第4章

月と太陽1

「これから行く町で、あんたは運命の人と出逢うよ」

 とある町の、とある路地裏で――

 辻占い師の老爺にそう告げられ、ロザリアは感動に打ち震えた。

 六歳の時から、十一年間。

 甲斐性のない父親と二人、放浪の旅を続けてきた。

 贅沢などできない貧乏暮らし。寒さに震え、雨に泣き、虫と格闘し、町から町へと芸を披露しながら移動する生活。

 夜盗に追われ命の危機を感じたことも一度や二度ではない。おかげで女だてらに腕っぷしが強くなったし肝も据わったが、父を庇ってチンピラを怒鳴りつけたあと、ふと虚しくなる瞬間がある。

 どれだけ気丈でも、ロザリアとて年頃の乙女である。

(あたしだって、憧れているのよ)

 素敵な王子様が迎えに来てくれる時を――



 市場は活気に溢れていた。

 威勢のいい呼び込み、値切りの交渉、子供たちの歓声。様々な露店商が品物を並べ、人々はここぞとばかりに買い物に熱中する。

 いま行われているのは、月に一度の大きな市だった。

「色んなものがあるね」

 ギイが興味深そうに視線を巡らせている。

 その隣を歩きながら、ソフィは小さくうなずいた。

「商隊が異国のものも仕入れてきたりするからね。見ているだけでも面白いと思うよ」

「うん、面白い」

 子供のように目を輝かせ、次から次へと品物を手にとっては眺めていく姿は微笑ましい。ソフィは温かな気持ちで目を細めた。

「ソフィは何か買うの?」

「うーん。珍しい染料でもあったら買いたいけど……」

「染料だね。探してみるよ」

「あ、大丈夫だよ。どうしても必要なわけじゃないから。ギイの好きなものを見ればいいよ」

 ギイは困った表情で微笑む。

 ――好きなもの。彼にはないのだ。剣術でさえ、彼は『楽しい』とは言ったが、『好き』だとは感じていないようだった。

 必要なら捨てたり無視したりできる程度の関心しか持たない。余計なこだわりなど学んでしまえば、代役として支障が出るからだ。

「何か、適当に買ってみたら? 意外と面白いかも知れないよ」

 提案すると、ギイは少し悩んで辺りを見回し――ふと視線を一点に縫いとめた。とある露店へと近づいていく。

 彼が覗いたのは、古本を扱う店だった。

 置いてあるのは主に小説だ。日焼けした、味わいのある書物が乱雑に並んでいる。

 意外に思ってそのまま様子を眺めていると、ギイは何冊か手に取って軽く中身を確かめたあと、一冊を選んだ。

 ちらりと見えたタイトル。

『恋花の都~氷の蕾は甘く咲いて~』

「……………」

 十代の少女が好むような、ベタベタな恋愛小説だった。

「……ギイ、それ――買うの?」

「うん」

 ギイは何の恥じらいも見せずにその小説を購入した。店主があからさまに引いていたが、気にも留めていない。

「そういうのがいいの?」

「いいか悪いかは分からないけど、恋の勉強になるかなと思って」

「そ……そう」

 少女の夢と理想に溢れた恋愛小説が参考になるかは微妙だと思ったが、せっかくの買い物に水を差すのもはばかられる。ソフィは曖昧に笑って話を流した。

「ソフィ」

 ふいにギイが呼び、ソフィの腕を掴んで引き寄せた。意図をはかりかね、困惑した彼女のすぐ脇を、一人の男性が早足で過ぎていく。

「あ、ごめん。ありがとう」

「うん――」

 ギイは視線だけで周囲を探り、束の間思案した。そしてソフィの腕を離したかと思うと、今度は手のひらを握る。

「……何?」

「はぐれたら大変だから」

 にこりと笑うと、彼はソフィの手を握ったまま歩き始めた。

「そこまで、混んでないけど」

 温かい手の感触に慌てながら、ソフィはささやかな抵抗を試みる。

 人出は確かに多いが、まだ早い時間だからか、ごった返していて歩くのも困難というほどではない。道幅もそれなりにある。わずかでも注意していれば見失うことはないだろう。

「またぶつかりそうになっても危ないし。ね?」

 どうやら離す気はないらしい。

 これも恋人の模倣だろうか――じわじわとせり上がってくる羞恥の熱に耐えながら、ソフィはギイのあとをついていった。

(ギイは人形、ギイは人形……)

