一片の雪2

 雪の降る冬に開催されるにもかかわらず、名称を〈雪追い祭〉と言う。

 昔々この地域には、暑さを嫌い、冬になると目覚める雪の怪物がいた。冬はあらゆるものが凍りつき、息すら出来ぬ吹雪がたびたび町を襲うので、人々は春が訪れるまで家にこもらねばならなかったのである。

 そこで人々は、本格的な寒さが襲来する前に怪物を追い払ってしまおうと考えた。火を焚き、魔除けを並べ、楽器を鳴らしたり踊ったりしながら大騒ぎをしたのだ。すると雪の怪物は、熱気に追い立てられて何処かへと逃げていったという。

 このことから、雪を――すなわち怪物を追う祭りとして、〈雪追い祭〉と呼ばれるようになったのである。

「おい……」

 ――そのおとぎ話が事実かどうかはソフィには分からないが、寒気を駆逐するほどの興奮と活気に包まれるのは事実であった。

「おい! 爆発物は使うなっつっただろーが!」

 舞台裏で叫んでいるのはノウルである。

「えー。みんな喜んでるからいいだろ。野外だし、客席まで届かないよう計算してるし」

「いいわけあるか! ――クリエラ、まだ全員揃わないのか?」

「困るわよね。時間にルーズなのって」

「何呑気に茶ぁ飲んでんだよ! ……ユーシス! おまえらはまだ早い!」

「ノウルー、荷物ここに置いていいー?」

「ちょっと待て、それはあっちに――」

「あれ、ちょっと、手品で使う剣がないんだけど」

「はあ? もう時間――」

「あ、道具ぶちまけた」

「何やってんだおまえら!」

 ――目まぐるしい。おもに、ノウルが。

 ソフィは指示通りに荷物の運搬などをこなしつつ、少し彼に同情した。

 広場に設置された野外舞台。その裏側に張られた天幕の中で、怒声は絶え間なく響いている。客席にも聞こえているに違いないが、おそらく人々はそれさえも祭りの余興として楽しんでいるだろう。

 とにかくトラブルが多い。

 天幕はさして広くないため、本来は次の演目用の荷物置きや準備にのみ使用される。演目が終わればすかさず片付け、撤収。次の演者に場所を明け渡す。

 ところが、舞台を使う人間が時間に遅れるわ、早すぎるわ、余計なアドリブで余計な作業を増やすわ、道具の整理はしないわ、無駄に散らかすわで、予定通りに進まないどころか立てた予定が意味を成さない有様となっていた。

