一片の雪4

「……あら?」

 天幕の中。椅子に腰掛けてコップをかたむけていたノウルは、その小さな呟きに顔を上げた。

「一人? 休憩中?」

「ああ」

 入ってきたのはセリーヌである。疲れきって椅子にもたれるノウルとは対照的に、きっちり黒髪を結いあげ、颯爽と歩いてくる。

「ようやく一番危険な奴らが終わった」

「相当盛り上がっていたみたいね」

「盛り上がるどころじゃねえよ。一歩間違えれば怪我人続出だった。客席に向かって花火打ちやがったんだぞ」

「残念、見逃したわ」

 セリーヌは心底おかしそうに笑った。ノウルが深い溜め息をつく。

「ところでソフィは? ここにいると思ったんだけど」

 一瞬、ノウルは沈黙した。

「……祭りを回ってるよ」

「あら、そうなの。ここの手伝いをしていると思ったわ」

 白々しかった。

 ノウルは舌打ちしてコップの中身をあおる。

「ギイの奴が待ってたから、無理やり行かせたんだよ。毎回俺の手伝いをさせちまってるし」

「あらま」

 やはり白々しく手を口元に当てると、セリーヌは目を細めた。

「昔から思っていたけど、ノウルって幸せになれないタイプよね」

「余計なお世話だ」

「余計なお世話ばかりしているのはそっちでしょ」

 声音に微妙な毒が混じる。

「せっかく三年もかけて慣らしていったのに、三ヶ月ちょっと前にやってきたばかりの新入りに取られてもいいの?」

「取る取らないの話じゃないだろ。物じゃないんだ」

「あたしを苛々させないで。それは話の本質じゃないって分かっているわよね?」

 彼女は嫌いな人間とノウルには容赦がない。

 幼なじみというのは損だ、とノウルは常々実感していた。しかし幼なじみでなかったとしたら、セリーヌの外面に大いに騙されていただろうことは予想できるので、現状が最良であるのは間違いない。

「何年かかっても無理なんだよ」

 観念してノウルは言った。

「どれだけ仲良くなったって、多分無理だった。なんつーか……そもそも立ってる場所が違うというか」

 最初は単に人見知りなのだと思っていた。人と関わるのが苦手なのだろうと。だが拒絶しているそぶりはなかったので、ノウルはしつこくソフィを構い、事あるごとに誘って、徐々に打ち解けてきた。

 それでもあと一歩。深い峡谷をはさんだような決定的な隔たりがある。

 心を開いていないとか、信用していないとか、そういったことではない。見ているものが違う。感じているものが違う。根本的なところで認識のずれがある。

 ――遠いのだ。

「ギイが何かしたのか、言ったのかは知らねえけど。あいつにだけ許してるんだ、俺はお呼びじゃないだろ」

 髪にキスだの。口説くだの。手ずから食べさせてもらう、手をつなぐ、触れる、送迎など、ノウルから見ればやりたい放題である。

 ソフィはおとなしいが、警戒心が強く意志はかなりはっきりしている。そんな彼女が許容しているのだ。ギイが特別なのは確かだろう。

「なんだかねぇ……」

 セリーヌは眉根を寄せる。

「ノウルもギイもソフィも、あたしからすると遠慮しすぎなのよね。知りたいなら聞けばいいし、好きなら好きだって言えばいいじゃない。言葉なくして理解なし。それじゃあいつまで経っても同じ位置よ?」

