濁り水2
狭い店内には様々な人形が陳列されていた。
壁際と中央の棚にずらりと並ぶ着せ替え人形、ぬいぐるみ、木彫り人形や観賞用の工芸品、ついでとばかりに隙間に押し込まれた衣装や小物類。
安いものから高いもの、一見しただけでは値段が分からないものまで、節操なく置かれている。
「いらっしゃい」
店主は初老の男性だった。丸い眼鏡の奥で無関心そうにソフィを一瞥し、すぐに手元の本へ興味を戻す。
ソフィはカウンターに鞄を置き、ビスクドールを取り出した。
「先週、こちらでこの人形を買った人がいると思うんですが」
無愛想な店主はビスクドールを見るなり険しい顔をし、ああ、と溜め息をついた。
「それ、やっぱり問題が出た?」
「やっぱり?」
「以前買った人もね、なんだか気持ち悪いって、返品してきたんだよ」
「気持ち悪い……というと」
「変な夢を見るって言ってたかな。いつも見られてるとか、動くだとか。気のせいじゃないかって言ったんだけどねぇ」
ビスクドールは涼しい顔で微笑んでいる。
「これは、どういう経緯で手に入れられたんですか?」
「女性が売りに来たんだよ。姪の遺品だけど、手元に置いておくのは辛いからって」
「その方のお名前は?」
「そこまではちょっとね。上品そうな婦人だったって覚えはあるけど」
「いつ頃のことですか?」
「――お嬢さん、探偵かなにかかね?」
無論それは警戒をこめた皮肉だろう。
ソフィはしばらくためらった後、自らの首筋に手を差し入れ、細い鎖を服の胸元から引き抜いた。
鎖の先端で揺れているのは、卵型のプレートだ。美しい少女人形の横顔が彫りこまれている。
店主は身を乗り出してプレートを凝視した。
「公認人形技師? ……これは驚いた」
人形師といえば、大抵は人形作家か繰り師のどちらかを指す。人形技師とは、その両方、すなわち制作から繰りまでを一人でこなす者――加えて、自律人形を作る技術を持った人形師のみが名乗ることを許される。国でもわずかな者しか有していない称号である。
「このビスクドールには魂が宿っているみたいなんです。それを除くために来ました。教えていただけませんか」
取得が困難とは言っても、公認人形技師には権威も地位もない。そもそも一般人は名称すら知らない者がほとんどだろう。それでもこの業界に関わる者にとっては、充分な信用の証となるはずだった。
「……仕方ないね」
店主はその眼差しから疑念の色を消した。
「確か先々月だよ。初め頃だった。マルニエから来たと言っていたかな。温和そうな、品のある人でね。喪服だったから、姪御さんの葬儀の直後だったんだろう」
よく覚えている。店の雑多で異様な雰囲気が客を遠ざけているのかも知れない。
「いや――ああ、そうだ。確かに姪の葬儀の後だと言っていたか。そうそう、元はそのビスクドールのドレスに、リボンがついていてね」
「リボン?」
「左腕のところだよ。結構派手な焦げ目があったんで、外したんだ。姪御さん、火事で亡くなったそうだよ」
火事。それなら調べるのは難しくない。
「そのくらいかな。まさかその人形に魂が宿ってるなんて思わなかったからね。深く追及もしなかった。人形を店に置いている間も、特に変わったことなんてなかったし」
「そうですか……ありがとうございます」
得られる情報はここまでだろう。ソフィは礼を言ってビスクドールをしまうと、店をあとにした。
持ち主が亡くなったのは先々月の上旬。ビスクドールに魂が宿ったのがその時なら、間違いなく火事以上の何らかの事件があったはずである。また、売りに来た婦人の特徴からすると、姪も良家の子女である可能性が高い。
ソフィは図書館で新聞記事を調べていた。
婦人はマルニエから来たそうだが、姪の住んでいた町については明確ではない。この町で葬儀を終えてマルニエへ帰る直前だったのか、別の町で葬儀を済ませてマルニエへ帰る途中、ここに立ち寄っただけだったのか。
この町と、マルニエを含めた近辺の町の事件――それも、火事を伴うものを確認していく必要がある。
(遺品を持ってきたのが、なぜ両親ではないのか)
両親も亡くなっているのかも知れない。その事件で。姪の両親から形見分けしてもらったのなら、いくら辛いからと言っても葬儀の直後に手放したりはしないだろう。
とすれば、かなり絞れるはずだ。
「――トルチュ郊外で火事」
ソフィはとある記事に目を留めた。
「ジャン・ブルジェ氏の屋敷が半焼……婦人と令嬢を遺体で発見。婦人は首をくくった状態で発見され、令嬢は――」
続く文章を呑みこみ、足元を見る。
鞄がわずかに開いており、そこから青いガラス玉だけが覗いていた。
母とともに死亡した娘の名は。
