月と太陽8

「さっきの顔、もう一回してみて?」

 顔を上げたソフィが見たものは、恍惚こうこつとして輝く瞳であった。

「……は?」

「さっきの。こう、挑発的な」

「挑……発……?」

 ソフィには覚えがない。

「『話は終わってない』って言った時の顔よぉ!」

「……………」

 そこまで挑発的な顔をしていただろうか。ソフィは思い返したが、鏡があるわけでもないため自分では知り得ないことである。

「いいわ……あんな表情もいいわ! ぞくぞくするわね!」

 ソフィの背中もぞくぞくとしていた。おそらく彼とは別の意味で。

「今度、そういう表情の人形も作ってちょうだい。――あっ、別にすぐにというわけじゃないわよ? その時はちゃんと改めて依頼するわ。一週間こもりきりだったから、今は疲れているでしょうし」

「あ、はあ……」

 ぽかんとするソフィ、完全に引いているロザリア。三人組すら、気まずそうな面持ちで足をもぞもぞさせている。

「……で、そのお嬢さんの話だけど」

 アランは身を翻し、足音高く三人組の方へ歩いていくと、黒髪男の頭を再び床代わりにした。黒髪の青年は何で俺ばっかり、と口の動きだけでぼやいている。

「金は返してもらってるわけだし、元々何かするつもりはないわよ。ただ――そうね、このまま無罪放免ってことにしちゃうと、こっちのメンツも立たないわけ」

「……はい」

「歌姫なんでしょ? ソフィちゃんがそこまで推すなら、その『才』ってやつを見せてごらんなさい」

 ――そうくると思っていた。

 ソフィには予想通りだが、ロザリアにとっては予期せぬ成り行きだったらしい。

「え……ええ!?」

「アタシ達を納得させられるだけのものを見せてくれたら、すべて水に流してあげるわ」

 うろたえたロザリアがソフィを睨みつける。どういうつもりよ、とその目は訴えていた。

「大丈夫だよ。私は聴いたことないけど、皆褒めてた」

「き、聴いてもいないのによくそんなこと言えるわね」

「……彼らにとっても、これしか穏便な解決策がないんだよ」

 ソフィはロザリアだけに囁いた。

 クレヴリー商会はかなり強引な手段で大きくなったと聞いている。敵が多い上に金貸しという職業上、舐められてはおしまいなのだ。どんな理由にせよ、殴られたにもかかわらず相手を無条件で不問にはできない。

「譲歩してくれてる。だけどここまでだよ」

「……………」

 ロザリアは黙り込んだ。

「……あんたって、ずるい」

「え?」

 不可解な非難である。

 しかしロザリアはもうソフィを見ず、一歩前に踏み出した。

「あたしは確かに歌姫だけど――本当は、こっちの方が得意なの」

 彼女が手に持ったのは……笛である。

 ソフィは目を見開いた。

「笛? まあどっちでもいいわよ、歌でも笛でも」

「……………」

 どんな決意で歌姫が笛を選んだのか――ソフィには推察しがたい。

 彼女の才能の有無についても、実はよく分からない。だが、夢を見据えて進むこと、一途に追いかけること、今の場所に留まらず、誠実に努力をしつづけること。それは才に準ずる宝だと思った。

 だから――

 美しい奏者の唇が笛に当てられても、ソフィの胸にはいささかの懸念も生まれなかった。



「――あっ」

 屋敷から出た直後、ロザリアが先に気づいた。

 門に誰かが立っている。薄暗くなった空の下でも明るい金の髪。ぴんと伸びた背筋。どこにいても人目を引く容姿。

「……ソフィ!」

 ギイであった。

 安堵よりも焦燥感の強い表情は、よほど心配していたのだろうことが窺える。

「セリーヌから聞いたんだ。絶対に大丈夫だからって――本当に大丈夫? 何かされなかった?」

「大丈夫だよ」

 ギイの方へ向かいながらソフィが笑みを返す。

「ロザリアも、怪我とかしていない?」

「あっ……はい」

 ロザリアは屋敷の庭で立ちすくんでいた。ソフィが不思議に思って振り返ると、一瞬だけ痛みをこらえるような表情を見せる。

「ロザリア?」

「――大丈夫だったみたいだな」

 その時、塀の外側からノウルが顔を出した。

「あ、ノウル――ごめん、心配をかけたみたいで」

「いや、無事ならいいさ。あの変態に何もされなかったか?」

「うん、まあ、いつも通り」

 ノウルは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「多少変わってはいるけど、わりとまともな人だよ」

