第4話 美しいシルグリーデ姫
むかしむかし、ある国に、シルグリーデ姫という、たいそう美しいお姫様がおりました。
その姿の美しいことといったら、姫の姿を一目見た後ではお城の庭園に咲いている一番あでやかな花でさえまるっきり色あせて見えるほど、その声の愛らしいことといったら、お城の庭園に放してある一番きれいな声の小鳥でさえ自分の声が恥ずかしくなって歌うのをやめてしまうほどでした。
また、このお姫様は、美しいだけでなくたいそう頭が良く、姫が十二の時には、お城の博士たちの誰もが『もうこれ以上姫に教えて差し上げられることは何もない』と言ったほどでしたし、その上、剣の腕まで立ち、姫が十三の時には、お城の剣士たちで姫と試合をして勝てるものは誰もいなくなってしまったほどでした。それに、シルグリーデ姫は、とても大きな、豊かな国のお姫様でしたから、とてもお金持ちでもあったのです。
そんなシルグリーデ姫は、いつのころからか、自分より美しく、自分より物知りで、自分より剣の腕が立ち、その上自分よりお金持ちの人とでなければ結婚したくないと思うようになりました。
さて、シルグリーデ姫が年頃になると、あちこちの国から、王子たちが求婚にやってきました。
王子たちはみな、姫を一目見るなり、聞きしにまさるその美しさに夢中になり、心から姫に恋いこがれて、熱心に求婚しました。
けれども姫は、その求婚を、かたはしから断わってしまいました。
なぜなら、ある王子は美しかったけれど頭が悪そうでしたし、ある王子は頭は良かったけれど身体が弱く、ある王子は強かったけれどとても小さな貧しい国の王子で、またある王子はお金持ちだけれどひどくみにくかったという具合だったのです。
王子たちはみな、たいそうがっかりして、とぼとぼと自分の国に帰って行きました。
それでも姫のところに求婚に来るものはあとをたちませんでした。
美しいシルグリーデ姫のうわさはますます広まり、世界中の王や王子、貴族や富豪たちが次々と姫のもとを訪れては、うなだれて帰って行きました。
そしてとうとう、姫の評判は、世界の果てのイルシエル山脈に住む魔物のもとにまで届きました。魔法の鏡で姫の姿を映し見た魔物は、ひとめで姫に恋をしました。
魔物は、そうしようと思えば、空を飛んで姫をさらって行くこともできたし、魔物である正体を妖術で偽って姫に近づくことも、姫に自分を愛させるようなよこしまな術をかけることもできました。けれども魔物はそういうことを何ひとつせず、魔物の姿のまま、贈り物をたずさえて、きちんと求婚に出向きました。魔物は、それほど本当に姫を恋してしまっていたのです。
この魔物は、魔物ではあっても、なかなか見目のよい男の姿をした魔物でしたし、妖術を使って世界中の知識と力を手に入れていましたし、イルシエル山脈のてっぺんにある洞窟の住まいには、金銀財宝も山のように持っていました。
けれどもやはり魔物は魔物で、頭には二本の角を、背中には大きな黒い翼を生やしていましたから、姫はもちろん、求婚を断わりました。
魔物は深く傷つき、憤りました。そうして腹いせに、邪悪な妖術で姫をてのひらに乗るほど小さくして美しい雪花石膏の小箱に閉じ込めると、大きな黒い鳥の姿になって、その鈎爪で小箱をつかみ、お城の窓から飛んで行ってしまいました。
魔物は、小箱に閉じ込めた姫に、自分以外の誰でもその蓋を最初に開けたものに恋をしてしまうという呪いをかけ、姫がどんなに愛しても応えてはくれないような、そういう男に蓋を開けさせようと企みました。
そこで魔物は手始めに、手近な村に舞い降りてシルグリーデ姫の姿に化け、村の若者のひとりを誘惑してみました。若者には恋人がおりましたが、美しいシルグリーデ姫にやさしくささやきかけられると、たちまち恋人を捨ててしまいました。
魔物はがっかりして、今度は、村で一番妻を愛していると言われる男を探し出し、また誘惑してみましたが、男は、やはり、妻を捨てました。
こうして魔物は、村から村、町から町を渡り歩いて、妻や恋人を深く愛していそうな男をかたはしから誘惑しましたが、魔物が化けたシルグリーデ姫の美しさに心を動かさないものは、ひとりもありませんでした。
