人形伯爵5

 そのプレートは、自律人形の心臓板と同じ金属製のかけらで出来ている。表面には少女人形の横顔が、裏面には称号を授与された年と名前、それに誓いの一文が彫られていた。

『永遠の愛情を』――

 胸の前で揺れるそのペンダントは、ランプの灯りを照り返し、冷然と光を放っている。

 ――今更。

 ソフィは自嘲気味に笑った。

 幸い誰も気に留めない。誘拐犯達は一方的に要求をつきつけて、一方的に話を打ち切った。今はくだらない話をしながらトランプに興じている。

 朝を待っているのだ。外壁のある町は大抵日暮れとともに門を閉ざす。目的地がどこかは分からないが、よほど急いでいるのでない限り、夜に移動するメリットは少ない。

 彼らは自律人形を作れと言った。人形伯爵のように理想の花嫁が欲しいなどという要望ならまだいいが、よもやそんな可愛い事情ではなかろう。

 自律人形。人間そっくりな――

「……………」

 その時、品のない笑声が響いた。トランプの――というより、カード賭博の決着がついたらしい。

「あー、くそ! またジョットさんの一人勝ちかよ!」

「いいところまでいったんだけどなぁ……」

「悪ぃなおまえら。ほら出せ出せ」

 上機嫌で集金するジョットと、目が合った。

「……………」

 ――イカサマ。

 ソフィが唇の動きだけで呟くと、彼はそれを正確に読みとった。感心したように――それでもどこか嘲りの含んだ表情で、口角を上げる。

「なかなか目のいいお嬢ちゃんだな」

「目が良くないと、人間を模写できない」

「なるほど?」

 彼らがまっとうな理由で自律人形を欲しているとは思えない。ソフィは人柄や職業で依頼人を選ぶつもりは毛頭ないが、犯罪行為に手を貸すつもりもなかった。

 とはいえ現時点では脱出手段がないのも事実である。現状を考えれば救助を期待できなくもないが――今は夜間だ。誰がソフィの不在に気づくだろう。早朝から訪ねてくる者もなかなかいない。いたとしても、目撃者が皆無ならここに辿りつくことは困難だ。

(要するに絶望的だ)

 急に失踪したなどということになれば、ギイは悲しむだろうか。そばにいると約束したばかりなのに――

「そう心配しねえでも、言うことを聞くんなら何もしねえよ」

 打ちひしがれたソフィをどう思ったのか、ジョットはにやにやと笑いながらトランプを放り出した。

「うまくいったら謝礼は支払ってやる。ただし、他言無用が条件だ。念のため住む場所も変えろ。それだけで解放してやるってんだ、悪い話じゃねえだろ?」

 残念ながら、ソフィには悪い部分しか見えなかった。

 無駄とは思いつつも、つけ入る隙を探して問いかける。

「自律人形を作るには、専用の工房と道具が要る。こんなところじゃもちろん無理だし、私の家だって無理。それはどうするの?」

「昔、人形師から買い取った工房がある。王都近くの山だ。もってこいだろ」

 冗談ではない。そんなところに連れて行かれては、逃げ出すすべなどなくなってしまう。王都の中であれば、まだ人込みに紛れて逃げ隠れることもできようが――

「あんた、町を転々としてるんだろ?」

 ソフィは絶句した。

 ジョットが不敵な笑みで見下ろす。

「公認人形技師の名簿を手に入れてな。おおまかな住所と名前しか載ってなかったが。少なくとも三回、住所が変更されてた」

「……………」

「理由になんざ興味はねえが、ちょうどいい頃合いじゃねえか。どうせあそこにも長くいるつもりはなかったんだろ?」

 腑に落ちた。つまりそれが、ソフィを選んだ理由なのだ。

「公認人形技師ってえのは揃いもそろって変人だらけだよ。かっさらうのも一苦労だ。王都なんかの大都市にいるか、歩くのも命がけな土地に住んでるか、もしくは行方知れず。しかも大抵は自律人形を持ってて近づけやしねえ。――あんたくらいだったんだよ。あんな田舎で、一人で細々と人形作って暮らしてたのは」