「……オレリア・ブルジェ」
ぐるり、と青い目が回った。
屋敷は寒々しい風にさらされていた。
屋敷を囲う塀は強固に内側を守っているが、正面の門は錆びつき、軋みさえ上げそうな脆さで揺れている。無造作に伸びつつある草花、塀を侵食する苔、そこかしこで蠢く蜘蛛の糸。
人がいなくなれば、こうも簡単に『家』は崩壊する。
「……………」
ソフィは鞄を抱えてゆっくりと門に近づいていった。
屋敷は左半分が焼け焦げて変色しており、ガラスが割れたのであろう窓は黒ずんで穴が開いたまま。事件のあと放置されたきりなのだ。
ソフィは足を止めた。門のそばに人が佇んでいる。栗色の髪をきれいに結いあげた、身なりの良い女性だった。
「ブルジェ家ゆかりの方ですか?」
半ば予想がつきながらも尋ねると、女性は驚いたように振り返る。
二十代後半ほどの、楚々とした女性だった。おとなしそうな――というよりも、どこか薄幸そうな、活力に乏しい印象を受ける。
「ここにはもうどなたも住んでいないと聞いたのですが……」
ソフィは鞄をその場に置き、フードを脱いだ。
女性はいささか怪訝そうに瞳を揺らしたが、相手が自分より随分年下の少女だと知ると、あまり警戒した様子も見せずに答える。
「ええ――わたくしの、兄の屋敷なの。義姉と、姪が住んでいたのだけど……」
「火事が、あったそうですね」
「ええ……」
うなずきながら、女性は視線を屋敷からソフィへと移す。すると、ふいに見開かれた目が、次いで嬉しそうに細められた。
「まあ――まあ、あなた。あなたがそれを買ってくださったのね?」
「……え?」
彼女が見ているもの。
鞄の上にちょこんと座った、ビスクドール。
「…………!」
寒気が背筋を駆けあがる。
ソフィはビスクドールを出していない。鞄すら開けてはいなかったのだ。
「ええ、その――元の持ち主が、この屋敷のご令嬢だったと聞いて。少し気になって、来てみたんです」
動揺を強引に押しこめ、笑顔を作る。
幸い不審には思われなかったようで、女性はただ悲しげに睫毛を伏せた。
「そうなの……ええ、確かにそのビスクドールは、姪のものよ。義姉がプレゼントしたらしいの。とても大切にしていたわ」
「お義姉さま――きれいな、方だったとか」
異国の人だったらしい。近所に聞きこみをしたところ、何かのパーティーでブルジェ氏が見初め、周囲の反対を押し切って結婚したとのことだった。
「ええ。義姉も、その子である姪も、とても美しくて。そう、あなたと同じきれいな銀の髪」
女性は親しみと慈愛のこもった目でソフィを見つめた。
「中身もとても美しくて、繊細な女性だったわ。だから――だからね、わたくし、最初から心配していたの」
「心配?」
「……兄は、とても奔放な人だったから」
ジャン・ブルジェは女性関係が派手だった。
結婚当初こそ彼は新妻を寵愛したが、彼女が身ごもったとたん、再び外で遊ぶようになったという。
「子供ができてから、夫婦仲は悪くなっていく一方で……」
ビスクドールが青い目を動かして女性を凝視する。
女性は何かに追い立てられるように語った。
「義姉が悩んでいることは知っていたけれど、わたくしも嫁いだ身。なかなか訪れることもできなかった。義姉は――子供ができたせいで、夫が帰ってこなくなったと、思っていたみたい」
「……………」
子供の泣き叫ぶ声がたまに聞こえていたと、噂好きの主婦たちが教えてくれた。
――火事のあった日。
ブルジェ夫人は首を吊り、その娘であるオレリアは、絞殺されていた。
「二人は、きっと兄を恨んでいるでしょうね」
ジャン・ブルジェは屋敷を捨て置いたまま愛人の家に入り浸っているというのだから、正直呪われても仕方ないとソフィは思ってしまう。
「どうして助けられなかったのかと……わたくし、ずっと後悔していたわ。何度ここへ来てみても、時間は戻らないというのに」
「……………」
「オレリアが――姪が大切にしていたその人形だけは、本当は持ち帰るつもりだったの。でも、いざ目にすると、胸が潰れそうで……」
女性はハンカチを目元に当て、大きく息を吐いた。
「でも、オレリアと同じ髪のあなたが手に入れたのなら――きっと運命なのね」
美しい髪だわ――そう言って、女性はソフィの髪を撫でた。
目立つだけのこの銀髪が、ソフィはあまり好きではない。しかも少年のような短さだ。一般的にはありえない。この国では、女性の髪は少なくとも肩につく程度はあるのが普通である。
だが――
「……そうですね。そう思います」
ソフィははにかむように微笑した。
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