選択の結末5
そこは古い工房だった。
数十年は経っているだろう。造りや意匠は昔の匂いを感じさせるし、外壁は全体的に色褪せ、すすけている。ところどころ塗装が剥がれており、表面だけなのか深い部分まで達しているのか、壁や柱にヒビが入っているのも見て取れた。
「……どうぞ、中へ」
ルネに先導され、ギイは門扉をくぐり庭へ足を踏み入れる。芝生は丁寧に整えられていた。
そのまま庭をまっすぐ進み、建物の前まで行くと、ルネが鍵を差し込んで工房の扉を引き開けた。
「どうぞ」
ルネが扉を保持している間に中へ入っていく。
奥の方に人間一人が寝られるほどの台があった。その周囲には様々な器具がいくつもの管につながれ置かれている。壁際はほとんど棚が占拠し、その棚にもびっしりと本や道具が詰めこまれていた。
「きみが管理を?」
ギイはゆったりと歩きながら、珍しげに室内を眺めていく。
「……はい。ここを守っていろと、言われましたので」
「ねえ、きみの主は何年帰ってきていないの」
「……………」
ルネは静かに扉を閉めたあと、ゆっくりと振り返った。
「……なぜ?」
「建物が古いだけならまだしも、道具まで古いものを使う必要はないよね。本も全部、五十年か六十年以上前に発行されたものだ。それに、埃一つないのは感心するけど、長いこと使用していないものはすぐに分かるよ」
「……六十年です」
ルネは表情を変えずに答える。
「六十年間、主は留守にしております」
「帰ってくると思っているの?」
「いいえ」
想いを馳せるように床を、器具の数々を、棚を、天井を見ながら、ルネはギイへと近づいていく。
「主は、死にました。わたしの目の前で」
「……………」
「主はもうお帰りになりません。けれど、主はわたしにお命じになったのです。自分が戻ってくるまで、この工房を守っていろと」
「その命令に従うことに、なにか意味がある?」
「……いいえ」
ルネはうつむいて首を振る。細い指先が台をゆっくりと撫でた。
「けれどわたしは、命令を守らなければ……でなければ、主のお役に立てないのです」
「――きみの主が住んでいた町は、カスペール?」
工房に住みこむことも可能だろうが、協会に属する人形師である以上、完全に人との関わりを断絶するのは難しい。付近の町に自宅があったはずだ。
「……なぜカスペールだと?」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
ギイは答えず、やや不機嫌そうに苦笑した。
カスペール。ソフィが出掛けた先である。まったくもって面白くない。
「きみ一人で、勝手にここで待っていればいい。ソフィを巻き込まないで」
ルネは意味が分からなかったらしい。わずかに首をかしげた。
「彼女は、巻き込みません」
再びルネは室内をゆっくりと見回す。ギイに背を向け、扉の方を見つめた。
「彼女は巻き込めませんでした。彼女は自律人形を持っていらっしゃいませんでしたから」
「…………?」
ルネがゆっくりと振り返る。
彼女はいちいち動作がのろく、意思も読みにくい。そのため、ギイは警戒しながらも対応ができなかった。
ルネはゆっくりとギイに顔を近づけ――口付けたのである。
「…………!」
何かを流しこまれたと悟った時には遅かった。
ギイはルネを突き飛ばし、よろめきながら背後の棚に身を預ける。
「……何を、今――」