 公認人形技師は数が少ない。その少ない選択肢の中で、条件に合致するのがソフィだったのだ。

 確かに、未だに公認人形技師などをやっているのはよほどの変わり者だろう。六十年前に廃れた職と技術だ。

 ――だからこそ。

「犯罪に協力はしない」

 ソフィは息を吸い込んで言い切った。

「私だけじゃない。公認人形技師なら誰だって、人形を犯罪に使おうなんて考えないよ」

 権威もなければ地位も名誉もない。公認人形技師など、もはや完全に個人的な趣味や生きがいの領域だ。無論、それゆえアラン・クレヴリーのようなコアな愛好者もいるのだが。

『永遠の愛情を』――人形に捧げぬ者は、一人としていない。

「……………」

 ジョットが表情を消した。

 彼は無言でソフィに歩み寄り、溜め息をつく。

 次の瞬間、ソフィはこめかみの辺りに衝撃を受けて床に倒れ込んだ。ジョットが足蹴にしたのである。

 こすれたのか、それとも彼の靴が引っ掛かりでもしたのか、ペンダントの鎖が切れて首から抜け落ちた。

「あのなー、お嬢ちゃん」

 ジョットはソフィの襟元を掴み、無理やり上半身を起こす。

「代わりを探すのも手間だから、殺す気はねえが。殺さなくても言うことを聞かせる方法なんていくらでもあるんだよ」

「……………」

「この綺麗な銀髪をむしり取ってやろうか? 古典的に爪でも剥がすか? 手は困るな、足だ。最悪歩けなくなったって人形作りはできる。それともお嬢ちゃんは男に回される方が好みかねえ? 選ばせてやってもいいぜ?」

(……今更)

 今更、痛みがなんだというのだろう。

 ソフィは床に落ちたペンダントを見た。奇しくも裏面が天井を向いている。果たさぬ誓いに何の意味があるのか。

「ふん」

 ジョットは不快そうに鼻を鳴らし、ソフィを突き放した。

「おまえは犯罪っつったけどな、別にそう悪いことでもねえ」

 こめかみがじくじくと痛む。血の気が引いているのか、眩暈がした。しかしここで失神するわけにはいかない。

「ついこの間、ある大富豪が死んだ。孫娘へ遺産を譲るって遺言状を残してな」

 ソフィは唇を噛み、語るジョットを睨みつけた。

「ところがこの孫娘ってのが、現在所在不明でな。元々富豪には一人娘がいたんだが、男と駆け落ちして勘当同然だった。娘は幸せな家族の肖像画を送って和解を求めていたみたいだが、富豪は許さなかった。意地を張ってたんだろうな」

 ジョット以外の二人は再びトランプで遊びはじめていた。目の前で行われた暴力にも暴言にも関心はないらしい。世界の違いを感じて慄然りつぜんとする。

「ある時、ぱったりと手紙も肖像画も来なくなった。心配になった富豪が確かめにいくと、娘も婿も、すでに事故で死んでいたとさ」

 説明の合間の、笑い声。

 ――何が。

(何がそんなに、おかしいの)

 じりじりと頭の芯が焦げていく。

「唯一生き残った孫娘はどこかへもらわれていったそうだが、消息は分からないまま。大っぴらには捜さなかったみたいだな。偽物が大量に現れると思ったんだろう。なにせ莫大な財産だ。だから、遺言状のことも公にはされなかった」

「……………」

「もし孫娘が生活に困って自分を頼ってきたら、助けてやれるように、ってな。感動的な物語じゃねえか。――なんでそれを俺が知ってるのかってツラだな? 色々顔が利くのさ。その気になりゃ、情報はどこからでも入ってくる」

