人形師と迷い犬4
人形は、人間のために存在する。
ソフィが人形を作るのは人を幸せにするためだ。人形のせいで人が危険な目に遭っては本末転倒である。
ギイの言葉は正しい。基本的には代わりが利くのが人形だ。なくなったとしても新しいものを贈ることができる。だが、贈るべき相手がいなくなっては意味がない。
それでも、ソフィは人形師である。
人形にも幸せになってほしいし、使い捨てのように扱ってはほしくない。ひどいエゴだと分かってはいても。
「――ソフィ、男物の服なんてどこで?」
寝室で着替えたソフィが戻ると、同じく着替え終わったらしいギイが服の袖をひらひらさせた。
彼が着ているのは、古いデザインの、黒を基調とした衣服である。若干丈が足りないようだが、気になるほどでもないだろう。
「昔、人形を作ったときにちょっとね。服が乾くまでそれを着てて。で、こっち座って」
ギイは言われた通り椅子に腰掛ける。ソフィは彼の前に椅子をもう一脚置いた。
「ここに足を乗せて」
「足?」
「怪我したでしょう」
滑りづらいよう素足になったのだろうが、石だらけの河原である。その上氾濫してゴミや木の枝なども流れていたのだ。無傷とは思えなかった。
「平気だよ。多少傷はついただろうけど、自然に修復する」
「痛みはあるんでしょ? 専用の薬をつけるから、見せて」
「きみにそんなことさせられない」
ギイは眉を顰めた。
召使いでもあるまいし、女性に男の足を触らせ、あまつさえ手当てなどさせられない、というのが彼の言い分らしい。
「そういう貴婦人扱いはしなくていいから、見せて」
「ソフィ」
「見せて」
渋々ギイは椅子に足を乗せた。ソフィはその隣に座り、薬箱を開けて指先ですくい取る。
人形に血は通っていない。当然だが、ギイの足にはいくつか傷が見られるだけで、出血などはなかった。
手早く薬を塗り、最後にもう一度確認してから、作業を終える。
「ありがとう。きみは優しいね」
ソフィは複雑な表情で薬を彼に差し出した。
「あげる。怪我をしたら使って」
「え? ――でもこれ、貴重なものだよね?」
「この辺りに君みたいな自律人形は他にいないし、使いどころがないんだよ」
「高く売れるでしょ」
「いま使ってしまったから、もう売り物にはならない」
――自分をもっと大切にしなさいとは、言えない。
人間を優先するよう作っているのは人形師だ。
だからこそ、彼らに気を配れるのも人形師だと思っている。
「……じゃあ、大切に使わせてもらうよ」
小さく苦笑して、ギイは薬箱に口付けた。
「きみだと思って」
「……………」
(やっぱり渡さなくても良かったかもしれない)
後の祭り、である。
翌日以降、案の定ギイは町中の人々の注目を集めることとなった。
突然現れた貴族のように上品な美青年。それだけでも充分騒がれるというのに、少女の危機を救い、しかもとある人形師に公然と言い寄っている――
話題にならないはずがない。
ギイはソフィのことを有名人だと言ったが、せいぜい『どこそこの辺りに銀髪の人形師がいる』という程度で、顔や名前まで認識しているのは近所の者だけだ。珍しい銀髪さえ隠してしまえば、気に留める人などいなかった。
――それなのに。
(……家にこもりたい)
フードを深くかぶりながらソフィは愚痴った。
ひそひそと――特に若い娘たちの囁き声が聞こえてくる。大通りは人が多く、時折馬車も行き交う。本来なら、溢れる雑多な音がささいな会話などかき消してくれるはずだった。
が、ソフィが通りかかると誰もが一瞬沈黙し、それからちらちらと視線を投げながら密やかな噂話を始める。聞きたくなくても背中に届いてしまう。
ソフィ一人であれば、大抵フードで顔を隠しているため、そうそう気づかれることはなかったろう。
しかし残念なことに、まったく身を潜める気のないギイが、今は隣にいた。
「ソフィ、次はどこに行くの?」
通りすぎる女性の熱い視線もどこ吹く風、にこにことギイが尋ねる。
「次……次は、もう帰る」
「え? 買い物が沢山あるんじゃないの? まだ夕飯の材料しか買ってないよね」
「うん、でも明日で間に合うから」
一刻も早く家に避難したかった。
「付き合ってくれてありがとう」
ソフィは小さな紙袋を半ば強引に取り返す。
「家まで持つよ?」
「大丈夫」
だからこのまま宿へ帰ってくれとソフィは目で訴えた。
心の機微に敏い人形は笑みを深めてうなずく。
「ソフィは早く家で二人きりになりたいんだね」
「はい?」
「僕も同じ気持ちだよ、愛しい人」
ギイはソフィの銀髪を一房すくい、毛先に唇を寄せた。
彼女の髪は短い。当然、それだけお互いの顔が近づくことになる。
――公衆の面前で!
