一片の雪3

 どこからか軽快な音楽が流れてくる。楽団がいるのだろう。明るい笛の旋律に、打楽器が軽く躍るような弾みをつけている。それに合わせてめちゃくちゃな歌詞の歌まで響いていた。

 いくつも重なる曲、何かのゲームの掛け声、多くの歓声や花火の音。人込みを縫って届く気配はどれも賑やかで、騒々しい。

「赤が多いね」

 ゆったりとした足取りで屋台を巡りながら、ギイが不思議そうに言った。

 彼が見ているのは屋台の外装である。赤い看板、赤い布地、赤い小物、赤い装飾――とにかく赤色を取り入れている店が多い。

「ああ、それは火の代わり。雪の怪物が恐れるって言われてるんだよ」

 答えるソフィの頬は、寒さと興奮のため少し上気している。いつものフードは後ろへ流し、代わりに耳あてをつけていた。

「昔は本当にあちこち火を焚いていたらしいんだけどね。大火事になりかけて以来、止めたみたい」

「その方がいいね」

 ギイは笑って顔を前に戻した。

 すると、突然小さな手が差し出される。

「どうぞー」

 籠を提げた幼い女の子だった。手に持っているのは赤い紐で編んだ腕輪である。

 ソフィが横から硬貨を出し、その腕輪を二つ受け取った。

「ありがとぉ」

 少女はスカートをひるがえして、引き続き道行く人々に腕輪を配っていく。

「はい、ギイの分」

「これ何?」

「お守りだよ。雪の怪物を退けるようにって」

「へえ」

 ソフィが左腕に腕輪を引っ掛けると、ギイも興味深そうに真似をした。

「そういえば、女の子が色々装飾品をつけているね。赤い石の。それもお守り?」

「うん。いろんなデザインがあるから、どちらかというとお洒落感覚でつけるみたいだけどね。可愛いよね」

「ソフィはつけないの?」

 と、ギイはまじまじとソフィを見た。彼女は光り物の類をまったく身につけていない。

「うーん。私にはあまり似合わないから」

 祭りで販売される『魔除け』の装飾品は、大抵が派手で煌びやかだ。地味で大人しいものを好むソフィは気後れしてしまう。

「きみにはもう少し控えめな飾りの方が合うかもね。小振りの石が一つ二つくらいの、ネックレスとか髪飾りとか――」

 ふいにギイの手が銀髪に触れた。

 瞬間、それまでの和やかさが一変する。ソフィは息を止め、ギイははっとして、それぞれ硬直した。祭りの喧騒にぽっかりと穴が開く。奇妙な緊張感が漂った。

 しかしそれは瞬きの間のこと。

「……………」

 ギイは感触を確かめるようにソフィの髪を撫でると、視線とともに指を外した。

「寒くない? 公園の方にも屋台が出てたよね。何か飲もうか」

「う、うん」

 逆に暑いけど、とソフィは心の中で独りごちた。



「はい。ブレンドティーだって」

「ありがとう」

 渡されたカップは湯気が立っていた。果物の甘い香りと温かさに、ソフィはほっと息をつく。

「あったかい」

 カップを頬に当てるソフィを横目で見ながら、ギイは彼女の隣に腰掛けた。公園にはベンチや椅子が増設されている。多くの人々が軽食やカップを片手に雑談に興じていた。

 端の方には人垣ができており、時たま拍手や喝采が聞こえてくる。大道芸でも披露しているのだろう。

「ソフィは、お祭りは好き?」

「うん、好きだよ」

 うなずくソフィ。その瞳は普段と比べいささか落ち着きに欠けている。興奮を押し込めきれずに輝いていた。

「子供の頃はなかなか観る機会がなくて。初めて王都のお祭りを近くで観た時は感動したなぁ」

「子供の頃」

 ギイはぱちぱちと瞬きをした。

「ソフィの子供の頃って、どんな感じだったの?」

「どんなって……うーん」

 ソフィはやや眉根を寄せ、悩むように指を口元に当てる。

「ずっと一人で人形と遊んでたよ」

「一人で?」

「うん。ほとんど外に出たことがなくて――両親以外は、人と接するのなんて家庭教師くらい。だから人形が友達だった」

 真っ白い息が温かな紅茶の表面を滑る。すぐに溶けて消えた。

「外に出たことがないって、どうして? 体が弱かったとか?」

「――親が」

 ソフィは若干視線を下げた。

「親が、私をあまり出したがらなかった。この力を気味悪がって」

 ソフィの指が前方の屋台を差す。すると、台上のマスコットキャラクターらしきぬいぐるみが手を振った。店主は接客に夢中で気づかなかったようである。

 ギイが目を丸くした。

「気味悪いかな?」

「そう感じる人の方が多いみたい」

 ソフィは苦笑してカップをかたむける。

「じゃあ、いつ人形師になろうと思ったの?」

「十二歳くらいかな。家に来た人形師の人が、なってみたらどうかって。両親もその人が説得してくれたんだ」

「もしかしてその人が人形作りを教えてくれた?」

「そう。私の先生」

 想いを馳せる。

 いつも穏やかに笑っている人だった。激情をあらわにしたところなど一度も見たことがない。どれだけ理不尽でも、苦境にあっても、粛々と受け入れて歩を進めていく人だった。

