病院送りです」
「でも、図面上は問題ないってブルーも請け負ったじゃねえかよー」
「それは申し訳ありません、こちらの勉強不足でした。しかし、確認も無しにいきなり実験飛空なんて、やっぱり自殺行為だとしか思えません」
「だって、前夜には間に合わせたかっただろ!」
そう、それは自分だって否定しない。否定できないからこそ、この現実から逃れたくなってしまうのではないか。
――自作滑空艇の飛空実験を、聖ライラの日前夜に行うことは出来ないか。
そう提案したのはもちろん部長だった。部員がたったの二人という航空部の宣伝のためにも、誰もが目を留めてくれる前夜祭の空に船を飛ばす。無茶で無謀ではあるが魅力的な提案に、まんまとのせられてしまったことが悔しい。
そうして終の月に入ってからは授業のほとんどを放棄して、冬休み頭からの聖ライラ祭の喧騒にも背を向けて、寮で寝る間も惜しんで部室と作業場を行き来していたのが昨日までの話。
ぎりぎり何とか形になった船に部長が華やかに輝く魔法を施し、花飾りの灯りに包まれた町を見渡せる、町外れの丘で実験飛空を敢行して……結果としては、見ての通りである。
「飛ぶと思ったんだけどなあ」
「そう簡単に飛ぶなら、シェルだってそんな苦労する必要なかったと思いますが」
差し入れの旧レクス名物揚げ魚のパン挟みをもぐもぐしつつ頬を膨らませる部長は、大げさに固定された足を天井から吊り、片腕も包帯でぐるぐる巻きにされている。全治二週間、絶対安静の骨折だ。
こんな怪我、魔法でちょちょいと誤魔化しちゃえばどうってことない、と主張する部長に対し、魔法で傷は治せても、骨をきちんと接ぐにはそれなりの時間がかかるんだよ、と医者が子供に噛んで含めるように聞かせていたのを思い出す。
その時、部長はじっと虚空を見つめていたから、きっとどうして羽が折れて自分が墜ちなきゃならなかったのか、一心不乱に考えていたに違いない。要するに、医者の話なんかさっぱり聞いていなかったはずだ。いつものことだが、頭が痛い。
それ以上に頭が痛いのは、知らなかった自分も悪いのだが、部長が学校と町の許可も得ずに実験飛空を強行してしまったことだ。
昨日は病院送りになった部長の代わりに顧問のエルルシア先生に二人分の説教をいただき、この冬休みが終われば上から呼び出しがかかることはまず間違いない。
……今度こそ、廃部を覚悟しなければ、いけないかもしれない。
そんな悲観的な状態だというのに、部長はいたってのん気なもので、ぺろりとソースのついた指を舐めて、窓の外を見やる。
「いやあ、盛り上がってんなあ」
祭の光景を映す部長の真っ黒な目が、きらきら輝いている。一つ年上のくせに子供みたいな顔をしている部長は、やっぱり子供みたいに祭の光景に見とれていた。
部長にとっては六回目の聖ライラ祭だが、皆が騒いでいれば一緒に楽しくなってしまうのが部長だ。今年はまともに町を巡れていないのだから、なおさらかもしれないけれど……
思いながらほとんど冷めてしまった茶をちびちび飲んでいると、不意に部長がこちらを振り向いた。そりゃあもう、満面の笑みで。
「なあ、ブルー!」
「安静にしていてくださいね、部長」
だからこちらも笑顔で、部長の言葉をぶった切ろうと試みる。
次に言われることなんてわかっているんだから、ここで切っておかないと嘘だ。
けれど、この部長にそんな遠まわしの否定なんて無意味だということも、わかっていないといけなかった。いいや、実はとっくにわかってたんだ、ただ、ちょっとだけ。ちょっとだけ、夢見てしまっただけなんだ。
かくして部長は白い歯を輝かせて、爽やかに言った。
「祭、見に行こうぜ!」
「……人の話を聞いてください。後生ですから」
「絶対安静なんて俺には無理だもん。だーいじょうぶだって、きっと祭の素敵空気に当たれば骨なんて簡単に繋がるって、な?」
――な? じゃねえよ。
思わず先輩への敬意を忘れかけるけれど何とか堪えて、めちゃくちゃなことを言う部長を睨む。眼鏡越しの眼力が何処まで部長に届くかもわからなかったし……眼鏡がなくとも、多分、この人には届かないとは思っているけれど。
「いいですか、部長。この前もそう言って抜け出して、また病院送りになったじゃないですか。たかが二週間です、大人しく横になっていてください」
「されど二週間だろ。祭どころか年越しだって終わっちまう。それに、ブルーだって祭見に行きてえだろ?」
「そりゃあ行きたいですよ。けど部長を連れて行く理由がありません」
「一人よりは二人の方が楽しいって、絶対! な、だから頼む!」
何が「だから」なのかさっぱりわからないのだけれども、両手を合わせて深く頭を下げる部長はどこまでも本気だ。そもそもこの部長、言っていることはめちゃくちゃではあるが、いつだってそのどれもが本気なのだから性質が悪い。
しかし、いくら本気だからといって、頷く理由にはならない。ここで頷けばこっちも同罪だ、ただでさえ「どうしてお前がついていながら空部を止められなかったんだ」と怒られてばかりなのだから、簡単に頷いてやるわけにはいかない。いかないのだ。
そうして、しばしの沈黙が流れ……
頭を下げっぱなしだった部長がばっと顔を上げて、ひたとこちらを見すえてきた。
黒い、黒い、吸い込まれそうな色の瞳には微かに涙すら浮かんでいる。そんなに祭に行きたいのかよ、と思いかけたその時、部長は言った。
「手伝ってくれねえと、春のことモニカせんせに」
「わかりました、行きましょう」
……くそっ、結局こうなるんだとは思ってたけどさ!
