第5章

人形伯爵1

 甲高い剣戟けんげきの音が鳴り響く。

 激しく躍動する一対の木剣は時に噛み合い、時に空を斬り、時に互いの側面を滑りながら目まぐるしく位置を変える。打ち、離れ、離れてはまた打つ。殺気や敵意こそないものの、両者の雰囲気は鋭く気迫に満ち、息を呑むほどの緊張感は真剣勝負であることを物語っていた。

 一見攻防は互角だったが、よく観察すればそれは正確ではない。多く攻撃を仕掛けているのは片方のみで、もう片方は主にそれをいなし、受け流し、回避し、隙を見つけた際にだけ一撃を放っている。

 一人は褐色の髪の青年――ノウルであった。長身で体格も良い彼は積極的に攻勢をかけ、対戦者の守備を突破、もしくは崩そうと前へ出ている。

 一方、その相手はノウルに負けず劣らず応酬しているように見えて、実際は彼の切り込みに合わせた動きをしているに過ぎない。

 ノウルの褐色の髪が揺れるたび、汗の粒が飛ぶ。対戦者の金髪は涼しげになびくだけだった。

 ――ギイである。

 普段なら笑みを浮かべている唇は、今は厳しく引き結ばれている。真剣というよりは、無理をして一点集中しているような不自然な力みが感じられた。

(そろそろ、かな)

 ギイは絞り込んだ意識で機を見計らう。

 ノウルが疲れてくる頃合い――である。この時に少しばかり揺さぶって不意を突けば、十中八九、彼は対応できない。

 ギイはさらに感覚を高め――

 声が聞こえたのは、その瞬間だった。

「……あら、ソフィ――」

 離れたところで観戦していたセリーヌの。

 ほんの小さな呟きを、性能のいい耳が拾ってしまった。

 ギイは反射的にその名前の主を探す。すかさずノウルが踏み込んだ。ギイはとっさに退いて防ぐが、受け止めきれずに剣をわずかに揺らし、乱れた集中が姿勢をも崩す。

「……っと、わっ」

 そしてとどめとばかりに足払いを食らい、彼はそのまま転倒した。

 立て直す間を与えるほどノウルは愚鈍ではない。尻もちをついたギイの額に、こつん、と木剣の切っ先が当てられて、勝敗は決した。

「あー……」

 ギイはばつの悪そうな顔になる。

「まいりました」

「おまえ、これで三本連続だぞ」

 勝利したにもかかわらず、ノウルは釈然としない様子である。

「そうだねぇ」

「調子でも悪いのか? 最近注意力散漫だな」

「別に調子は悪くないけど……」

 ギイは落ち着きなく視線を流す。柵の向こうにセリーヌと――長い亜麻色の髪の娘が見えた。確か名前は『ソフィーア』だ。

「……………」

 ふっと息をついた。

「店でも気がつくとぼーっとしてやがって。給料減らすぞ」

「それは困る」

「だったら何とかしろよ。――悩み事か?」

「悩み……」

 尻もちをついたまま、いまいち回らない頭で思考する。

 十秒。二十秒。一分。二分……

 四分待ったノウルは辛抱強いと言っていいだろう。

「……もういい。早く着替えて店来いよ」

 タオルをギイに放り投げ、彼は店の方に歩いていった。

 ――澄んだ早朝の空気。体に染み入っていく冷えた風。頭の中まで透明にしてくれるかと思えば、そんなことはなかった。

 ギイはタオルの隙間から空を見上げる。

「月……見えないな」



「人形伯爵?」

 頬張ったオムライスを飲みこんで、ソフィはおうむ返しに尋ねた。

「結構な噂になっているみたいよ」

 と、隣で答えたのはセリーヌである。こちらはフォークにパスタを絡めて口へ運んでいる。

 二人は並んでカウンター席に座り、遅めの昼食をとっていた。

「人形伯爵って、あれだろ。あの怪談」

 ノウルがカウンターの向こうから口を挟んだ。料理する手を止めることなく、時折従業員に指示を飛ばしながら、その合間に会話を続けている。器用である。

「怪談? どんな?」

 聞き返したのはギイだ。彼は完全に仕事をほっぽり出してソフィの隣に立っている。

「人間嫌いな伯爵のお話だよ」

 ソフィが教えた。


 ――森の奥の屋敷で人形達と一緒に暮らす伯爵がいた。彼は顔に大きな傷があったため、常に白い仮面をかぶって過ごし、人を一切近づけなかった。

 ある時、伯爵がたびたび町に姿を現すようになり、花嫁を探しているのではないかという噂が立った。娘達は気味悪がって彼を避けていたが、とある商人の娘だけはお金欲しさに伯爵に近づいた。