 人形なら手をつないでも抱きしめても何ら恥ずかしくはない。周囲にどう見られるかはこの際別として。

 しかしどれだけ言い聞かせても、彼女の努力が報われることはなかった。

「……ん?」

 ギイが足を止めた。角の向こうが騒がしい。

「どうしたの?」

 ソフィが角を覗きこもうとした、その時。

「――いっ!?」

「わっ」

 ソフィの目前に、少女の顔が出現した。単に角を曲がってきたのだろうが。

 よほど急いでいたらしく、少女は急ブレーキをかけたものの勢いを殺しきれずにソフィに衝突し――

 ……そうになったところで、ギイが素早くソフィの手を引いた。

 少女はバランスを崩し、そのままそばにあった果物の露店に突っ込んだ。大きな籠がひっくり返り、豪快に果物が散らばっていく。

「あーっ!」

 露店の店主らしき女性は真っ青になった。

「あんた! 何して――」

 店主の抗議を弾くようにして、少女ががばっと上半身を跳ね起こす。鮮やかな赤毛が躍った。

 彼女は店主を無視してソフィ達の方を振り返ると――

「ちょっと! なんでそんなところにぼーっと突っ立って――」

 鋭くつり上がった柳眉が、一瞬にして柔らかな曲線に戻る。

 職人が丁寧に彫りこんだ彫刻のような、息を呑むほど美しい少女だった。

 やや目尻の上がった琥珀色の目は気性の荒さを表しているが、今は呆気に取られたように丸い。花びらを思わせる唇はぽかんと開き、無防備に白い歯を覗かせていた。

 夢見るような、そんな表情だった。

 しかし彼女が見ているのは夢ではない。ギイだ。

「大丈夫?」

 元々は彼女の自業自得とはいえ、果物の山に突っ込ませておきながら、ギイはまるで通りすがりの親切な人であった。

 彼が手を差し伸べると、少女は夢から覚めた様子で、がしっとそれを捕まえる。逃がすまいとする執念が垣間見えた。

「あ、あたしっ! ロザリア・ベルモントと申します!」

「え? ああ、うん」

 唐突な自己紹介に困惑しながらも、ギイは笑顔を返す。

(……これは)

 後ろで傍観していたソフィは悟った。

 少女の赤く染まった頬と輝く瞳は一目瞭然だ。

「あのっ、あなた様のお名前は――」

「――やーっと追いついたぜ」

 緩んだ声が割り込んだ。瞬間、少女は興奮顔を強張らせ、小さく舌打ちする。

 赤ら顔をにやつかせた男が二人、角から現れた。

「ただ歌ってくれって言ってるだけじゃねえかよ。旅芸人なんだろ?」

「そうそう。俺らは客だぜ」

 朝だというのに、もう酒が入っているらしい。

 ソフィはギイに促されて彼らから離れた。

「あたしは歌うだけよ。娼婦じゃないわ、馬鹿にしないで!」

 爛々と燃える琥珀の双眸は豹のようだった。彼らに触られでもしたのか、怒り心頭といった調子である。

「朝っぱらから酒なんか飲んで、情けないわね! そんな暇があったら働きなさいよ、このろくでなし! そんなだから女が寄ってこないのよ!」

 威勢のいい啖呵だった。

 ソフィは感心を通り越して感動すら覚えてしまう。不安げに窺っていた人々も小さく失笑した。

 嘲笑されたと感じたのか、男達はみるみるにやけ顔をゆがませていく。

「この女、芸人のくせに――」

「女性を誘うなら、それなりのやり方が必要でしょう」

 よく通る声が男達を制した。

 ギイが二者の間に割って入る。

 彼は柔らかな笑顔のままだが、いつもとは雰囲気が違う。犬のような親しみは消え失せ、代わりにどこか威圧的な、傲慢とも思えるほどの冷厳さを纏っていた。

 声音、表情、態度、仕草――人をかしずかせ、従わせるための、彼の模倣。

 辺りは水を打ったように静まり返った。

「……出直しておいで」

 男達は鼻白んだ。

 だが、酒で気が大きくなっているのか、衆目の前で後には引けないと考えたのか、悪態をついて懐をまさぐる。

「どちらが先に相手に届くかな」

 男の手が何かを引き抜く前に、ギイは腰の剣に触れた。

 空気が凍りつく。

 男達の顔からは血の気が失せていた。それでも面子を潰したくないのだろう、迷うように手が震える。

「……お酒って怖いよね?」

 いささか緊張感を和らげた口調でギイが言った。

「きみたちはただ酔っ払って気分が高揚してしまっただけ。仕事がきついなら、それくらい仕方ないことだよ。そうでしょう?」

「あ……ああ」

 気圧されて男の一人がうなずく。

「それなら、お遊びの範囲内だよね。この程度なら」

 これ以上騒ぐつもりなら容赦しない――言外ににじませた脅しに、男達は引きつった笑いを浮かべた。

「ああ……お遊びだよ。な、なあ?」

「も、もちろん……」

「良かった」

 ふっと空気がゆるんだ。

 ギイは足元に転がった果物を二つ拾いあげ、袖で軽く拭くと男達に放り投げる。

「皮を剥けばきれいだよ。二日酔いになったら食べるといい」

 彼らは狼狽しながら果物を受け取り、そそくさと去っていった。

 それを見送ってから、ギイは硬貨をいくつか取り出して果物屋の店主に手渡す。

「駄目になった商品の代金、これで足りる?」

「えっ、ええ……はい」

(……お見事)

 長年人の上に立ち、民を導いてきた王族の代役だ。そこらのチンピラや一般庶民が反論などできるはずもない。

「きみは、大丈夫だった?」

 ギイは赤毛の少女に向き直った。少女は放心したように座り込んでいる。

「どこか怪我をした?」

 続けてギイが問うと、少女はようやく我に返って立ち上がる。

 興奮か、緊張か、あるいは別の感情か――彫りの深い美貌には艶が生まれていた。

「あたし――ロザリア・ベルモントです!」

「うん、さっき教えてくれたね」

「あたしを嫁にもらってくださいっ!」

 ギイは笑顔を維持したまま――

「……ん?」

 珍しく、不可解とでも言いたげに聞き返した。













※恋花の都

 巷で大人気の少女小説。花を咲かせる力を持つ少女フラウシエラと、心を閉ざした冷たい国王アイナスのベッタベタなラブロマンス。現在六巻まで発行されている。略称はコイバナ。

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