「それ結構ひどいこと言ってるぞ、ソフィ」

 そんな会話を交わす傍ら、ロザリアがギイに歩み寄った。

 深刻そうな彼女の様子が気にかかった。だが、ロザリアに促され少し離れたところで話しはじめた二人を見て、近づくのを遠慮する。

「……ソフィ。いいのか、あれ?」

 ノウルが二人を指差した。

「何が?」

「あの歌姫とギイ、仲いいんだろ。ほっといていいのか?」

「セリーヌと同じことを言うね。いいんじゃないかな」

「……前から聞きたかったんだが」

 ノウルは咳払いし、あさっての方を見る。

「ソフィは、ギイのことどう思ってるんだ?」

「――友達」

「それだけ?」

「大切な友達」

 彼は人形だ。愛情は抱いても恋心など芽生えるはずがない。

 触れられてどぎまぎするのは、彼が人形に見えないほど人間と近いせいだ。

 自分以外の人と仲良くしているのを見て寂しく思うのも、巣立ちを見守る親のような心地に過ぎない。

(……それだけ)

 それだけでなくなってしまったら、きっと不毛だろう。

「……でも」

 ノウルは声を落とした。

「この前、手をつないで歩いてたって」

「……え?」

「ほら、月の市があったろ。オルガとヨーシャが見かけたらしいんだよな」

「……………」

 さーっと音を立てて血の気が引いていく。

 あの時、ギイは周囲を確認していた。わざわざ確認してから手をつないだ。

(あ、あ、あ……)

 知人の存在を察知したから、そんな行動を起こしたのだ!

「――ひ、人違い!」

 一気に上がった熱を吐き出すように、ソフィは説得力のない言い訳をした。



 翌日――

 ロザリアは旅装束で、荷物を抱えてソフィの前に現れた。

 ソフィがセリーヌの店で新商品を物色した帰り、たまたまギイと会い、世間話に興じていたさなかのことであった。

「町を出る?」

 ソフィは愕然とした。

「ど、どうして?」

「あたしね、玉の輿に乗るのが野望なの」

 理由はたった一言。

 ソフィがギイを見やると、彼は苦笑いをしてうなずいた。

 ――言ったのだ、昨日。どんな話の流れだったのかは分からないが。ギイは決して裕福な貴族などではないと。

「そろそろ本格的に寒くなってくるしね。もっと暖かい地方へ行かないと」

「待って、ロザリア。あのね、ギイは――」

「笛の腕前も磨きたいし」

 彼女はぴしゃりと言い切った。淡々としている。ギイを見る目に以前のような熱は一切ない。徹底して冷淡だった。

(そんな……!)