「俺を焚きつけて引っかき回そうってんなら無駄だからな」

「邪推する男ってモテないと思うわー」

 余裕で口の端を上げるセリーヌ。しかめっ面で睨みつけるノウル。決して険悪ではないが、非常に刺々しかった。

 その時、二つの軽い足音が近づいてくる。少年のものと思しき声もした。ノウルとセリーヌがそちらへ視線をやると、天幕の入り口が勢いよく跳ね上がる。

「――おにいちゃんっ!」

 飛び込んできたのは小さな少女――リナエルだった。

「リナエル、走ったら危ないって」

 続けて栗色の髪の少年も姿を見せる。ロジェである。

「おー、二人とも。どうした?」

「ごめんなさい。忙しいと思ったんだけど、リナエルがどうしてもって」

「今は暇してるみたいだから大丈夫よ」

「『休憩中』だ」

「おにいちゃん、おにいちゃん、あのね、これあげる!」

 精一杯腕を伸ばすリナエル。小さな少女が差し出したのは、クマのようなイヌのような、正体不明のぬいぐるみだった。

「これどうしたんだ?」

「リナがあてたの!」

「露店のくじで」

 ロジェが補足する。

「おー、リナが当てたのか。すごいな!」

「うん!」

「ありがとな」

 リナエルは褒められて気を良くしたのか、次はセリーヌにもヘビのようなミミズのような奇妙なおもちゃをプレゼントした。セリーヌはちらとも笑顔を揺るがせず受け取る。

「ロジェ、悪いな。リナの面倒見てもらって」

「平気。リナエルはいい子にしてるよ」

 お手本のような答え方である。大人びた少年に、ノウルは苦笑いを返すしかない。

「二人とも、公園には行ってみた? 色々出し物があるみたいよ?」

「あ、行ったんだけど――」

「ソフィおねえちゃんがいたよ!」

 その瞬間走った緊張に、子供二人は気づかなかった。

「……そーか。ギイと一緒だったか?」

「うん、いっしょだった!」

 なぜかロジェがはらはらしたようにリナエルを見ている。

「仲良くしてたか?」

「うん、仲よしだったよ。あのね――」

 無邪気な笑顔で少女は報告した。

「お顔、すごくちかくしてた」

 ノウルは紙コップを握りつぶした。幸いからである。

 ロジェが慌てて人差し指を立てる。

「リナエルっ、それは内緒だって言ったろ?」

「あ! そうだった!」

 リナエルは不自然に固まった兄に向き直り、やはり無邪気に言った。

「ないしょなの。だからね、今いったことはわすれてね?」

「あ――ああ」

 ノウルの笑顔は引きつっている。セリーヌは笑いをこらえ、ロジェはやってしまったとばかりに顔を覆う。リナエルだけが無垢に三人を見比べていた。

「ギイは積極的なのか遠慮がちなのか分からないわね」



 自分の首にかかる、冷たい硬質のプレート。そこに彫られた文字を指でなぞりながら、ソフィは溜め息をついた。

「ごめんね。ギイにまで嘘をつくつもりはなかったんだけど……言う機会がなくて」

 息を吸い込む。氷のようだった。

「十八歳だっていうのは嘘。公認人形技師になったのは確かに六十年前だよ。十六の時だね」

 ギイの深い緑眼は不思議そうに揺れているだけで、そこには非難の色も嫌悪の情も見受けられない。ソフィは胸を撫で下ろした。――もっとも、人形がこんなことで人への感情を変えるわけはないのだが。

「驚いた。僕のあるじとあまり変わらない年なんだ」

「そうなの? 相当腕の良い人なんだろうなとは思ってたけど、結構お年を召してたんだね」

「うん。でも――そっか。納得したよ。十八歳だって聞いた時、おかしいと思ったんだ。きみの技術はその年齢で身につくものじゃない」

 ソフィは薄く微笑んで前を見た。

 楽しげに笑う人々が次から次へと視界を流れていく。ひとときも留まらず、目まぐるしく。

「でもどうして?」

 ギイの声にはありありと気遣いが感じられた。

「先生が言うには、私の力が――器を操る力が、内側に向かったんじゃないかって」

 ソフィはくるくると人差し指を回す。屋台のぬいぐるみが人知れず回転した。

 この力が自分自身に影響を及ぼしていると、ソフィはいまいち実感できずにいる。行使しているつもりなどないのだ。

 しかし六十年ほど前から容姿に一切変化がないのは事実で、短くした髪は一センチも伸びることがなく、爪を最後に切ったのは遠い昔、女性らしい膨らみも丸みも中途半端に、肉体は成長を止めている。