魔物は、誘惑が成功してしまうと男たちを捨てて姿を消し、残された男たちは、あるものは失意を隠して何くわぬ顔で妻や恋人のもとに戻り、あるものは絶望のあまり自らの命を絶ちました。
魔物は、その様子を、箱の中の本物のシルグリーデ姫に、妖術で全部見せてやっていました。
姫は、自分の姿を借りた魔物が何人もの男たちを不幸に導くのを見てたいそう悲しみましたが、どうすることもできませんでした。
そのうち魔物は、とうとう、妻や恋人への愛のためにシルグリーデ姫の想いに応えないような男を探すのは諦めて、今度はどんな人間をも愛さないような男を探すことにし、まずは、あらゆる人間を嫌ってただひとりシルドーリンの山奥の洞窟にこもり、ぼろをまとってけもののような暮らしを送っている世捨て人のもとに行きました。
もう何年も誰とも会わずに暮らすうち、人間の言葉さえなかば忘れかけていた世捨て人は、魔物が化けたシルグリーデ姫が近付いて話しかけてもじろりとにらんだだけで何も言わず、後は、何を言っても、何をしても、まるっきり姿も見えていないかのように振る舞い、いつになっても、一言も口をきいてくれませんでした。
けれども、ある日とうとう、世捨て人は、いつものように食べ物を持って洞窟を訪ねたにせものの姫に初めて目を向け、たったひとこと、ぽつりと礼を言いました。
がっかりした魔物は、その男を見捨て、次に、ある山賊の根城に身を投じることにしました。その山賊の首領はたいへん残忍で乱暴で、じゃまなものは女も子供も平気で皆殺しにしてしまう、まるで人間らしい心を持たない男だと言われていたのです。
山賊の首領は、魔物が化けたシルグリーデ姫を品物のように扱い、どんなに尽くされてもやさしい言葉ひとつかけてやらずに、ひどく邪険にこき使いました。
そんな日々がずいぶん長く続き、この男こそ箱を開けさせるのにふさわしいのではないかと魔物が思い始めたころ、山賊の砦でいくさが起こり、首領は、流れ矢に当たりそうになったにせものの姫をかばって、心臓に矢を受けて死にました。
この様子を見て、箱の中の本物のシルグリーデ姫は、泣きました。初めて、自分のためにではなく、他の誰かのために涙を流しました。
そして、その夜、いつものように姫の様子を見ようと箱を覗いた魔物に、言いました。
「こんなふうに、何の関係もない人たちを私のために不幸にするのは、もう、止めて下さい。私はあなたの妻になります」
魔物は、むっつりと答えました。
「私はお前を妻にはしない。なぜなら、お前は、私を愛していない」
姫は、なおも言いました。
「あなたは妖術で私が誰かに恋するようにしむけることができるのだから、私があなたを愛するように、私に術をかけることもできるのでしょう。どうか、そうして下さい。そうすれば、私はあなたを愛せましょう」
けれど魔物は、ただ昏い目で姫を見て、何も言わずに小箱の蓋を閉めました。
それからも魔物は、姫への復讐のため、箱を開けさせるのにふさわしい男を探して、世界中を飛び回りました。
けれどもある日、魔物は、空の上から、姫の入った小箱を、誤って落としてしまいました。
小箱は、湖の底に落ちて、みつからなくなりました。
そのまま、何百年が経ちました。長い年月のあいだに、湖だったところは水が干上がって、深い森になりました。森の奥に隠された小箱の中で、呪われた不幸な姫は、歳も取らずに眠り続けました。
そうして、ある日、貧しいけれど心のきれいなきこりの若者が、小箱をみつけました。
若者は箱の蓋を開け、箱から出てきた姫は元の大きさに戻り、若者は姫に恋し、姫は若者に恋し、ふたりは結ばれました。
きこりの若者は、特別美しくもなかったし、貧しくて、読み書きさえできず、たくましくはあったけれどもその力は斧を振るい木をかつぐためのもので、剣など持ったこともありませんでした。
けれども姫は、魔物の呪いのためにではなく、心から若者を愛しました。
なぜなら、若者は、とてもやさしかったのです。
ふたりは、末永く、幸せに暮らしました。
──元<賢人会議>長老・イルファーラン国立研究所名誉研究員ユーリオン/イルファーラン国立上級学校教授フェルドリーン共著 『イルファーラン昔話集1』 (統一歴百九十五年発行)より。
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