 美しい娘はすぐに伯爵に気に入られ、屋敷に招かれることとなる。

 ずらりと並んだ人形達。薄暗く、静寂に満ちた屋敷。鼻白む娘に、伯爵は微笑んで言った。

『では、私の花嫁となるために、君を人形にしようか』――


「人間を人形に? 面白いね」

 ギイは興味深げに聞いている。

「で、セリーヌ。その怪談がどうしたんだ?」

「その怪談そのものではないんだけど――あ、ちょっとそれ取って」

「自分で取れよ……ほら」

「ありがと。――なんでもね、夜、道で声を掛けられるそうなの。『人形を作れるか?』って。それが白い仮面をつけた身なりのいい男らしいわ」

「作れるって答えるとどうなるの?」

 オムライスを完食したソフィが聞いた。

 セリーヌは肩をすくめる。

「屋敷に連れて行かれたが最後、帰ってはこられない……らしいけど、行方不明者が出たとは聞かないわね」

「じゃあ、作れないって言ったら?」

「何もせず姿を消すみたいだよ」

 答えたのはギイである。どうやら彼もその噂を知っていたらしい。

「オルガがねぇ、この間店に来て、物凄い勢いでまくし立てていったのよ。『伯爵の屋敷で人形を作っているつもりが、いつの間にか自分が人形になってるんだわー!』って」

「そっちの方が怪談っぽいね」

 水を飲みながら、ソフィ。

 ノウルは出来上がった料理を給仕係の娘に渡すと、いったん作業を止めてカウンターに腕を置き、身を乗り出した。

「その人形伯爵、誰か見た奴がいるのか?」

「あたしの周りではいないわね。オルガの旦那さんの妹の友達は見たとか言ってたって話だけど」

 信憑性の薄い話である。

 ソフィは話半分に聞き流し、デザートの果物盛り合わせを味わった。

「ソフィ、気をつけてね」

 言いながら、ギイがソフィの髪を撫でた。彼はこの頃よく触れてくる。

「気をつけるって?」

「人形伯爵でしょ」

 と、セリーヌ。

「そーだぞ。一番気をつけるべきはソフィだろ」

 ノウルが父親のような口調で言った。

「間違っても作れるなんて答えるなよ。いいか、知らない奴に声を掛けられても不用心に返事するなよ。ついていくなんてもってのほかだ。まず大声で叫べ」

「……まるで子供扱いだね」

 ソフィは苦笑した。そこまで危なっかしく見えるのだろうか。

「そういえば、ソフィは何歳なの?」

 思いついたようにギイが尋ねた。三人の視線がソフィに集中する。誰一人知らなかったらしい。

「……十八だよ」

「えっ!?」

 真っ先に目を剥いたのはノウルである。

「十六くらいかと思っ――いや、そうだよな、もうここに来て三年だし……」

「あたしもそのくらいのつもりでいたわ……」

「……うん、だよね」

 ソフィはギイを見やった。彼は何も言わないが、意外そうに目を丸くしている。

「そういや、ギイはいくつなんだ?」

「ん、僕? 生まれて二……、――二十歳、だね」

 明らかに『生まれて二年』と言いかけていた。二十歳というのはアルヴェート王子の年齢である。

 ――最近の彼はどうも迂闊だ。今までならば、気を抜いていても口を滑らせることなどなかった。

「……年下か」

 ノウルが重々しく呟く。彼は二十一歳である。

「おい年下、ところでおまえはいつまでサボってんだ。いい加減仕事しろ」

「ノウルだっておしゃべりしていたじゃないか」

「俺はちゃんと手を動かしてんだよ! 客が待ってんだろうが、とっとと注文とってこい!」

「えー。でもせっかくソフィが」

「給料減らすぞ」

 ギイは押し黙った。不満げに眉根を寄せ、しかしそれでも文句は言わずに盆を抱え直す。

「ソフィ、またね」

「うん」

 彼は手のひらで軽くソフィの頭に触れ、離れていった。

 なんとなく心配でソフィが眺めていると、さきほどから忙しく働いていた給仕係の青年がギイに近づき、彼を小突いて怒りはじめた。しかしすぐに諦念した様子で、ギイになにやら言いつける。色々苦労があるようである。

「――なあ、ソフィ。あいつ最近どうなんだ?」

 ギイを目で示しながらノウルが言った。

「どうって?」

「何か悩んでるとか」

 ソフィは首をかしげる。確かにここのところ冷や冷やする言動が多いが、心当たりはなく、悩み事があるようなそぶりもなかった。

「私は分からないけど……ギイが何か言ったの?」

「いや。ただ、様子がおかしいからさ。ちょっと油断してるとすぐにどっか意識飛ばしてるし、虚空を見つめてたりするし」

「よく見てるわねぇ」

 セリーヌが茶化した。

「いちいち目立つんだよあいつは」

「そんなにぼーっとしてるの?」

 気づかなかった、とソフィは肩を落とす。

「そりゃ、ソフィの前でぼんやりなんてしないでしょ。愛しい彼女の前だもの」

(そういうんじゃないんだけど……)

 ギイは恋をするために『ソフィを好きであるかのような言動をとっている』だけで、実際は違う。少なくともソフィはそう認識している。

 だが、周囲からすれば普通にギイが恋愛感情を抱いて口説いているとしか見えないだろう。ソフィが反論したところで、真実を告白できない以上説得力がない。

「よく溜め息ついてるし」

 ノウルは説明を続ける。

「にこにこして気分よさそうにしてたと思ったら、突然沈んだり、考え込んだり。にやついたり。まかないを出してもほとんど食べない」

「ねえ、至極基本的な突っ込みをしてもいいかしら?」

「何を言いたいかは予測できるが聞こう」

「今の話、どう聞いても恋煩こいわずらいなんだけど」

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