 確かにお金は大事だが、それだけでこうまで態度を変えるだろうか。

「応援しているよ。今度、僕にも笛を聴かせて」

 ギイはいつも通り穏やかである。未練があるようには見えなかった。

「じゃ、町の門で父さんが待ってるから。もう行くわね」

「え……ええ?」

 困惑するソフィの前で、物柔らかなギイとそっけないロザリアの視線が刹那だけ絡み合った。気の強そうな琥珀色の目に、ちらりと寂しげな色がよぎる。

 彼女は開きかけた唇をいったん閉ざした。呑み込んだ言葉の代わりに小さく告げる。

「……じゃあ」

 ひどく短い挨拶。単語だけ切って貼りつけたような。

 歌姫は返事も待たずに背を向けて、振り返ることなく駆け去っていった。

「ギイ、いいの?」

 ソフィは慌ててギイの服の袖を引く。

 いくら玉の輿が夢だからといっても、ギイならば彼女を夢中にさせることもできるだろう。

 だが、彼にその気はないようだった。

「うん。しょうがないよね。僕は彼女の理想とは違うみたいだから」

「でも――」

「大丈夫だよ。彼女にしか恋できないわけじゃない」

 それは確かにそうである。そしてギイに好意を寄せる女性も、別にロザリアだけに限らない。

「……もったいないなぁ。いい子なのに」

 ソフィは落胆の息を吐いた。

 そんな彼女を苦笑しながら見つめると、ギイは空を仰ぐ。

「いいんだよ。彼女には彼女の求めるものがあるんだし、それに――」

「それに?」

「僕には太陽より月の方が眩しいみたいだ」

「…………?」

 つられてソフィも空を見る。

 澄んだ空、うっすらと白い月が視認できた。しかし冬とはいえ、やはり太陽の方が明るい。

「月、が……いいの?」

 話の脈絡が見えなかったが、とりあえず掘り下げてみる。

「ん――そうだね」

「じゃあ、今度お月見でもする? セリーヌやノウルも誘って」

 ソフィは心が浮き立った。彼が何かを好ましいと言ったのは初めてである。これを機に趣味や没頭できるものが増えるかもしれない。

「うん」

 ギイは眩しげにソフィを見下ろすと、さりげなく彼女の頬を撫でた。

「でも、せっかくなら二人きりがいいな」

「またっ……そういうことを」

 ギイはくすくすと笑いをこぼし、もう一度、幻のような月を眺めた。



「ロザリア、本当にいいのかい?」

 さっさと町の門をくぐったロザリアに、父のホーンは気遣わしげな一言を投げた。

「気になる人がいるんじゃ――」

「もう気になってないから」

「……………」

 押しの弱い父はそれ以上突っ込んではこなかった。嘘をつく時、ロザリアは感情のこもらない硬質な声音になる。知っているだろうに。

(……だってしょうがないじゃない)

 にじみそうになる涙をこらえる。

 ――ギイは、一度もソフィのことを話題に出しはしなかった。

 しなかったが、分かるのだ。

 話す時の目線、ちょっとした仕草や歩き方、会話の端々から。誰か別の人間がいつもそばにいるのだろうということが。彼はうまく包み隠しているつもりだったのだろうが、恋する女の洞察力を見くびってもらっては困る。

 確信したのは一緒に町を散策していた時だ。家の軒先に、小さな人形が吊り下げてあった。この町でよく見かける人形だな、と疑問に思っていたら、魔除けの類で昔からの風習なのだという。腕のいい人形師に作ってもらうと効果が高いらしいと――そう語る彼の表情で、勘が働いた。

 駄目押しとなったのは昨日、クレヴリー商会で。

 屋敷から先に姿を見せたのはロザリアだった。ギイと先に目が合ったのも。

 それでも彼が最初に名前を呼んだのはソフィだった。

 だからあの日、ロザリアはギイに尋ねたのだ。それは一種の賭けだった。

『あの子のことが好きですか?』

 彼はなぜか驚いた。考えたことがないとでも言うふうに。

 そして一時を置いたあと――腑に落ちた様子で答えたのである。

 ――ロザリアを諦めさせるための方便だったのかもしれない。あるいは別の意味だった可能性もある。――いや。

(……止めよう)

 ロザリアは頭を振った。未練がましい。

「もっといい男を引っ掛けて、玉の輿と笛の奏者になるんだから!」

「ロザリアの夢は大きいね~」

「あ、父さん。あたしもう歌わないから」

「え!?」

「表現方法は笛だって構わないでしょ」

 空を見上げてロザリアは月を探す。

 せめて月があれほど清廉でなければ、徹底抗戦もできたのだ。敗因はその光に目が眩んだこと。

(太陽を褒め称える曲でも作ろうかしら)

 くそう、と美しい声で毒づき、道を歩いていく。

 あの時の彼の、この上なく優しい眼差しを振り払って。



『――うん、好きだよ』

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