第2章

オムライスはいかが?1

 それは、突拍子もない宣戦布告から始まった。

「どうしてもソフィと付き合いたいなら、俺を倒してからにしろ!」

 人通りの多いオープンカフェで。

 一体何がどうしてそうなったのか、ノウル・カートナー青年はギイにそう突きつけたのだった。



 ――事の起こりは十数分前。

 そのテーブルは、妙な緊張感に包まれていた。

 剣呑、と言ってもいいかもしれない。

 ただしそういった雰囲気を放出しているのは片方の人物だけで、もう一人の方は極めてフレンドリーな笑みのままだった。

「……………」

 最近若者に話題のカフェである。

 しゃれた内装の店内も好評だが、通りに面したテラス席も可愛らしいテーブルクロスや小物が置かれており、特に女性から人気を集めているらしかった。

 もっとも、すべてセリーヌからの情報で、ソフィは今日初めて訪れたのだが。

 そんな評判のカフェで、近頃すっかり涼しくなった風に吹かれながら、男二人が向かいあって座っていた。

 ギイとノウルである。

 ノウルは仏頂面で、腕を組み、ギイを睨みつけるように鋭く見据えていた。

 一方ギイは余裕ともとれる穏やかな王子様スマイルで、あからさまな敵意を受け流している。

「……なんであんなに険悪なの?」

 そして二人から少し離れた席に、ソフィとセリーヌは座っていた。

「険悪にしてるのはノウルだけみたいだけどねー」

 セリーヌは面白がっている。

 ――元々ノウルは、ギイに改めて礼をしたいと言っていた。リナエルの件である。彼はリナエルの年の離れた兄なのだ。

 しかしノウルはギイに対してつっけんどんで、ソフィが困り果てていたところ、セリーヌがやってきた。

 そしてセリーヌに促されるまま、ソフィは二人から離れた席についたのだが。

「全然、男同士で会話が弾んでいる感じじゃないんだけど」

「二人で腹を割って話し合えば仲良くなると思ったんだけどねぇ」

 困ったものね、とセリーヌはまったく困っていない口調で首をかしげる。

「そもそも、なんでノウルはギイにあんな態度なのかな」

 ノウルは人当たりがいい。老若男女問わず笑顔で接し、困っている人がいれば助け、誰かが悩んでいれば力になる。近所の兄貴分のような好青年だ。

 三年前ソフィがこの町にやってきたときも、なかなか馴染もうとしない彼女に積極的に話しかけ、心を砕いてくれたのである。

「特に第一印象が悪かったわけでもないと思うし」

「まあ、いきなりライバルが現れればね……」

「ライバル? なんの?」

「さあ?」

 セリーヌは艶やかな唇で微笑み、ソフィの頭を撫でた。

 男二人はかれこれ十分以上睨みあっている。ノウルは礼を言えたのだろうか、とソフィはぼんやり思った。



「妹を助けてくれたことだけは感謝する」

 非常に不本意そうにノウルは言った。

「どういたしまして」

 ギイは気を悪くした様子もなく、物柔らかな微笑みを返す。

 それがまた癪に障ったのか、ノウルはさらに眉間のしわを深くした。

「で、結局、何なんだあんたは」

「何って?」

「ソフィの何なんだ?」

「恋人」

 ノウルのこめかみが引きつる。

「ソフィは依頼人だって言ってたが。何の依頼だ? いつまでここにいる予定なんだ」

「うーん。ソフィに内緒にしてって言われているからね。悪いけど、二人だけの秘密」

 無論それはギイが人形であることに関してのみなのだが、意味ありげに人差し指など立てられては、深読みするなという方が無理な話である。

 ノウルの苛立ちはますます募っていく。

「……ソフィは、俺にとってもう一人の妹みたいなもんなんだ。遊んでるだけなら、つきまとうのはやめてくれ」

「妹――」

 笑みがかすかに変化した。ギイは両手を合わせて指を組み、テーブルの上に乗せる。指先に置かれた紅茶はすでに冷めていた。

「遊んでいるつもりはないよ。そっちこそ、妹だと思っているのなら、幸せを願って遠くから見守るものなんじゃない?」

 ノウルのまとう空気が棘を増した。近くを通った給仕係が困惑しながら離れていく。

「本気だってのか」

「もちろん本気だよ」

 ノウルはうさんくさそうにギイを睨んだ。

「……なんだかな。あんたを見てると、いまいち腑に落ちねえんだよ。俺を邪魔に感じてるわけでもなさそうだし、ソフィをよく構ってはいるけど、振り向いてもらいたいと思ってるようにも見えない」

「……………」

 案外勘がいいな、とギイは感心した。

 ――所詮は真似事。実感が伴わない人形には、説得力も迫真性もない。それはギイが一番よく分かっている。

 だが、だからといって遊びなどと言われるのは心外だった。

「これでも、ソフィに嫌われないよう遠慮しているんだよ」

 ゆるやかに微笑んであしらう。

「本気だったら、応援してくれるの? 

