人形伯爵3

 どこからが冗談で、どこまでが本音なのか。本当に彼は難解だ。

 早足で歩きながら、ソフィはフードを脱いだ。火照った頬はなかなか冷めない。鼓動は狂ったように脈打っていた。

(心臓がもたない)

 いつか破裂するかもしれないと、ソフィは本気で思った。

 彼は人形だ。恋の真似をしているに過ぎない。それだけだ。ここのところ妙に色気が増しているのも単なる模倣だ。

 模倣だ。

 ――なんて恐ろしい人形だろうか!

 ソフィは身震いした。それでようやく体の火が消えた気がして、いまだ鳴りやまぬ心臓を抑えつつ、フードをかぶり直す。

 一人で静かな道を歩いていれば、徐々に感情は鎮まってきた。

 震える息を吐き出し、暗い空を見上げる。どうにか澄んだ冷気を思い出すことができた。

 ――もうすぐ祭りがある。毎年この時期になると襲来してくる、伝説上の冬の怪物を追い返すという趣旨の祭典だった。ソフィがこの町に越してきたのもちょうど今頃である。

(三年、か)

 ソフィは短い銀の髪をなぞった。

「……………」

 足音が意識に引っ掛かったのは、その時であった。

 石畳を叩く一定の調子。革靴の音。無論ソフィのものではない。後ろだ。

 人がいてもおかしくはない。まだ夕方である。夕飯の支度に急ぐ者、仕事帰りの者、急な用事で家を出る者、様々だろう。

 しかし、ソフィの家は町外れにある。この道を進めば進むほど民家は減り、ひとけはなくなる。

 ソフィは歩調をゆるめた。背後の気配に変化はない。徐々に距離が詰まり、男性とおぼしき重々しい足音が接近した。

「……………」

 息を詰める。

 ソフィはわずかに顔をかたむけ、警戒しながら視線を流し――

「――ああ、ここにいたんだね」

 至近距離にまで迫った人影よりもさらに後ろから、聞きなれた声がした。

(ギイ?)

 驚いて体ごと向きを変えようとした瞬間、すぐそばの人物は肩を揺らし、ソフィを追い抜いて去っていった。

 硬質な足音が遠ざかる。長身の男のようだった。

 ソフィは首をかしげて男の背中を見送ると、駆け寄ってきたギイへ視線を転じる。

「ギイ、どうしたの?」

「うん、ちょっと――今の人は? 知り合い?」

「さあ。顔はよく見えなかった。私に用事なのかとも思ったけど、違ったみたい」

「……………」

 ギイは目つきを鋭くして男が消えた方向を見据えた。が、すぐににこりと笑うと、いたずらっぽく言う。

「人形伯爵、かな」

「確かに服は高そうだったね」

 それに、刹那だけ見えた顔――

 つるりと白かった気がした。仮面でもかぶっているかのように。

「やっぱり送っていくよ。きみが人形伯爵の花嫁にされたら困る」

「信じてるの?」

 茶化すと、ギイは謎めいた微笑みを返してみせた。

「どうかな。興味はあるけどね」

 ソフィは歩きだしたギイのあとをついていく。

 多少気恥ずかしさはあったが、幸い彼の態度が平常心を保たせてくれた。

「ソフィ」

 落ち着いている状態でなら、ギイの声は適度に低く、優しく、柔らかく耳に響く。

「ん?」

「明日から、帰りがこのくらいになるときは僕に言って。送るから」

「ええ? いいよ、子供じゃあるまいし。それにギイのバイトだって、夜までの日もあるでしょ」

「そういうときは、悪いけど店で待っていて」

「どうしたの? いきなり」

 深夜ならともかく、まだ人出もある時刻だ。特に治安が悪いわけでもなく、人形伯爵の件はしょせん噂の域を出ない。いくら心配性とはいえいささか行き過ぎの感があった。

「何か気になることでもあるの?」

「ううん。ただ、きみがそばにいるって言ってくれたから」

 ――なぜ蒸し返すのか。

 ソフィは一気に狼狽した。

「ああれは、だからっ……!」

「ね、お願い。しばらくの間だけでいいから。寂しいんだ」

「そう言えば私が譲歩すると思ってない……?」

 うろんな眼差しを向けるソフィに、ギイは知らん顔で微笑んだ。

 分かっているのだろう。虚実どちらにせよ、彼女は決して無視できないと。

 ソフィは諦めて溜め息をついた。

「……分かった。どうせ用事が夕方までかかるなんてこと、滅多にないし」

 ソフィは大抵、買い物などは暗くなる前に済ませる。仕事は七割近くがセリーヌの仲介で、昼前に品物を届けるのが慣例だ。依頼人の所へ足を運ぶこともあるが、おおむね陽が落ちる前に用件は終わる。

