月と太陽3
歌姫は鮮やかな髪色と同様、情熱的だった。連日のようにギイへ熱烈なアプローチを仕掛けているらしい。
ギイも特に断ることなく彼女に付き合っているようだった。
ソフィはというと、ちょうど大口の仕事が入ったため、しばらく家に引きこもっていた。二人の進捗状況は気がかりだが、だからと言って大切な仕事をなおざりにするわけにはいかない。
一段落がつき、外に出られた時にはいつの間にか一週間が経過していた。
「――いい天気だなぁ」
久しぶりに解放感を味わいながら町を歩く。
いつもと同じ朝の光。いや、昼も近いから朝とは言えないだろうか。
近頃は太陽の色もすっかり淡くなり、風が吹くと首をすくめて
もうすぐ冬だ。
「今日はお鍋にしようかな。白菜と、豆腐と……」
昼食もまだだというのに、夕飯の献立に心躍らせる。
そのせいか、呼びかけられるまで気がつかなかった。
「ソフィ」
弾んだ声に、ソフィは顔を上げる。駆け寄ってきたのはギイだった。
「お疲れさま。仕事は終わったんだ?」
ノウルあたりから聞いたのだろう。第一声が気遣いなのは彼らしい。
「うん。まだちょっと仕上げが残っているけどね。ギイは?」
「僕はお休みだよ」
ギイは目を細めてソフィを見つめた。
――何か言いたげな表情だった。ソフィは問うために口を開きかける。
それより早く、ギイが視線だけで背後を振り返った。彼は外套のフードをかぶると、おもむろにソフィの手を取って路地に入っていく。
「どうしたの?」
「しー」
ギイはソフィを壁際に追いやり、声を潜めた。どことなく楽しげである。
何が起こるのか戦々恐々としていると、ギイの体越しに、赤毛をなびかせた美少女がさっと通りすぎていくのが見えた。
彼女はまったく二人に気づかなかったようである。戻ってくる気配もない。
「どうして隠れるの?」
姿も見えていなかった彼女の接近を、どうやって察知したのかは疑問だったが、それより身を隠す意味が分からなかった。
「せっかくソフィに会えたからね。ゆっくり話したいし」
「話って?」
「え?」
困惑したように聞き返され、ソフィも困った。
「話があるんじゃないの?」
「……特にこれといって話があるわけでもないんだけど」
わざわざ恋人候補の女性の目を逃れるくらいである。重要な用件だろうかと身構えていたソフィは肩の力を抜いた。
「あの子――ロザリアさんとは、どう? うまくいきそう?」
「うーん」
意外にもギイの返事は暗かった。
「可愛いとは、思うけどね」
「少し気が強そうだけど、はっきりしてて気持ちの良い子だよね。すごく綺麗で華があるし。……胸もあるし」
「胸?」
口が滑ったことに気づいたが、遅かった。
気まずさのあまりうつむくソフィを見て、ギイがぷっと噴き出す。
「きみって、可愛いよね」
「……私のことはどうでもいいの」
コンプレックスなわけではない、断じて。もう少しあればな、と思ったことはあるが。
「恋、できそう?」
しようと思ってできるものではないが――彼の場合、悠長に待ってはいられまい。彼は人形だ。役目もなく、使命もなく、主から離れて、ただただ時とともに流れているのは苦痛に違いない。
「どうだろうね」
しかし、当の本人は億劫そうだった。
「好みじゃない……とか?」
「よく分からない。ただ――」
ギイは言葉を探すように逡巡した。戸惑いに揺れる瞳がソフィに据えられる。
続きはなかなかこなかった。
ソフィが促すつもりで顎を上げると、ギイは何かを見つけたらしく、少し目を大きくして彼女の顔を覗きこんだ。
「ソフィ」
「なに?」
「糸くずがついてる」
「え、どこ――」
苦笑しながら、彼はソフィの前髪に触れる。
長い指が銀の髪をつまんだ。
「……………」
――それは、ほんの一瞬。
髪を落としたギイの指先が、名残惜しげにこめかみの辺りをなぞって離れていった。
(……今……)
その触れ方にいささか違和感を覚えてギイを見上げる。
「取れたよ」
彼は平常通りの穏やかな微笑みを浮かべていた。
「あ、ありがとう」
ギイは、触れる時はもっと露骨だ。癖なのか完全な計算なのかは不明だが、意図して相手の感情を乱す。さらに言えば、周囲の目も考慮した上でもっとも効果的な行動を選んでとっている。
だから意味がない。――そう、意味がないのだ、今のような触れ方には。
(……気のせい、かな)
こめかみがほのかに熱を帯びているのも、錯覚だ。
「あ、そうだ。これを渡そうと思っていたんだ」
ギイは嬉々として外套から何かを取り出した。小さな紙袋である。
「プレゼント」
渡されたソフィは首をひねった。プレゼント。今日は彼女の誕生日ではない。特別な日というわけでもなかったはずだ。
疑問符を頭に浮かべながら袋を開けると、三つの小瓶が転がり出た。それぞれに赤、青、黄色の砂が入っている。