ソフィは息を詰まらせ、とっさに後退した。周囲を窺うと、何人かが気まずげに目を逸らす。確実に見られた。
「お――お願いだから、こういうことを、人前で、しないで」
「分かった。二人きりのときにしておくよ」
「そういうことを言いたいんじゃないの!」
ギイは苦笑し、宥めるように両手を上げた。
「ごめん。きみがそんなに嫌がるなら、もう何もしないよ」
「……………」
――じゃあそうして。
相手が人間なら、ソフィはそう突き放しただろう。だが、少し悲しそうに、懇願するように見下ろしてくるのは、人形だ。
(うう……)
「……目立つのが、嫌なだけ」
そう告げるので精一杯だった。遠回しな許容。
ギイが心底嬉しそうに笑う。
――そこへ。
「ソフィおねえちゃんっ!」
元気に走ってくる幼い少女。彼女はそのまま激突するくらいの勢いでソフィに抱きついた。
「リナエル、熱はもう大丈夫なの?」
「うんっ」
河原に取り残されていた少女である。
いつも通りの快活な様子に安堵して、ソフィは彼女の前にしゃがみこんだ。
気づく。リナエルはあのときの人形をまだ持ってくれていた。
「ソフィおねえちゃん、ごめんなさい」
「なに?」
「お人形、ちょっと糸が切れちゃったの。このまえ、落としたとき。あのね、お母さんにぬってもらったけど、お人形さん、やっぱり痛い?」
「……もう痛くないよ」
ソフィは微笑んで言った。
「その子はね、糸が切れるより、リナエルが危ない目に遭う方が、ずっと痛いんだよ」
リナエルは泣きそうな顔になった。落ち込んだように肩を落とす。
「大切にしてくれるのは、私もその子も、すごく嬉しい。だけど、今度もし同じようなことがあったら、自分のことをまず大切にして」
「……うん」
「約束」
ソフィが差し出した小指に、リナエルは自分のそれを軽く引っ掛けた。
「やくそく」
「いい子」
小さな頭を撫でる。リナエルはぱっと表情を明るくさせた。
「じぶんのことも、お人形のことも、たいせつにするね」
ふとリナエルはギイへと視線を移した。小さなリナエルでは見上げるのも大変そうである。
「おにいちゃん、リナのことたすけてくれた人?」
「そうだよ」
「あのね、ありがとう! お人形も、リナも、だいじょうぶだったの」
「うん。大丈夫で良かった」
「でもね、ふくざつなの」
何のことかとギイは首をかしげた。ソフィも意味が分からず瞬く。
リナエルはソフィから離れつつギイを手招きした。ギイは腰をかがめて少女に顔を近づける。
リナエルが小さく耳打ちした。
「ノウルおにいちゃんと、どっちをおうえんしたらいいか、ふくざつなの」
無垢な目がそっとソフィを見やる。
ギイは思わず噴き出した。
「じゃあ、どっちも応援していて」
「うん」
少女は元気に手を振って走り去っていった。
ソフィが不思議そうにリナエルの背を見送る。
「リナエル、なんて?」
「うーん」
少しだけ悩んだ後、ギイは笑う。
「支援者にも色々あるみたいだ」
「…………?」
「僕としても相手方を応援してあげたいけど……役柄上、難しいかな」
「何の事?」
「ソフィの恋人役の話」
いつからそんな話になったのだろう。ソフィにはさっぱり分からなかった。
「私に恋人役は必要ないよ」
「僕は、必要ない?」
役目を失った人形が。
切なそうにそうすがってくれば、ソフィにどうして拒絶できよう。
人に必要とされないなら、人形の存在に意味はないのだ。
「そ……」
不安げに揺れる翡翠色の瞳。ソフィの中でみるみる反発の意思がしぼんでいく。反射的に否定の言葉が口を突いて出た。
「そんなことは……ないよ」
「本当?」
「ギイがいなかったら、リナエルがどうなってたか分からないし。私もすごく感謝してる」
「……良かった」
「ただ、それと私の恋人役とは関係が――」
「きみに必要ないって言われたら、次どこに行けばいいか途方に暮れるところだった」
無垢に喜ぶギイ。
その瞬間、ソフィは悟った。
――懐かれたのだ。
迷い犬が、餌をくれる人に尾を振るように。
ソフィの選択肢は二つに一つ。
餌を与え続けるか、それとも飢え死にする可能性を知りながら背を向けるか。
「ソフィ?」
尾を振る迷子を前に、後者は選べない。
ソフィは溜め息をついて道を引き返す。
買い物を続けることにした。
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