 だん! とテーブルが鳴った。カップが震える。ノウルが拳を打ちつけたのだ。

「おまえみたいな怪しげな奴、誰が認めるか」

「認める権利があるのは、ソフィだけだよ。僕は彼女が嫌がることは何もしていない。――嫌がることはね」

「困ってるのが分かんねえのか」

「恥ずかしがりやだからね。少し触れただけで真っ赤になる。そういうところも可愛いけど」

 椅子を蹴り飛ばしてノウルは立ち上がった。

 離れた席で様子を窺っていたソフィとセリーヌが、何事かと腰を浮かす。

 完全に頭に血が昇っているノウルは、人目もはばからず大声を上げた。

「どうしてもソフィと付き合いたいなら、俺を倒してからにしろ!」



 ……帰りたい。

 ソフィの頭の中では、ただその一文だけがひたすら巡っていた。

 場所はとある定食屋。昼時だというのに、テーブルで料理を待つ客は一人もいない。

 ただし、観客は壁際に大量にいた。

「――今の時代、料理もできない男なんぞ廃棄物だ」

 店内の中央で、おたまなど持ちながら力説しているのは、ノウルである。使いこまれた風情のエプロンが眩しい。

「惚れた女に料理の一つも作ってやれねえようじゃ、男とは言えん!」

 ギャラリーがなぜかおおおっ、と歓声を上げる。

 つまり一戦目は料理対決らしい。

(ノウル、アルコールでも入ってるのかな)

 ソフィは真面目に心配した。テンションがおかしい。

 なぜこんなことになっているのか、まったく理解できなかった。ソフィは観客の目から隠れるようにフードをしっかりと引き下げる。

「おまえが本当にソフィに相応しいかどうか、俺が見極めてやる!」

 ノウルはどうもギイに対して不信感を持っているようだった。心配してくれているということはソフィにも分かる。分かるのだが、なぜこういう展開になるのだろうか。

「ソフィの好物はオムライスだ」

「へえ。そうなんだ?」

 ノウルと同じく白いエプロンをつけたギイが、ソフィの方を振り向いた。

 仕立ての良い衣服と粗末なエプロンは明らかに不釣り合いだが、姿勢も良く見目麗しい彼が身につけていると、不思議とさまになる。

「そんなことも知らなかったのか?」

 ノウルが勝ち誇ったように言う。

 ギイは動じず、甘やかな笑みをソフィに向けた。

「知らないことは、これからゆっくりと知っていけばいいよね、ソフィ」

 女性陣の黄色い声と視線に、ソフィは帰りたい、と再度呟いた。しかし隣のセリーヌが逃がしてくれない。

「ギイ! どちらがソフィの満足できるオムライスを作れるか……勝負だ」

 ギイは手元に置かれた包丁を興味深そうに取り上げる。道具を点検しているというよりは、珍しいものでも見たような表情だった。

「……ギイ。君、料理なんてできるの?」

 ソフィはこっそりとギイに話しかける。

 彼は余裕だった。

「ソフィ、僕はね」

 余裕の微笑みで。

「包丁を握ったの、今日が初めて」

「……………」

 王子の代役である。料理などというスキルがついているはずはなかった。

「実は、オムライスがどんなものかもよく知らないんだけど」

「え……ええっ!?」

「まあ何とかなるよ。包丁も剣も似たようなものだよね」

 その理屈なら、プロの料理人はすべて凄腕の剣士ということになってしまう。

「ちょ……ちょっと待って!」

「大丈夫、模倣は得意だから。ノウルのやり方を真似すればいいんでしょ?」

「――ほーら、ソフィ。貴女は中立な立場じゃなきゃ駄目でしょ」

 ギイを止めようと伸ばした手が、セリーヌに阻まれる。

 ソフィの思いも虚しく、男二人は厨房へと消えていった。

(あ……あああああ……)

 ものすごく嫌な予感がした。

 ノウルは料理人である。美味しいオムライスを作り上げるに違いない。時々ソフィに御馳走してくれるのだ。彼の作る料理は美味しい。

 だが、ギイは――

 彼に味覚はあるだろう。よく紅茶を美味しいと言って飲む。味音痴でもなさそうだ。

 しかし、この胸騒ぎは何なのか。

(食べるのは、私なの?)

 ――帰りたい。

 叶えられることのない願いは、胸の内で乾いて反響しただけだった。

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