「……あれ、これ」
「レッドファッタで採れる染料なんだって」
「ええ!? これ、どこで?」
レッドファッタは海を越えた南にある国である。王都でもなかなかお目にかかれない代物だ。
「この前の月の市で見かけたんだ。欲しいって言ってたでしょ?」
「……………」
月の市は三日間開催される。まさかロザリアとのデート中に購入したわけではないだろうが――軽い気持ちで告げただけのものを、彼はわざわざ探したのだろうか。それともたまたま発見しただけだろうか。
いや、彼なら探し回ったに違いない。
ソフィはくすぐったさに笑みをこぼした。
「……ありがとう。いくらだった?」
「いくら、って」
「値段」
「……僕、プレゼントだって言ったんだけどな」
ギイは財布を出そうとしたソフィの手を止めた。
「きみを喜ばせたかっただけだよ。もらっておいて」
「そんなわけにはいかないよ。高かったでしょ? 見つけてくれただけでも充分嬉しいから」
「――それね、初めてもらったお給料で買ったんだ」
尚更もらえない。ソフィは改めて断ろうとしたが、有無を言わせぬ笑顔にたじろぎ、口をつぐんだ。
「だからこそ、いつも僕に付き合ってくれてるきみにお礼がしたかったんだよ」
「う、うーん。でも」
「どうしても気になるっていうなら、今度僕のお願いを聞いてくれる?」
ソフィは目をぱちくりさせた。
「お願い?」
「あとで言うよ。聞いてくれる? くれない?」
「内容にもよるんだけど……」
しかしあらかじめ教えてくれそうな雰囲気ではない。ソフィは仕方なくうなずいた。
「良かった。じゃあそれは受け取ってね」
「で、お願いって?」
「今度言うよ」
(……あれ?)
にこにこと笑って話を打ち切ったギイに、不信感が芽生えた。
「……………」
(――もしかして言いくるめられた?)
今度という日は来るのだろうか。なんとなく来ないような気がする。
手の中の小瓶を見つめながら、ソフィは複雑な思いを溜め息に乗せた。
「――母さんの笛を売った!?」
ロザリアは愕然として立ち上がった。
軽い椅子がけたたましい音を立てて倒れる。安い宿だ、壁も薄い。隣室の宿泊客は顔をしかめたことだろう。
だが、そんなことに配慮する余裕はロザリアにはなかった。
「売ったって、父さん、どういうこと!?」
「いやぁ、それがね」
娘の剣幕に、父は呑気な笑みを返していた。
「ちょっと遊んだら、借金を作ってしまって」
「……なんですって?」
ロザリアはすぐに直感した。博打だ。このどうしようもない父は、弱いくせに賭け事が好きなのである。
「その場にちょうど、金貸しの人がいてね。貸してもらったんだよ。でもほら、すぐに返せなくて利子が増えてしまうと、ロザリアが怒るだろう? 返済はお金じゃなくて現品でもいいっていうから、手元にあった母さんの笛を――」
「――馬鹿じゃないの!?」
ロザリアは眩暈に襲われた。
母の笛は確かにそれなりの価値があるが、それ以上にロザリアにとっては思い出の品である。
「あれは大切な笛なのよ!? 母さんが唯一残していってくれたものじゃない! あたしがどれだけ大事にしてたか知ってるでしょ!」
「うん、そうなんだけどね。本当にそれしかなくて――」
「そもそも何で借金作るまでギャンブルするのよ! 何度も止めてって言ったわよね!?」
「いやほら、でも、父さんにとってはね、ちょっとした息抜きというか」
「限度を知れって言ってんの!」
ロザリアはテーブルを叩いた。
「そんなだから母さんに逃げられるのよ!」
「ロザリア……」
父は激しいショックを受けたように瞠目する。
そしてめそめそと泣きだした。
「ロザリア、ひどい……父さんのトラウマをえぐるなんて……」
「泣いて済むなら世界はとっくに平和なのよ!」
スケールの大きい叱り方をすると、ロザリアはコートをひっつかんでドアへ向かった。
「ロザリア、どこに行くんだい? 今から下の酒場で仕事――」
「取り返してくるの! 父さん一人で働いて!」
「ええっ……父さんのハープだけじゃ無理だよ。ロザリアの歌がないと……」
「父さんが歌えば!」
「ひどい、父さんが音痴だって知って――」
父の泣きごとをドアで閉めだす。
(信じられない)
煮えたぎる感情に言葉を投げ込んだ。
(信じられない、信じられない! 父さんの馬鹿!)
罵声を投げるたびに、マグマのように飛沫が上がる。ロザリアはよく怒るが、これほど激怒したのは久々だった。
(母さんの、笛を――)
なんとしても取り返さなければ。
ロザリアは鬼の形相で宿の階段を駆けおりていった。
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