月と太陽7
クレヴリー商会の当主は、アラン・クレヴリーという、弱冠二十五歳の青年である。
彼は十七で父の跡を継いで以来、金貸し業に留まらず、酒場の経営や布製品の仕入れなどで商会を大きくした切れ者だ。
極めて合理的な考え方の持ち主で、利益のためなら親でも捨てると噂されるほど冷徹、そして非情な青年である。
「……なんで、そんな風に脅すわけ?」
「少し静かにしていて欲しいから」
商会の門の前で、ソフィとロザリアはそんなやり取りをしていた。
大きな屋敷である。それを囲む砂色の塀は高い。侵入者を拒み、また内側からの脱出を容易には許さない威圧感に満ちている。立派な鉄の門扉は気安げに開放されているが、まるで獣の顎のように獲物を待ち構えている印象しかなかった。
「貴女がしゃべると、残念ながら事態は悪化しそう」
「……あんた、意外と辛辣ね」
「うん」
ちょっと前にも似た会話をしたような、と思いながら、ソフィは門を越え、整えられた庭を進み、屋敷の扉の前に立った。
扉の前には誰もいない。確か鍵も掛かっていないと記憶していた。
ノックするとすぐさま扉が開かれ、可愛らしい制服姿の少女が顔を見せる。
「――あら? 人形師の」
「ソフィ・ブライトです。クレヴリーさんに会わせていただきたいのですが」
「はい、どうぞー」
ロザリアが呆気にとられるほどの気軽さで、二人は屋敷の中に招き入れられた。
「ご案内しますね」
磨かれた床を歩いてカウンターを通りすぎ、二階へと上がっていく。すれ違う強面の者たちがじろじろと――主にロザリアを品定めしていた。
「さきほどセリーヌさんがいらっしゃいましたよ」
「ああ……やっぱり」
ソフィはうなずく。耳も頭の回転も早い彼女ならそうするだろうと踏んでいた。
「それでですね、今――」
『――てめえら沈められてえか!』
くぐもった重低音が廊下の空気を打った。どうやら奥の部屋の中らしい。
ソフィとロザリアは水を浴びたように凍りつく。
案内役の少女だけが変わらず緩んだ微笑みを浮かべていた。
「部下の方をお叱り中でしてー。不機嫌です。まあちょっとアレですけど、あなた方も関係者ですし、このままお通ししますけど構いませんよね?」
「……ということは、叱られている人というのは」
「あなた方を追いかけ回していた方々です。品が無い、と」
品が無い。叱るところがずれている気もしたが、ソフィは無言で了承した。
案内役の少女はためらうことなくドアをノックし、室内に声を掛ける。
「クレヴリー様、ローレリアです。開けますね」
開けますね。もっと他に掛けるべき言葉がある気もしたが、ソフィはやはり無言を貫いた。
少女がドアを開き、ソフィ達に入室を促す。
部屋の奥、真正面に立っていたのは二十代半ばほどの青年――アラン・クレヴリーその人であった。
おそらくロザリアは驚愕しただろう。なにしろついさっき恐ろしく低い声で怒鳴ったこのアランという男は、女性と見紛うばかりの華奢な体つきをしているのだ。
濃い灰色の髪を細く長く伸ばしており、服も中性的で体型の分かりにくいものを着用している。何にも増してその容貌。長い睫毛にすっきりとした顎、滑らかな頬は性別を誤認させる。ぱっと見はやや大柄な女性だった。
「……………」
彼は机の前で腕を組み、繊細な
そしてそれを向けられているのは、床――ではなく、床に正座させられた三人の若者だった。
「あっ」
彼らを見たロザリアが小さく声を上げる。あの三人組である。
「あ、この女――!」
黒髪男がロザリアに気づいて腰を伸ばす。瞬間。
「誰が立っていいっつった? ああ?」
アランの踵が容赦なく黒髪男の頭に叩きつけられた。彼はなすすべなく床に額を打ちつけ、這いつくばる格好で硬直する。
ソフィの背後でドアが閉まった。案内嬢の足音が遠ざかっていく。
屋敷の規模とは裏腹に、この部屋は狭苦しい。大きめのデスクと、そこに積み上げられた書類、壁際に並ぶ重厚な本棚、神経質なまでに整頓されたファイルの類――訪問者を委縮させる意図があるのだろう。
「……突然すみません、クレヴリーさん」
「……………」
切れ長の目がゆっくりとソフィに移動した。
ソフィは息を吸って覚悟を決め、ロザリアは身を硬くする。
アラン・クレヴリーは一歩近づき、そして――
「――ソフィちゃんっ!」
なよやかに叫ぶと勢いよくソフィに抱きついた。
「……へ?」
ロザリアが目を丸くする。
ソフィは無の心で熱い抱擁と頬擦りに耐えていた。
「もー、ごめんなさいねぇ、このクッソ馬鹿どもがさぁ! セリーヌからソフィちゃんも間違って追われてるって聞いて、こいつらもう海に沈めてやろうと思ってたのよ!」
「……いえ、無事ですからそこまでは」
「手は大丈夫なの、手は!? 見せてごらんなさい、あの麗しい人形を作るための手が傷ついてたりしたらもう、――アタシはこのガキどもを埋めるわ」
最後の一言だけは男性らしい低音であった。正座している三人組が顔面を蒼白にする。
「大丈夫です、それであの、これを」
アランから身を剥がし、ソフィは携えていた鞄を示した。ファスナーを開けて中身の少女人形を差し出す。
「ご依頼の品です」
「――まあ!」
アランは女性的な顔に喜色を浮かべた。
