人形師と迷い犬3

 ギイは家までついてきた。恋人は一緒にいるものだよ、などとのたまって。

 仕方なくソフィは彼に熱い紅茶を出し、ついでとばかりに切りだす。

「君が人形だっていうのは、やっぱり隠した方がいい」

「どうして?」

「アルヴェート王子の代役、だったんでしょ?」

 ギイは薄く微笑したまま。

 返答には若干の間があった。

「ごめんね。それは禁則事項。言えるように作られていないんだ」

「……それがもう答えだけどね」

 ソフィはギイの向かいに腰掛け、紅茶のカップをかたむける。

「王子の代役だなんて、王室にとっては大醜聞だよ。何かに利用しようとする人も出てくるかも知れない。本当はもう処分されてるはずだったんでしょ? 王都にまで噂が届いたら、君の主の意思が無駄になるよ」

「別に、処分されるならされるで構わないんだけどね」

 本当はもう役目は終わっていたんだから――

 人形はこともなげにそう言う。

 使い道がなければ、廃棄されて当たり前。そのことに疑問も恐怖も、反発心すら持たないのだ。

「そんな風に言わないで。君の主は、君に生きていてほしいんだよ」

 ギイは困ったように微笑んだ。

「まあ、きみがそういうなら。周りには内緒にしておくよ」

 こつん、とカップを弾く繊細な指先。関節には繋ぎ目もない。なめらかな皮膚で覆われた手の甲には、うっすらと筋や骨が浮き出ていた。

「……触れてみる?」

 いたずらっぽい声に釣られ、ソフィは顔を上げた。

 思いのほか近くにあった翡翠の目と正面からぶつかり、思わず硬直する。

 艶めいた瞳に捕らわれているうちに、ギイの手のひらがソフィのそれに重なった。彼女の手は紅茶のカップを包んでいる。うかつに振り払えばこぼれてしまう。

「……そっちが触れてるけど」

「どっちでも同じだよ」

 人形とは思えない柔らかな肌触りに、ソフィは内心動揺した。

 間近で、冷静に観察すれば、確かに人形だと分かる。だというのに、ソフィの指を優しくなぞる感触は人間そのもの、まっすぐ見据えてくる瞳も作り物には到底見えない。

 だからこれは仕方ないのだ、とソフィは自分に言い聞かせた。

 そうでなければ、人形を前にしてどぎまぎしているなど、ただの変な人である。

「二人きりだね」

「……雨に訪ねてくる人もいないだろうしね」

 手のひらサイズの人形やぬいぐるみならば、そこかしこに置いてあるのだが。残念ながら彼らは自律人形ではない。

 ついでに言えば、ソフィの家は町からやや離れた高台の上にある。明確な用事がなければ寄りつきにくい。

「雨はいいね。音を聞いていると、世界にきみと二人だけになった気がする」

「錯覚」

 平静を装って切り返すものの、一瞬もそらされない視線にいたたまれなくなり、顔をそむけた。

 こんな危険な人形を作った人形師の顔が見てみたい。ソフィは猛烈にそう思った。

「どうして目を逸らすの?」

「……………」

(……逃げたい)

 そんな願いが通じたわけでもあるまいが。

 ――どん!