 さあ、もう分かっただろう――そう言いたげに、ジョットは両腕を開いた。芝居じみた大仰な身振り。激しい憤りが身の内を走る。

「その、お孫さんの人形を、作れって言うの」

「そう。肖像画通りに作ればいい。これが珍しく写実的な絵でな。似た顔立ちの替え玉を用意するのも難しいんだよ。面倒くせえ話だ」

 そのために、作れと。

 富豪が、たった一人血の繋がった孫を想って遺した財産を、騙してかすめ取る。そのためだけに、自我もあり、思考もし、感情もある、自律人形を作れと。

「……………」

 ソフィは小さく笑った。

 痛みと、恐怖と、怒りと、緊張とで、全身は強張っていた。それ以上にどうしようもない虚しさが込み上げてくる。彼らは浅はかで愚かだ。万言を費やしたとしても、それを理解できはしないのだろう。

 だから。

「――くだらない」

 ソフィは鋭い侮蔑とともに言い捨てた。

 トランプを切る音が止まる。風が窓を叩いた。無音。火のささやきさえ聞こえてきそうな。

「そうかい」

 凶悪な笑顔がソフィを見下ろした。

 腕を縛る縄はきつく食い込んでいる。足首も同様だ。逃げることはおろか抵抗すらままならない。ソフィは悔しさに唇を噛んだ。恐怖で心が折れそうになるものの、拳を握りしめて踏みとどまる。

「なら、噂通りに人形にしてやるよ。人形を作るだけの、意思のないお人形さんに」

 男二人がトランプを投げて立ち上がった。どちらの顔にも下卑た笑みが浮かんでいる。ジョットが距離を詰めてソフィの服に手を掛け――

 刹那。

 ――ごとんっ。

 扉の向こうで音がした。風や小石が当たったような軽いものではない。もっと重い物を移動させたような。

 男達の空気が張り詰めた。

 ジョットが仲間の一人に視線を送る。それを受けた男はランプを片手に扉へ向かった。

 両開きの扉の、片側を押し開けようとして手間取る。何かが引っ掛かってでもいるのか、揺すっても動かなかったのである。彼は気を取り直してもう片方の扉に手を掛けた。こちらは特に問題なく地面を滑っていく。

 慎重に扉を開け、外を覗きこんだ。ランプで外を照らした男は、扉の前に大きな木箱が置かれていることに気づく。中身は不明だが、教会の脇に積んであったものだ。

「なんでここに……」

「どうした? 何かあったか」

 男は教会内を振り返り、ジョットに報告しようとした。

「…………!」

 外から伸びた手が瞬時に男の口を塞ぐ。そのまま彼は蛇に呑まれるように夜の闇へ引きずり込まれた。

「なっ……」

「くそ、おいネオ!」

 ナイフを引き抜いてもう一人の男が走り出す。

「待てジラル!」

 ジョットが制止し、ジラルと呼ばれた男は反射的に足を止めた。

「ジョ、ジョットさん、だけど――」

「馬鹿野郎が、迂闊に近づくんじゃねえ!」

 その時、ジラルと扉の距離はまだ大きく開いていた。少なくとも一息で埋められる間合いではなかった。だから彼は、何者かの襲撃を受けたと理解はしつつも、ジョットに従い、不用心に背を向けた。

「ジラル!」

 扉の隙間から人影が滑りこむ。ジラルが振り向くより早く、銀光が一閃した。

 次いで起こった悲鳴に、ソフィは思わず目をつぶる。ジラルは足の腱を切られ、崩れ落ちて苦悶の呻きを上げていた。

「てめえ……!」

 ジョットが強引にソフィを立たせ、引き寄せる。

 ――侵入者はいつもの微笑みを浮かべていなかった。苦痛に悶える男をそっけなく一瞥いちべつし、剣を振って血を払う。ソフィと目が合うと、わずかに表情を和らげて息を吐いた。

 ちらちらとランプの炎で揺らめく翡翠の瞳が、まっすぐにジョットを射抜く。わずかな灯りにかしずかれ、彫刻のような美貌がぞっとするほどの迫力を生みだしていた。

「なんでここが分かった?」

 問われて、ギイは物憂げに眉根を寄せた。

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