心臓板が急に動きを弱めたのを、ギイは感じた。体から力が抜け落ちていき、ずるずるとその場にへたりこむ。思考が鈍化し、感覚のすべてが薄くなっていく。
「……エテルネの、原液です」
エテルネ。心臓板の金属と相反する性質を持った薬液だ。何らかの原因で心臓板が過剰に働いた際、身体への負担を和らげるために使用する。ソフィが念のためと言ってギイに与えた薬である。
エネルギー源である心臓板の動きが弱まれば、身体も思考も比例して鈍くなる。いくら原液とはいえ停止することはないが、立ち上がることすら困難であった。
「……何を、する気……」
「……寿命なのです」
ルネは淡々と言う。
原液が入っていたのであろう小瓶が、ルネの手から滑って転がった。
「心臓板が、もう寿命なのです。これでは主の命令を果たせません。いいえ――果たせないことは、百も承知なのです。主はもう帰ってこられない。けれど命令は果たさなくては。ならば、六十年でも、七十年でも、わたしは動き続けなければ」
「……………」
「……貴方の心臓板は、まだ新しいのでしょう? だから、それを、わたしにください」
「……きみは本当に、それができると……思っているの」
いいえ――とルネは悲しそうに微笑んだ。
「心臓板の交換などできません。できるはずがない。でも、このまま朽ちるわけにはいかないのです。あの人は、戻ってくるまで待っていろとおっしゃったのだから」
ギイは静かに断言した。
「きみは、壊れてるよ」
「わたしはまだ壊れていません」
「――ノウル! ギイは!?」
昼のピークをだいぶ過ぎ、客もまばらな時間帯。
突然店に飛び込んできたソフィに、ノウルをはじめ、他の従業員や客までもが目を剥いて固まった。
普段おとなしく、滅多に感情をあらわにしないソフィが、息を切らし、血相を変えて駆けこんできたのである。店内は一瞬水を打ったように静まり返り、それからどよめき出した。
ソフィは注目を浴びても構わず、一直線にカウンターまで走り寄る。ノウルが調理の手を止めて顔を出した。
「どうした? ソフィ」
「ギイは? ここにいないの?」
「いや、あいつは――またぶっ倒れても困るんで、体調が戻るまでは休んでろって言ったんだが」
「いないの」
動転しながらソフィは言い募る。
「部屋にいないの。ルネも家にいないし――」
「ルネってあの自律人形か? 落ち着けって。何かあったのか? 買い物にでも出掛けてるんじゃ……」
「ギイならさっき見掛けたぞ」
客の一人が声を上げた。
「えらいべっぴんさんと一緒だったんで、逢引かと思ったんだが。よく見たら自律人形でさ。初めて見たけどすごいなー」
「ルネと? どこで? いつ?」
「の、乗合馬車を待ってたみたいだけど……あー、えっと……一時間半か、二時間くらい前かな。どこに行ったかまでは見てないよ」
「ソフィ、何があったんだ?」
今にも卒倒しそうなソフィの様子に、さすがのノウルも緊張をにじませた。
ソフィは返答せず、ぱっと背を向けて店を駆け出ていく。
「ソフィ!」
――二時間。
なにもかも終わっていてもおかしくない。
胸を侵食していく絶望感に、ソフィは立ち尽くした。
「落ち着いて……」
かぶりを振って言い聞かせる。
(どこかに行った。どこ?)
ルネが向かうとすれば自宅か工房しかない。工房の位置なら教えてもらったが、自宅だったとしたら万事休すだ。
(ルネは……何て言ってた?)
