月と太陽5
最近ノウルの機嫌が悪い、と気づいてはいた。
というより、ギイに対して不愉快に思っているようだった。出来上がった料理を渡される際、鋭い
(どれのことだろう)
この間の手合わせで手加減したことだろうか。ノウルの目を盗んで厨房に忍び込み、料理をしてみたことだろうか。仕事中長々とお客さんの話に付き合っていたことだろうか。あるいは――
「……おい、ギイ」
慌ただしい時間が過ぎ、ある程度落ち着いたところで、ノウルはようやく話す気になったらしかった。
「なに?」
「おまえ、噂は本当なのか」
「噂って?」
その時点でギイは彼の言わんとすることを察したが、素知らぬふりで聞き返す。
「旅芸人の歌姫と仲がいいみたいだな」
「ロザリア? そうだね、よく会うよ」
悪びれず肯定したギイに、ノウルは刺々しい雰囲気を微妙にゆるめた。代わりに怪訝そうな顔つきになる。
「その歌姫に心変わりしたって、噂になってんだよ」
「へえ。初めて聞いたよ」
その返答は嘘ではないが、真実でもなかった。直接耳にしてはいないが、そんな噂が立っているということは周囲の反応で分かる。
「噂は噂ってことなんだな?」
「うーん。恋人じゃないけど、仲良くなるために会ってるのは本当」
「はあ?」
一気にノウルの表情が険しくなる。
「おい――まさかソフィと二股かけてんじゃねえだろうな」
「かけてないよ。そもそも僕とソフィは恋人じゃないって、聞いたんでしょ?」
親しい人間には、彼女自らが懇切丁寧に誤解を解いていた。そのため、ギイも彼らに対しては殊更にソフィと恋人だなどとは主張しなくなったのである。
「おまえ、ソフィのこと本気だって言ってたよな」
「言ったね」
「乗り換えるってことか? ソフィを悲しませたら許さねえぞ」
「悲しまないよ」
なぜかギイはむっとした。
「大体、ソフィが勧めたことだよ。彼女と仲良くなったらどうって」
「……ソフィが?」
「ソフィに言われなければ、僕から積極的に関わろうとは思わなかった」
そう、これは彼女の希望だ。提案に同意したのは確かだし、彼女が提案しなくても同様のことを思いつくくらいはしただろう。それでも、ソフィの望みでさえなければ、ロザリアと親密になるつもりはなかった。――そんな気がした。
「……よく分からねえんだが。つまりおまえは、ソフィに言われたからその歌姫に付き合ってるってことか?」
「そう」
「なんで言われたからってその通りにするんだよ」
「ノウルは、包丁で肉を切ったあとに、なんで切れるんだって思う?」
ノウルは眉を顰めた。
「僕にとってはそれと同じなんだよ。なんでと言われても困る」
人形だから。
人の望みを優先する、人形だからだ。
――だが、それならば、この頃感じる奇妙な居心地の悪さはなんなのだろう。
かすかな違和感としこり。今はまだ、無視できる程度に小さいもの。もし大きくなってしまったら、いつかの人形のようにソフィを傷つけるのではないかという、漠然とした不安があった。
「おまえな、じゃあソフィに死ねって言われたら死ぬのか」
「……どうかな」
死ぬよ――そう答えかけて、止めた。冗談っぽく笑ってみせる。
「おまえが惚れてんのはソフィなんだろうが。だったら、他の女を紹介なんてできないくらい、逆にソフィを惚れさせてやるって気概をみせろよ。なんでも望みをハイハイ言って聞いてるだけじゃ落とせねえぞ」
「きみってさ」
ギイは唖然とした。
「人が好すぎるんじゃないの?」
「おまえに言われると腹が立つ」
ノウルは本気で不本意そうだった。
彼は溜め息をつき、持ったままのフライパンを軽くカウンターに当てる。視線は考え込むように下を向いていた。
「ソフィは人に心を開かない」
ややあって、ノウルは唐突に告げる。
「三年前、ここに越してきた時からそうだった。話しかければ普通に答えるし、笑いもするが、自分から人に関わろうとしなかった。――いいか、三年だ。ここまで近づくのに三年かかった」
野良猫の餌付けより気の長い話である。
ノウルは恨みがましい目でギイを見据えた。