「その人に会えて良かったんだね」

「そうだね。私にとっての一番の幸運かも」

「どんなことを学んだの?」

「んー。最初はひたすら絵を――」

 と、記憶をさかのぼりかけて、ソフィはふといぶかしむ。

 ギイはソフィの顔を覗きこむようにして話の続きを待っていた。

「どうしていきなりそんなことを聞くの?」

「知りたいから」

 静謐せいひつな声。

「ソフィのこと、もっと知りたいんだ」

 思いのほか顔が近い――と、意識したのは唐突だった。人々の笑い声が遠ざかる。周囲は一気に色彩を薄めていき、このベンチだけがすっぽりと筒の中にすくい取られたように閉塞する。

 ギイは笑みを消していた。ただの興味にしては真剣過ぎ、しかし真面目な探究心で片付けるにはあまりにも切実に感じる。

 ソフィは目を逸らすこともできぬまま彫像と化した。指の一本はもちろん、呼吸や血液、心臓の動きさえ止まったように錯覚する。思考だけが上滑りしていた。どんな反応をすべきか。笑って受け流すべきか、またそんな冗談を、といさめるべきか――

「……………」

 ほどなくして、ギイがふっと表情をゆるめた。やや困っている。なぜそんな顔をするのだろう、とソフィは思った。困惑しているのは彼女の方である。

「ソフィは、……ノウルが好きなの?」

「……はい?」

 まったく脈絡がない質問だった。これまでのやり取りにノウルが関わる話題があっただろうかと思い返すものの、記憶にない。

「好きは好きだけど……」

「それってつまり……その、恋ということ?」

「は!?」

 恋。――恋。

 ギイの言葉を反芻はんすうし、理解した瞬間、頭に血が昇る。

 恋という単語と、目の前の青年の顔が、ぱちりと音を立てて噛み合った気がしたからだ。

(違う)

 必死に否定するほど体が熱を帯びる。

 彼は人形だ。どれだけ人間に近くても、感情豊かでも、自我があっても、人形なのだ。ハサミや針にそういった感情を抱く者などいない。愛着や愛情があったとしても、それ以外はない。

「……そうなの?」

 赤面して言葉を失ったソフィに、ギイはひどく張りつめた声を出した。

「ノウルが好きなの?」

「ち、違うよ。ノウルは――好きだけど、それは、友達としてであって……尊敬はしてるけど、それだけだよ」

 答えながらもソフィは余裕をなくしつつあった。

 自分が今否定しているのは、どちらについてなのか。否定できないのはどちらなのか。様々な心が混在して絡み、実像をあやふやにしていく。

「本当に?」

 ギイは執拗だった。

「ほ、本当」

「信じるけど、いいの?」

「いいも悪いも、本当、だから」

「……そう」

 彼はわずかに微笑を取り戻して、ようやく視線を外した。

 凍えるような冬の冷気と祭りの熱気が今更蘇ってくる。ソフィはあたふたと紅茶を口に含んだ。目が覚めるほどの熱さを期待したが、残念なことにすでにぬるくなっている。仕方なくそのまま飲み干した。

「ソフィ」

「は、はい?」

 ギイは前を向いていた。まっすぐなその眼差しがこちらに注がれていないことに若干の安堵を覚えながら、ソフィは耳をかたむける。

「人間の隣にいるのは……やっぱり人間がいいよね?」

「え?」

「困らせるのは分かってるんだけどなぁ……」

 溜め息をつくギイ。両肘を腿の上に乗せてうつむいた。

「ど、どうしたの?」

「きみが優しいから、困ってるんだよ」

 困らせる。困っている。誰が。どちらが。何を。ギイはわざとぼかした言い方をしている。

「僕が何を言っても受け入れてくれそうで」

「私にできることならするよ?」

 一瞬、ギイの体が強張った。しかし振り向いた彼はいつも通りの笑顔を浮かべている。

「話を変えようか」

「え、なんで?」

「これ」

 ソフィの疑問を無視して、彼はポケットから何かを取り出す。懐中時計かと思ったが違う。鎖を通した金属片――公認人形技師のペンダントだった。

「返すのが遅くなってごめんね。鎖、直したから」

「あ、ありがとう。忘れるところだった」

 ソフィは手を差しだしたが、ギイは渡さず、鎖の両端を持って距離を詰めた。

「じっとしていて」

「え……」

 なぜ? と言いかけて、ソフィは息を呑む。ギイの両腕が首に回った。鼻先が髪に近づく。わずかに首筋をかすったのは指だろうか。

「…………っ」

 鎖のこすれる音。冷えた金属の感触。ギイの指先が首筋に当たるたび心臓が飛びあがる。

「もう少し、きみのこと知ってもいいかな」

 静かに囁くと、ギイは体を離した。

「な、なに……?」

「きみが公認人形技師になったのは、王国暦五四一年」

 ギイの手のひらがソフィの短い髪を撫で、首をなぞって、胸元のペンダントに触れた。裏返す。刻まれているのはソフィの名と、誓いの一文と、日付。

 凍りついたソフィに、ギイはためらいながら告げた。

「――六十年前だ」

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