人形を受け取り、ガラス細工にでも触れるように慎重に確かめていく。その眼差しは商売人のそれであり、また趣味人の好奇にも溢れ、子供じみた無邪気な喜びも混ざっていた。
「……素晴らしいわ」
その感想に、ソフィはひとまず胸を撫で下ろす。
「お気に召していただけて良かったです」
「それはもう! 髪の艶から顔のパーツから頬の色や指先の爪も動きのある形もドレスに至るまで最高よ! さっすがアタシのソフィちゃんね、王都にもなかなかここまでのものを作れる人形師はいないわ。しかもこれを――これを一週間でなんて! 普通なら一ヶ月はかかるところよ!」
「人形をいじっていた期間だけは長いので……」
「ああ、この表情がたまらないわ……! 幼い中にも知性と涼しげな気の強さが表れた絶妙な目と眉、そして唇! 無垢で可愛らしいのもいいけど、こういうツンとした感じもそそられるわよね!」
アランは人形を掲げながら小躍りなどしている。くるくるくるくると回り、部下の手のひらを踏みつけたが、まったくの知らん顔であった。
「……な、なに。なんなの?」
ロザリアは
「私のお得意様なの」
アラン・クレヴリーは無類の少女人形収集家なのである。ただし、新品専門の。
いたるところから愛らしい少女人形を買い漁っては、専用の部屋――否、御殿を設けて飾り、多忙な仕事の合間に愛でているらしかった。
以前人形制作の依頼を受けてからというもの、いたくソフィを気に入ったようで、度々仕事を頼まれる。
ソフィにとってはありがたいことなのだが、しかしやはり場所にも人物にも慣れない。
「それと……もう一つ」
ソフィは唾を呑みこんで本題に入った。
「彼女のことです」
「……………」
アランは急に真面目な顔つきに戻り、人形を大切そうに棚の上に置くと、ロザリアを見やった。
「その子ね。聞いてるわよ。金を返しに来た時、ちょっと冗談言ったら殴りかかってきたから追いかけた、って言ってるけど」
「なっ……」
「ロザリア」
ソフィは文句を言いかけたロザリアを抑える。彼女は不満そうに眉根を寄せたものの、おとなしく口を結んだ。
「一度、返済のために誤って大切な笛を渡してしまったらしいんです。それで宝石のついた装飾品との交換を希望したところ、承諾してくれたと」
「へーえ」
そんな細かい事情までは話していなかったのだろう。初耳だとばかりに睨みつけるクレヴリー家当主に、三人組は首を竦めて視線を逸らした。
「その時に――まあその。彼らに、触られたようで。思わず叩いてしまったそうです」
「そっちのお嬢ちゃんが先に手を出したのは、間違いないのね?」
ひや、とする。
さきほどまでのソフィに対する温かみなど微塵もない。
「……はい、それは、間違いありません」
「話は分かったわ。ソフィちゃんは関係ないんでしょう? 後はこっちで話をつけるから、貴女はお帰りなさいな」
「……………」
好意的ではあるが、決して優しくはない声音。
彼は確かにソフィの腕を買ってくれている。だが、それはあくまで人形師としての役割を逸脱しないことが前提だ。
彼の望む人形を提供すること。それがソフィに求められている役目であり、そこを踏み越えて出しゃばった真似をすれば、彼は即座にソフィを切り捨てるだろう。
しかし、だからといってロザリアを見捨てるわけにはいかなかった。彼女はギイの恋人候補であるし、何より、ひたむきに前を見て走る彼女の姿に、陰りを作りたくない。
「私の話はまだ終わっていません」
ソフィは挑むように言った。
アランの鋭い目がすうっと温度を下げていく。紅の引かれた唇は笑みの形を保っていたが、それは笑顔ではなかった。
「確かに、先に手を出したのは彼女です。ですがなにぶん浅はかな女子供のしたこと。どうかその大らかな器で水に流してはもらえませんか」
「……………」
「クレヴリー家は才ある者の可能性を摘むようなことはしないと思っています。彼女の喉も指も精神も、肉体すべてで至宝です。欠けさせては愚かというもの」
ロザリアが口の端を引きつらせた。
――彼女は才能の塊で、傷つけることは損失です。
そう言っているのだ。ロザリアからしてみれば、とんでもない大ボラである。
「どうか彼女の才に免じて、今回のことは軽い戯れと目をつぶってください。お願いします」
ソフィは深々と頭を下げた。
びっくりしたロザリアが慌ててそれに倣う。
「……………」
冷え切った空気は、長い時間戻らなかった。
ソフィの背筋を冷たいものが這いあがっていき、しばらくして今度は汗ばんでくる。伸縮を繰り返す心臓だけが残った。
(……どこか間違ったかな)
殴ってクレヴリー商会のメンツを潰したのは間違いない。だが衆目にさらされたわけではないし、言い方は悪いがどう見てもあの三人組は下っ端である。その上返済も済んでいるのだから、これ以上ロザリアを追い込む必要はないはずだった。実力主義のアラン・クレヴリーならば。
「……………」
かつん、とアランが踵を鳴らした。近づいてくる。ゆっくりと。
ソフィは身じろぎせず、頭をさげたまま黙って待った。
女性的な造作に似合わぬ無骨な手が銀色の頭をなぞり――
「――ねえ、ソフィちゃん」
ぞっとするほど艶やかな声が、ソフィの耳を撫でた。
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