「なのに、おまえはあっさりソフィに近づきやがって」
「生来の人柄かな」
「言ってろ」
ギイの発言はあながち間違いではない。生来の――生まれ持った性質、つまりは人形だからだ。彼女は人形を信用しすぎる。
信頼はしても信用はすべきでないと、ギイは思うのだが。
「とにかく、ソフィが気を許してる以上、まあ俺もあんまグチグチ疑ったりはしねえけどな――」
「充分グチグチ言ってるけど」
「女好きだからって、適当なことしてソフィを傷つけるなよ」
ギイはきょとんとした。
「女好き? 僕が?」
「いっつも女
「彼女達から話しかけてくるんだよ」
「誰かれ構わずにこにこ愛想よくしてるからだろうが」
「それの何がいけないの?」
「だから、そういう曖昧なことをしてソフィを傷つけるなって言ってるんだ」
ギイが女性に囲まれることでソフィが傷つくとは到底思えなかった。むしろ率先して応援しそうである。ギイはなんとなく納得がいかない。
「――あら、ちょうど良かった」
その時、艶やかな声が二人の会話を終わらせた。
黒髪を綺麗に結いあげたセリーヌがやってくる。面白い玩具を見つけたような顔だった。
「ねえ、表がちょっとした騒ぎになっているんだけど――知ってる?」
「何がだ?」
「女の子二人がクレヴリー商会の人間に追われてるんですって。下っ端連中ばかりだけど、結構数を揃えてしつこく捜しているみたい」
「クレヴリー商会って、貸金業の?」
尋ねたのはギイである。
ノウルがうなずき、吐き捨てるように補足した。
「無担保ですぐに貸してくれるってんで、結構利用する奴もいるみたいだけどな、あんなのただのチンピラだよ。取り立てって名目でかなりえぐいこともやってるって話だ」
「基本的に一般人には手を出さないんだけどねぇ。末端の子たちは、ちょっと品がなくて血の気が多いのよね」
「末端? 上も充分品がないだろ」
「それはノウルの私情でしょ」
どうやらノウルは彼らにあまり良い感情を持っていないらしい。
ギイはセリーヌに話を促した。
「追われてる女の子達は大丈夫なの?」
「さすがに女の子相手にそうそう無体なことはしないと思うけれど――ただね、その女の子っていうのが、一人は旅芸人の歌姫らしいのよ」
「ロザリア?」
ギイは驚きに目を見張った。
「相手が彼女となると、絡んで手酷くフラれたって線も考えられるわね。お金を借りるようなタイプには見えなかったし」
「ったく、どうしようもない奴らだな……」
「それと、追われているもう一人っていうのがね」
セリーヌはいったん間を置いた。どうやらそれが本題だったらしい。試すような目でギイを見やる。
「――銀髪の女の子、らしいわ」
「ソフィなのか?」
間髪入れずにノウルが問う。
「この辺りで銀髪の女の子っていったらソフィしかいないわ。間違いないでしょうね」
「――ノウル、僕もうあがるね」
ギイはエプロンを外すと許可も待たずに背を向けた。ノウルの制止を無視して店を駆け出ていく。
「おい、剣忘れてるぞー」
カウンターの内側からノウルが剣を取り出した時には、すでにギイの姿はなかった。
風のような去りっぷりである。
「どこにいるか分からないってのに……」
「というか、ソフィが本気で隠れるつもりなら、誰にも見つけられないわよね」
「それで最初の頃にどれだけ苦労したことか」
仲良くなろうと思ってソフィを訪ねても、どこにもいないのである。本当に猫にでも姿を変えて隠れているのではと訝しんだほどだ。
「――で、セリーヌ。これから報告に行くんだな?」
「ええ、一応ね。ロザリアって子はともかく、ソフィがお金を借りるわけはないし、彼らと揉め事を起こすとも思えないわ。なら、何とかしてくれるでしょ」
「……………」
「あら、嫌そうね」
セリーヌはおかしそうにころころと笑った。
「面白い人なのに」
「ああいうのはな」
ノウルはぶっきらぼうに言い捨てる。
「変態って言うんだよ」
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