 そしてそれに引きずられるように、精神も過去の状態を保ったままだった。

「人形になったみたいだね」

「きみは人間だ」

 ギイは間髪入れずに言った。

「僕達とは違うよ。きみは人間だ。――人間だから、僕は」

 言いかけて、ギイは口をつぐむ。ソフィが首をかしげて見やると、気を取り直したように微笑んだ。

「――ソフィには、忘れ物があるんだね」

「詩人だね」

 ソフィは笑い返した。

 忘れ物。そう言うと優しく感じる。とはいえ、何十年もソフィが抱えている感情は、それほど優しいものではないが。

「……六十年前にね、反乱があったの」

 今にも落ちてきそうな灰色の空を見上げる。

「と言ってもそこまで大規模なものじゃなくて――地方の暴動って感じかな。私は王都に住んでいたから、対岸の火事としか思ってなかった」

 当初はすぐに鎮圧できるものと考えられていた。

 しかし思いのほか抵抗が激しく、事態が長引いたため、国は早急な解決策を講じた。当時は隣国との緊張状態が続いており、内乱にでも発展しては付け入る隙を与えかねなかったのである。

「そこで考えられたのが、人形兵の投入」

 自律人形の心臓板を書き換え、感情や記憶を消去し、最小限の自我だけを残して戦場へ送る。

 心臓板に使用される金属は希少で、当然自律人形の数もそう多くはなかったが、大抵は人間より運動性能が高い。また、痛覚を消してしまえば心臓板を破壊しない限り生き続ける。繊細なため本来は長期間の戦闘行為などには不向きだが、一時的な兵器としては最適だったろう。

「国内のすべての公認人形技師に命令が来たの。所有する自律人形を、必要な処置を施した上で引き渡すようにって」

 新たに製作するには時間も材料も費用もかかりすぎる。既存の自律人形を作り変える方が効率的だと判断されたのだ。

「もちろん、ほとんどの人形師が反対したし、反抗もした。沢山の人が捕まったと思う」

 兄弟子は何も告げず、自らの自律人形を連れて国を出奔した。

 師は唇を噛みしめて受諾した。

「私は……」

 ――あの日。

 遠くで雷が鳴っていた。

 重々しい雲が空を覆い尽くし、昼だというのに薄暗かった。窓から滑りこんでくる風は湿り気を帯びて冷たく、にもかかわらず、遠雷が響くばかりで一向に雨粒は落ちてこない。

「私は」

 遠くの雷は騎士を連れてきた。淡白で無機質な文章が記された、たった一枚の紙切れとともに。

「私は……どちらも選べなかった」

 どちらが正しいか、ソフィには判断できなかった。

 国のために人形を捧げるのは間違いではない。反乱が早く治まれば、その分傷つく者は減り、余計な争いの芽を摘むことができる。武力行使の是非はともかくとして、確実に誰かのためにはなるだろう。

 しかし――

「人殺しの道具にするために、あの子を作ったんじゃない」

 自分と同じ、銀色の長い髪。自分と同じ青い目。当時のソフィが持ち得るすべてを注いで生み出した人形。

 大切な友人であり、半身であり、作品でもあった。

「だけど私は、結局従った」

 たった十六歳の、世間も知らぬ小娘が反抗などできようはずもない。

 兄のような決断力と行動力はなく、かといって師ほどには覚悟も達観もできず、ただ拒否できないという理由だけで命令書を受け取った。

 心臓板は複雑で精密な『器官』だ。作った人形師以外が下手に手を加えれば、その瞬間息の根を止めることにもなりかねない。

 ゆえに、心臓板の書き換えは人形師本人の手で行う必要があった。

「私があの子を、あの子の心も記憶も、なにもかもを殺したの」

 ――『永遠の愛情を』

 なんて空虚な言葉だろう。

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