「ああくそ――そこの片づけはもういい! 俺がやっとくから、クリエラは残りの連中捜して、アルファはとっとと始めちまえ!」

 結果、ノウルの負担がはなはだしいものとなる。

 毎度のことであった。

「ノウル、手伝うよ。これ箱に戻せばいい?」

 ソフィは彼の隣にしゃがみ、散乱した備品を拾っていく。

「ああ、悪い」

 疲れた溜め息が落ちた。

「ほんっとにあいつらはどうしようもねえ……」

「皆お祭りで浮かれてるんだよ」

「羽目を外しすぎなんだ」

 文句を言うわりに、その頬はゆるみがちである。結局のところ彼も楽しんでいるのだ。

「――なあ、ソフィ」

「ん?」

 ノウルは手を動かしながら言った。

「もう三年経つな」

「そうだね」

 一瞬だけ指先を戸惑わせたものの、ソフィも作業を止めずに応じる。

「前はブークリエに居たんだっけか。聞いたことなかったけど、何でこっちに来たんだ?」

 その質問に微妙な緊張が含まれていたのは、踏み込んだ話をソフィが嫌がると思ったからだろう。今まで彼やセリーヌはそういった話題を意図的に避けていた。

 ソフィは唐突な変化に首をひねりつつ、努めて軽く答える。

「特に深い理由はないよ。暑かったから、少し涼しい地方に行ってみようかなって」

「じゃあ、家族はブークリエに残ってるのか?」

「ううん。もういない」

 ノウルが息を呑む。

「あー……悪い」

「気にしないで。昔のことだから」

「……………」

 沈黙。

 だが気まずさゆえではない。空気が動く前の静寂だった。

「ソフィ」

 音を立てて最後の道具が箱の中に埋没した。

 ソフィは顔を上げる。ノウルは表情を強張らせていた。

「前から思ってたんだけどさ」

「……うん」

 空気が張り詰める。ソフィは背筋を伸ばした。

 ノウルは慎重に言葉を選び、随分間を置いてから口を開いた。

「ソフィには、どこか行く場所があるのか?」

 ――ひどく曖昧な質問ではあった。

 いつ。何をしに。何のために。いつまで。どこへ。――なぜ。

 具体性に欠けた問いだからこそ、それはソフィの身を竦ませた。

「……どこも」

 乾いた喉から声が出る。

「どこにも、行かないよ」

「……そうか」

 答えに納得したのか、安心したのか、あるいは諦めたのか。ノウルは小さく笑うと立ち上がった。

「クリエラが戻ってきたら、あそこの道具を広げてやってくれ。それまではしばらく休んでな」

「うん」

 普段通りの朗らかさで告げると、彼はそのまま天幕の外に出ていった。

 ――とたん、ソフィの体からどっと汗が噴き出す。指先が震えた。

『どこか行く場所があるのか?』

 どんな意図の問いかけだったのか。

 最終的な目的地があるとでも思われたのか。天涯孤独の身で行き着く先を心配したのか。――どんな返答をするのが正解だったのか。

 残念ながら考え込んでいる暇はなかった。

 苦虫を噛み潰したような表情で、ノウルがすぐに戻ってきたからである。

「ソフィ、やっぱりもうあがっていい。もうすぐノーラ達も来てくれるから、なんとかなるだろ」

「え?」

 早すぎる。まだ昼過ぎだ。

 ソフィは固まった体を伸ばし、なにやら外を気にしているノウルに近寄った。

「ったくあの野郎、嫌がらせか? 圧力のつもりか? こっちだって好きで長時間拘束してるわけじゃないってのに……」

「ちょっと待って、ノウル、何のこと?」

「待ってるんだよ、外で」

「誰が?」

 ノウルは溜め息とともに告げた。

「ギイが」



 金髪の青年は客席の後方――屋根付きの休憩所に佇んでいた。柱に軽く寄り掛かり、片手で本を開いて文字を追っている。

 灰色の空の下、無闇に騒がしい舞台とは距離を置いて、一人マフラーに顎をうずめる姿はひどく寒そうに見えた。

「――ギイ!」

 ソフィが駆け寄ると、彼は不思議そうに視線を上げ、ゆるやかに笑みを浮かべる。

「どうしたの? 手伝いは?」

「……もう終わり。まさか、ずっと待ってるつもりだったの?」

「あ、ごめん。もしかして気を遣わせた? 舞台を観てるのも楽しいかなって思ったんだ」

 苦笑しながらギイは本を閉じた。それのタイトルがソフィの目を引きつける。

『恋花の都七~黒薔薇ばらの秘密~』

(最新刊……!)