どうして部長に弱みを握られてしまったのか、と頭を抱えたくなる。実際に抱えている。しかし、抱えたところで時間は巻き戻るものでもなし。ここはもう、覚悟を決めるしかなさそうだ。
どうせ、今回はいくら怒られたところで最終的に痛い思いをするのも部長の方であって、こちらではないのだから。
部長は「ひゃっほーい」とベッドの上で踊りあがろうとして、すぐに痛みに呻きながら丸くなる。そんな体で本当に行く気なのだろうか、と思うが……一度こうと決めたら絶対に譲らないのが部長。
何だか妙に肩が重たくなるのを感じながら、部長に問う。
「それで、どうやって抜け出すんです? さっき廊下通った時、すごいこの部屋警戒されてましたよ」
「ははは、そりゃあ決まってるじゃねえか」
部長はけたけた笑いながら……窓を、指差した。
ちょっと、待て。
「って、何言ってるんですか、ここ三階ですよ!」
「だからお前にお願いしてるんだって、ブルー。お前にしか頼めねえのよ、これ」
何処までも部長はあっけらかんとしたものだ。そりゃあ普通の人には無理に決まっている。
魔法で落下時の衝撃は軽減出来る、と部長は常々言うし実践してもみせるけれど、落下速度そのものが落とせるわけではなく、いくら軽減したところでかなりの衝撃に見舞われることはこの一年足らずで散々味わったからわかる。
要するに、いくら魔法が得意とはいえ怪我をしている部長が一人で飛び降りることのできる高さでは、ない。
――ってなわけで、頼んだ。
部長は笑顔でぽんと肩を叩いてくる。
全く、のん気なものだ。こっちはこっちで、それなりに緊張するし痛みが無いわけではないのだけれど。ただ、部長一人で勝手に抜け出されるよりはずっとマシだと思うことにする。
部長の足を吊っている布を外し、持ってきたジャケットを着せてから小さな体を丸太みたいに担ぐ。腕の中で足の痛みに体をよじらせてもがいているのがわかるけれど、とりあえず無視。自業自得ってやつだ。
しばらくうーうー唸って暴れていた部長だったが、やがてぴたりと動きを止めた。耳元で呪文らしき言葉が聞こえたから、多分、痛み止めを投入したのだろう。悔しいけれど、魔法って本当に便利だ。
背中側に頭を垂らした部長は、大人しく担がれてくれるものかと思ったが、不意にぱたぱたと足を揺らして言った。
「あ、杖、杖取って」
「はいはい」
机の上の杖だけ拾い上げて、手に持たせてやる。手から肘までの長さに足りるか足りないかの、真っ直ぐな樫の杖だ。持ち手に当たる部分には、部長が自分で取り付けたらしい羽飾りが揺れているが、それ以外に装飾らしい装飾もない、とてもシンプルなつくりをしている。とても、部長らしい杖だと思う。
他には何か持っていくものはないのか、と問うてもみたけれど、そもそも部長の財布はこちらが握っている。それだけあれば、別に何も困ることはないはずだ。部長が「だいじょーぶ」と頷いたのを確認して、窓に相対する。
全く、本当に、人使いの荒い先輩だ。
思いながらも、ちょっとだけ唇が緩んでしまうのは、きっと窓の外から見える祭の空気に当てられたからだ。そうだということにしておこう。
窓を開いて、窓枠に足をかけて。
冷たい風に揺れる前髪を、ちょいちょいと片手で整えて。
「行きますよ、部長」
「了解だ」
花火が上がる。煙の花が咲く。
その音に合わせて、窓枠を蹴った。
ふわりと体が浮き上がり、内臓がぐうっと持ち上げられるような感覚。
そして、落下。
地面をレンズ越しに見据えて、全身のばねを意識する。やけにゆっくりと感じられる落下速度に合わせて、体を曲げて……着地する。膝を追って着地の瞬間の衝撃を逃がし、腕で部長への負担の緩和を試みる。
「大丈夫ですか?」
念のため部長に確認してみると、部長はてちてち杖でこちらの背中を叩きながら言った。
「平気平気。相変わらずもの凄えな、あの高さから普通に飛び降りれんだから」
「やれって言ったのはそっちじゃないですか……」
「褒めてんだぜ?」
嬉しくない。しかも、人を担いだまま飛び降りるなんて馬鹿なことをしたせいで、人が集まってきているし。これはまた、変な噂になるんだろうなあ、とちょっとだけ遠い目をしたくなる。
もちろん、病室の窓からは部長が逃げ出したことに気づいたんだろう、看護婦さんが頭を出して青い顔をしている。このまま留まっていては即座に捕まってしまいかねない。
「とりあえず……」
「とっとと逃げるぜ!」
「逃げるのはこっちですから!」
言い合いながらも、とにかく祭の喧騒の中に飛び込む。
人の波にもみくちゃにされながら、担いだ部長の足と腕を庇いつつ歩くのはなかなか難しいものがある。それでも、このものすごい数の人が、普通なら悪目立ちするばかりの自分と部長を隠してくれるのはありがたい。こっちを見る人があっても、祭の余興か何かかと思ってくれているのか、そんなに不審がられてはいないようだった。
「部長、誰か追ってきてますか?」
担がれたままこちらの背中側に頭を向けている部長は、少しだけ体を起こして後方を確認して……それから何だか急にじたばたし始めた。
「ブルー、止まれ、止まれ!」
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