 突然ドアが激しく鳴り、ソフィはびくりと背筋を伸ばした。

 それはノックだったらしい。荒々しい音が立てつづけに響く。

『――姉ちゃん! ソフィ姉ちゃん、いる!?』

「ロジェ?」

 ソフィは急いでドアへ駆け寄った。彼女がノブを回すより早く、外側から慌ただしく引き開けられる。

 全身ずぶぬれになった少年がそこに立っていた。一応レインコートを羽織ってはいるが、よほど急いでいたのか、フードは頭の後ろに飛んでしまっている。

 強張った表情と血の気の失せた顔を見れば、ただならぬ事態が起きたのだと察することができた。

「どうしたの?」

「今……河原が」

 ロジェは奥にいるギイに気づいたようだったが、視界には入っても意識はそれどころではなかったらしい。息を整えるためか、一度唾を飲みこみ、まくしたてるように言った。

「河原に、リナエルが取り残されて。増水してるんだ、橋も、橋も水没しちゃってて、渡れなくて、森のほうに取り残されて――」



 町外れにある河原は、町と森を仕切るように通っている。夏場は特に子供達の遊び場になっていた。普段なら深いところでもすね程度までしか水位がないのだ。

 だが今日ほどの大雨になると、すぐに増水し、簡素ながら設置された木の橋もあっけなく沈んでしまう。

「なんで河原へ行ったの!」

 雨の中駆けながら、ソフィはつい声を荒げた。

 雨の日は河原に近づくな。大人にきつく戒められているはずだった。

「森で――ちょっと森で遊んでたんだ。雨が降ってきて、すぐに帰ったけど……そしたらリナエルが人形がないって言いだして、皆で捜してて」

「人形?」

「ソフィ姉ちゃんからもらった人形。いつもリナエルが鞄に入れてるやつ」

 ソフィは唇を噛んだ。冷たい雨が打ちつけるフードを強く握りしめる。

「……ソフィ」

 その時、小さな囁きが耳元に落ちた。ギイである。

「きみのせいじゃないよ」

 人形は総じて人の心に敏感だ。このどしゃ降りでも、かすかなソフィの変化を捉えたのだろう。

「分かってる」

 それだけ答えて前を見る。

 ――堤には何人かの子供が立ち尽くしていた。怯えて泣いている子もいる。ソフィが声を掛けると、弾かれたように顔を向け、駆け寄った。

「リナエルは?」

「あ、あそこ……!」

 堤の下。濁った水が唸り声を立てて流れる向こう岸に、ぽつんと小さな少女が見えた。町側に設けられた堤ほどではないが、森の方も河原からは一段高くなっている。幸いまだそこまでは水位は達していなかった。

「他の人は? 呼んだ?」

「お、おとなの人、呼びに行ってるけど――」

 ソフィの家がもっとも近かったのだろう。

 果たして誰かが来るまでもつかどうか。雨は弱まる気配がない。いつリナエルの足元まで水没するか分からなかった。人が増えたところで、この流れでは彼女のところまで辿りつくにも時間がかかる。

「……とにかく――このロープをどこかに結んで」

 ソフィは持ってきたロープを持ち上げた。

 水の流れは速い。水面からいくつもの腕が絶え間なく伸びては沈み、下界の騒乱など知らぬふうに落ちてきた葉を容赦なく引きずりこんで消えていく。

 泳ぎに自信はあったが、この荒々しさでは向こう側まで無事渡れるか不安ではあった。それでも、待っている時間が惜しい。

 ソフィは結ぶ個所を探して顔を巡らせた。

 緊張と焦燥で全身が硬化する。走ってきたばかりだというのに、震えるほど寒く感じた。

 その時――

「……きみは、変な人形師だね。ソフィ」

 豪雨の中聞こえた声は、苦笑にも困惑にも似た響きを帯びていた。

 ギイが耳元に唇を寄せて言う。

「ここに人形がいるのに、どうして自分で危険を冒すの?」

 ソフィは絶句した。途方に暮れたような表情でギイを見上げる。

「大丈夫だよ。僕が行くから」

 言うなり、彼は素早く靴を脱ぎ捨てて、ロープすら持たずに堤をおりはじめた。

「ま――待って、ギイ!」

「心配しないで」

 この期に及んで焦りも恐れもない笑顔。

 彼はそのまま濁流に足を踏み入れた。

「ギイ!」

 水位は彼の太ももあたりまである。流れが穏やかなら問題はなかろうが、勢いよく叩きつける水流は足をさらう。ましてや石や岩が転がる不安定な足場だ、まともに立つことさえできるはずがない。

 ――人間であれば。

「……………」

 等身大の自律人形は、多くの場合、人間よりも身体能力に優れる。

 はらはらしながら見守るソフィや子供たちの前で、ギイは難なく少女のもとまで辿りついた。

 彼が手を差しだすと、リナエルは泣きながら彼にしがみつく。小さなその手には、ソフィがあげた人形がしっかりと握られていた。

 ギイはリナエルを抱き上げ、再び川の中へ入った。行く時よりもゆっくりと、慎重に。

 いつの間にか駆けつけた大人たちも、固唾を呑んで注視していた。

 ギイの足取りは危なげない。集中しているからだろう、砂漠を歩くよりも安定している。まともに考えれば人間ではあり得ないのだが、幸い誰もが冷静さを失っていた。

 ――やがてギイが堤の上まであがってくる。

 真っ先に一人の女性が走り寄り、泣きじゃくるリナエルを抱きしめた。

 雨に負けぬ歓声。

 ソフィは震える息を吐き出し、脱力しかけた膝に力を込める。

「そのお人形、大事なものなんだね」

 ギイが少女の頭に手を乗せて言った。

「でも、そのために危ないことなんてしちゃ駄目だよ。きみの代わりはいないんだから」

 ――それはなかば無意識の行動だった。

 気づけばソフィはギイの腕を掴んでいた。

 驚いたような緑眼がソフィを見下ろす。

「……………」

 ソフィは好奇の目を無視して、人垣からどうにか彼を引きずり出した。

「ソフィ?」

「帰ろう。色々追及されると面倒だし」

「そっち、宿の方じゃないけど――」

「いいから」

 途中でギイの靴を拾いあげ、逃げるようにその場から去った。

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