 勉強熱心なのか、単純にはまったのか。

 人の行き来も多いこの広場で、自分が注目を浴びやすいと自覚していながら、堂々と少女小説を読めることに感嘆する。

 ソフィの視線を察したのか、ギイは腰のポーチに本をしまいながら言った。

「コイバナ、驚きの展開なんだ」

「え、あ……そうなの?」

 いつの間にか略称を使うほど入れ込んでいる。

「主人公が狙われた一連の騒動なんだけど――」

「うん」

 そもそもその『一連の騒動』をソフィは知らないのだが。

「意外な人物が手引きしていたことがこの巻で明らかになって。びっくりしたよ」

「そうなんだ……」

 単純にはまったらしい。こういった流行りものが好きなオルガと話が合うかもしれない。

 ギイはにこりと笑ってその話題を終わらせ、ソフィが手に持った鞄を指差した。

「持とうか? それとも一度家に戻って置いてくる?」

「ううん、大丈夫。運び慣れてるから」

「そっか」

 鞄は一、二泊分の荷物が詰め込めそうな大きさだったが、ギイは無理強いすることなく引き下がり、ゆっくりと歩き出した。

 普段、彼は絶対に女性には荷物を持たせない。今回手を出さなかったのは、その黒い鞄がソフィの『商売道具』だと知っているからだろう。中に入っているのは人形やメンテナンスのための道具類だ。できれば他人に触れられたくないものである。

 ソフィは殊更にそれを主張したことはないのだが、こういった察しの良さはさすがとしか言いようがない。

 ギイの隣を歩きながら、ソフィはふと彼の手に気づいた。

「ギイ、手袋は?」

「忘れちゃった」

「寒いのに……」

 空は一面灰色だ。今にも雪が降りそうである。吸い込む空気は鋭く冷え、吐き出す息は白かった。

 寒そうなそぶりも見せず笑うギイに、ソフィは自らの手袋を外して差し出した。

「私の使って。よく伸びるからギイでもつけられると思う」

「いいよ。ソフィが寒いでしょ」

「私はさっきまで動いていたから、逆に暑いくらいなの。寒くなってきたら返してもらうから」

「……………」

 ギイは困った様子で手袋とソフィを眺めていたが、やがて諦めたように苦笑して受け取った。

「ソフィって、どの人形にもこうなの?」

「こう、って?」

「僕は人形なんだから、寒さは感じるけど風邪はひかないよ。普通人形師がこんな気遣いなんてしない。僕のあるじだってしなかった。きみは人形すべてを人間と同じように扱うの?」

「……まさか」

 答えて初めて――ソフィは、自分の行為に疑問を持った。

「しないよ」

 そう。したことなどない。人間と同様には扱わない。同等ではあるかもしれないが。わざわざ手袋を貸して防寒を促すことなどしなかった。

「なら、どうして僕には貸してくれたの?」

「それは――ギイは、だって人間にすごく近いし……見てると人形じゃないみたいで。寒そうだったから……」

 しどろもどろに説明するソフィ。言い訳のようであった。

 ギイはそんな彼女をじっと見つめ、小さく首をかしげる。

「僕だけ?」

 心臓が跳ねた。悪事を見透かされでもしたように、ソフィの体から冷や汗が出る。

 確かにギイだけなのは事実だろう。間違いなく。だが、それを肯定するのは別の事実まで認めることになる気がして、ソフィはしばらく返答できずにいた。

 結局、真摯な翡翠の瞳に根負けして、不承不承うなずく。

「そ……うだね。ギイくらい、人間に近い人形は、見たことがないから」

 やはり言い訳じみている、とソフィは思った。

「――そっか」

 ギイは手袋を握りしめたまま呟いた。口元がマフラーに埋もれている。彼は途方に暮れたような表情で視線を落とした。

「……勘違いしそうになる」

「……?」

 以前、同じようなセリフを聞いた記憶があった。しかし、いつ、どんな状況だったか思い出せない。

「手袋、やっぱり返すよ。なんだか熱くなってきちゃった」

 ギイはすぐに笑顔を取り戻し、手袋をソフィに押しつけると、出店の並ぶ通りへ入っていった。












※恋花の都七~黒薔薇の秘密~

国王アイナスの婚約者であり、当初から彼とヒロインの恋を応援していた「黒薔薇姫」ことアデリーヌが、実はヒロインを狙う謀略に加わっていたと明かされる衝撃の最新刊。サブタイトルでネタバレしてると評判。

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