主の命令で家を守っている――いや。
『主は、自分が戻ってくるまで工房を守っていろと、お命じになりました』
工房だ。
オット・ハーゲンの工房は、カスペールの町からだいぶ離れた所にある。人嫌いで、仕事中訪問者などに煩わされたくなかったのだ。
工房は街道からも外れている。途中までは乗合馬車を使って、残りは徒歩で向かったのだろう。ならば、まっすぐ馬車を走らせれば間に合うかもしれない。
「ソフィ!」
ノウルが慌ただしく店から出てくる。
「ごめん、ノウル。急いでて――」
「それは分かってる。事情は分からんが、ギイと、あの自律人形を追うんだろ? 見当はついてるのか?」
「……多分」
「クレヴリー商会にいくつか馬車があったはずだ。ソフィになら何とか都合つけてくれるだろ」
言うなり走り出したノウルに、ソフィは驚きつつも追走した。
「ノウル、お店は……」
「レインスに任せた」
――ちょっとノウルさん、マジで無理ですよ――
背後からそんな悲鳴が聞こえた気がしたが、ノウルは振り返らなかった。
「……………」
「ギイが倒れたと思ったら今度はソフィがなんて、冗談じゃない。話は馬車の中で聞く」
「……うん。ありがとう」
ノウルは兄か父親のような笑みを浮かべ、ぽんとソフィの頭を叩いた。
「主はとても……勤勉で、生真面目な方でした」
ルネは
ギイに注意を払わないのは、必要がないと判断しているからだろう。実際、ギイは立ち上がることも敵わず、座り込んだままルネを見上げるしかできない。一応帯剣はしているが、細身とはいえそれなりに重く長いものを、抜いて、振るう力は今のギイにはなかった。
「人形師として名をあげるのだと、いつも言っておられました。わたしをお作りになったのも、そのためだと。けれど主は人付き合いがお嫌いで――特に、協会の幹部の方々と仲が悪く、なかなか良いお仕事もいただけないようでした」
当時は協会の力が強く、仕事をするにしろ売りこむにしろ、彼らの後ろ盾は重要だった。仕事に許可が必要だったわけではないが、協会の『お墨付き』であるかどうかは、依頼人の判断基準にもなる。協会の名は信用の証でもあったのだ。
「だから主は、わたしに期待をかけておいででした。自律人形を完成させれば、協会も認めざるを得ないだろうと」
けれど――と、ルネは自らの身体に視線を落とす。
「返ってきたのは、嘲笑でした。そんな出来の悪い人形では、とても公認人形技師とは認められない……基本からやり直せと。……わたしは、主のお役に立てませんでした」
「……………」
「それでも主は努力をしつづけました。何度もわたしを改良して、修正し、何度も協会に足を運びました。何度も彼らと言い合いをなさっていました。けれど、協会は主を認めてはくださいませんでした。主は……段々と、わたしに失望されていったのだと思います」
作ったのは人間である。期待はずれだと言うのなら、それは作り手自身が責任を負うべきだろう。あるいはルネの主も、失望していたのは自分自身にだったのかもしれない。だが、人形はそうは考えられないのだ。
「六十年前……この国で反乱が起きた時。国が、自律人形を求めた時。主はわたしを軍に連れていかれました。協会が認めずとも、国が認めたとなれば主の名声はあがるでしょう。けれど国も……わたしでは役に立たないと言いました」
協会が公認した人形技師ではなかったから。
「それからしばらくして……主は、仕事で長く留守にすると、おっしゃいました」
ルネは思い出すように目を閉じる。
「……分かっていたのです。主はわたしを棄てていかれるおつもりなのだと。きっともう帰るおつもりはないのだと……」
「……分かっていたのに、見送ったの」
「それが、ご命令でしたから」
命令を受けたから従った。ルネにとってはただそれだけのことなのだ。
ギイとて似たようなものである。魂を得ろと命じられ、そこにどんな意味があるのかは考えず、従った。無論ギイを生かすための方便であったのは承知している。ただ、魂を得ること自体にどんな意味があるのか――そこまでは疑問に思っていなかった。
「……あの時、どうして」
ルネはふと首をかしげる。
「…………?」
「あの時、主がお命じになって……わたしは『はい』と答えました。いつものように。それが主のお望みの答えのはずでした。けれど、主はあの時、確かに落胆なさったのです」
話が唐突に切り替わったのは、思い返すまま語っていたからだろう。結論もとりとめもない、ただの吐露なのだ。
「あの時、なんと答えれば、主は満足なさったのでしょう」
ただの独り言だ。おそらく返事など期待してはいまい。ギイの方も口を利くのは億劫だった。
だが、ギイは自分と同じ――しかし自分とは決定的に違うこの人形に、苛立った。苛立って口走った。
「……本当に、分からないの」
「……貴方は分かるのですか?」
ルネがようやくギイに向き直る。
「……分かるよ。だって、ソフィに……言ったばかりだからね」
「……………」
――『離れていかないで』
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