 たまに遊びに出掛けても遅くなることはまずないし、それ以外の日は家で裁縫や人形作りに没頭している。

 ギイの負担もそれほど多くはならないだろう。かたくなに断りつづける理由はなかった。

「良かった。明日は?」

「特に予定はないから、お祭り用の人形を作るよ。家からは出ない」

「雪追い祭だっけ。人形って?」

「いくつか出し物があってね、私は幕間まくあいに人形劇をやるの。あと装飾用とか、景品用とか色々」

 静かな道程を他愛ない話で埋めていく。

 ギイは嬉しそうにただ聞いていた。



「――だから! こんな演出じゃ駄目だって!」

「んなこと言ったってなぁ、これ以上は予算がねえよ」

「飲食代削れよ、てめーら一日くらい抜いたって死にやしねえだろ」

「ちょっと、冗談じゃないわよ。それにもうお弁当は発注しちゃったんだから」

「他に削れるところはないのか?」

「つーか今更演出変えられたって困るんだけど」

「外灯の用意はできてるのよね?」

「もう時間ねーぞ。決まったことをグダグダ言うのは止めようぜ」

 ――町の集会所で。

 テーブルを囲み、菓子をつまみながら、若者達は声高く話しあっていた。

 再来週に迫った祭りの打ち合わせである。正しくは、その祭りで行う演目について。

 昼過ぎから開始した会合は、かれこれ四時間は続いている。

「なあノウル、持ち時間だけど、あと十分だけ延びねえ?」

 若者の一人が、壁際に立つノウルを振り返った。

「延びねーよ。おまえらの他にも舞台を使う奴はいるんだからな」

「そこをなんとか!」

「却下。決められた時間内で収めろ」

 ノウルは淡々とジュースを飲む。

「ていうか早く話を終わらせろよ。俺だって暇じゃないんだ」

「んなこと言ったって、ノウルがあの舞台の責任者だろー」

「あ、ねえねえノウル、爆薬とかで舞台に穴開けたら駄目?」

「駄目に決まってんだろーが!」

 笑いが弾ける。何人かは酒が入っていた。叱責も逆効果である。

 ノウルは溜め息をついて額を押さえる。

「――ねー、ソフィはどう思う?」

「……えっ」

 突然話を振られ、ソフィは肩を上げた。

 彼女はノウルの隣で椅子に腰掛け、身を小さくしている。

「えーと……」

 正直、どれについて尋ねられているのか分からなかった。よく議題が逸れる上、それぞれが別の話をしていたりするからだ。

「あの……」

 ソフィは困った。彼女は人付き合いが苦手である。慣れた者ならまだいいが、彼らとはあまり面識がなかった。

 それなら何故彼女がこの場にいるかというと、成り行きとしか言いようがない。元々は祭りのことでノウルに質問があり、二時間ほど前に訪れたのだが、テンションの高い彼らに引きずり込まれ、去る機会を逸して現在に至るのである。

「ソフィ、酔っ払いの相手なんか真面目にしなくていいぞ」

 ノウルが助け船を出した。

 しかしうなずくのはためらわれ、ソフィは結局曖昧に笑ってごまかす。

「酔っ払いとかひどーい。当日はソフィも幕間になんかやるんでしょ? ならさー、それとの兼ね合いもあるわけじゃん」

「ねーよ。ちょいちょい絡んでくるな、酔っ払い」

「ノウルはソフィに過保護だよなー」

 またもや爆笑が巻き起こる。

 ノウルは限界に達したようだった。つかつかと若者達に歩み寄り、リーダー格の青年に拳を叩きつける。

「いってぇ!」

「実にならんこと言ってる暇があったら結論を出せ! あと二十分だ、それ以上は待たないからな!」

 ええー、横暴ー、と文句が飛び交う。

 ノウルは一喝して彼らを黙らせ、ソフィを連れて外に出た。

 賑やかで、暖かく、窮屈な空気が扉の向こうに押し込まれ、代わりに静穏な冷風が頬を切る。

「悪かったな、ソフィ。うるさい奴らで」

「ううん、私は平気。色々聞けたし」

「俺はまだあいつらに付き合わなきゃならないから、送ってはいけないんだが――」

「あ、大丈夫。ギイと約束があるんだ」

 ソフィはマフラーを巻きながら言った。

「ここに来る前にお店に行ったらね、仕事が終わったら迎えに行くから、待っててって。多分もうすぐ来る頃だと思う」

「へえ。最近随分仲がいいな」

 ノウルは複雑そうに笑う。

「仲がいいというか……ギイ、寂しいみたい」

「寂しい?」

「親代わりの人と、離れて暮らしてるから。だから誰かと一緒にいたいんじゃないかな」

 ノウルは一瞬、不思議そうな顔をし――それから、思い悩むように指を自らの眉間に当てた。

「それ、本気で言ってる……んだよな?」

「? うん」

「……ギイが可哀相になってきたな」

「あ、でも最近は結構元気になってきたと思うよ。皆も心配してるって伝えたから」

「いや、そうじゃなくてな。……まあいいや」

 苦笑しつつ彼はソフィの頭に手を置いた。

「ま、頑張れよ」

「う、ん?」

 主語が不明だったが、とりあえずうなずいておく。

「お。噂をすれば」

 ノウルが声を上げる。

 その視線を追うと、少し先にギイの姿があった。

 手を振ろうとしたソフィは、奇妙に思って途中で腕を下げる。彼はなぜか凍りついたように立ち尽くしていた。

「んじゃな、ソフィ」

「あ、うん」

 ノウルはソフィから手を離し、なにやら騒がしくなりつつある集会所の中へ急いで戻っていった。気苦労の多い青年である。

 ソフィはフードをかぶりつつギイの元に駆け寄った。

「ギイ、ありがとう。お疲れ様」

「あ、うん」

 彼の笑顔がどことなくぎこちない。

「どうかした?」

「……………」

 ギイはわずかに眉をひそめ――

 静かにソフィの頭に手のひらを乗せた。

 困惑する彼女に構わず、そのままぽんぽん、と軽く叩く。

「な、何?」

「なんとなく」

 どうやら拗ねているらしかったが、理由については判然としなかった。



 その夜。

 もう遅いのに、誰だろうとは思った。

 不審に感じなかったわけではない。ただ、切羽詰まった声で仕事の話だと訴えられれば、ひとまずドアを開けぬわけにもいかなかった。

 一瞬視界に入ったのは、白い顔。――人形伯爵の仮面。

 ソフィの意識はそこで途切れた。

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