人形師と迷い犬2
「魂が欲しい」
――と、家に招くなり彼はそう告げたのである。
何も知らぬ者からすれば、悪魔の契約かとでも誤解しかねない発言だった。
繊細な金糸の髪。知性のある翡翠の目。端整な顔立ちと洗練された所作。恐ろしい悪魔や化け物とは縁遠い青年。
さきほど手を触れられたとき、確かな温もりもあった。
出来がいい、とソフィは思う。
「僕は元々、代役として作られた。毒を盛られて、しばらく動けなかったオリジナルの代わりとしてね」
――彼は人間ではない。
人形だ。
「幸い命は助かったけど、リハビリに時間がかかってね。結局二年くらい僕が代役になってたのかな」
「それで、本人が全快したから――」
「そう。僕は不要になった」
微笑みながら肯定する彼からは、なんの悲哀も憤慨も感じられない。
人形は人間のために在る。彼らは、基本的に人間に対して悪感情を抱かない。
どんな扱いを受けようとも――だ。
「……………」
ソフィは唇を引き結んだ。
「役目が終わって、本当は廃棄処分されるはずだったんだ。だけど、
主、というのは彼を作った人形師のことだろう。
「僕の元になった人間が人間だから、王都には置いておくことができないけど、他のところで生活して魂を得なさいって」
ソフィにはその人形師の心が分かる気がした。
好きなように生きてほしいと、本当は言いたかったのだろう。だが、人間のために生み出された人形に、自由にしろと命じたところで途方に暮れるだけだ。だから具体的な目的を与えた。
「……それで、どうして私の所に?」
「このあたりで一番腕のいい人形師が、きみだって聞いたんだ。手を触れずに人形を操っていたよね。そんなことできる人は今時珍しいんじゃないかな」
ソフィの人形繰りは技術ではない。希有な能力だ。
「どうやったら魂を得られるのか、きみなら知ってるんじゃないかと思って」
「魂が宿った人形の話は、いくつか聞いたことはあるけど……」
彼のような自律人形にはある程度の感情もあるし、自我もある。なにをもって魂が宿ったと判断するかは微妙なところだが、少なくとも人間から与えられた原則や命令に従っているうちは、個体の魂などないと言えるだろう。
「よく聞くのは、恋かな」
「恋?」
「人間にとっても、恋っていうのは一番制御しづらい感情だからね。人間に恋をした人形が、その人間のために他の人を殺してまわったとか、主人の命令に背いて恋する相手を庇って死んだとか、そんな話はあるよ」
彼はあからさまに眉を顰めた。
「あまり良いこととは思えないんだけど……」
「まあ、いま挙げたのは極端な例だよ」
「――それで、どうやったら恋をすることができるの?」
真剣な顔だった。
どうやってと聞かれても、数学のように公式通りに進めれば辿りつけるものではない。
「自分の意思じゃどうしようもないんじゃないかな」
「うーん」
彼は心底困った表情で首をかしげた。
(……人形とは思えない)
表情が細やかだ。さすがに至近距離でこうして話をしていれば、人形師であるソフィならささやかな違和感に気づくが、一般人ならまず見抜けまい。彼を作った人形師はよほどの熟練だろう。ソフィは我知らず見入っていた。
――目が合う。
何を思ったのか、彼は甘く微笑むとソフィの頬に手を伸ばした。
「じゃあ、まずは形から、かなぁ」
「……は?」
指先が頬をすべって、顎をなぞり、柔らかく首をおりていく。ソフィは思わず身をそらせた。
「名前を聞いても?」
「ソ、ソフィ・ブライト、だけど……」
「可愛い名前だね。きみにぴったりだ」
代役として作られたのなら、性格もオリジナルを模しているはずだ。彼の元となった者は一体どんな人間だったのか。
「ソフィ。僕を恋人にしてほしい」
一瞬、思考の歯車が噛んだ。
しかしソフィの困惑をよそに、彼はにこにこと続ける。
「僕のことはギイと呼んで。主からつけられた個体名だ」
「いや……ちょっと、待って」
「宿をとっていないんだ。ここに泊まってもいいかな?」
「――はあ!?」
「あ、心配しないで。きみが望まない限り、何もしないから」
されてたまるか、とソフィは思ったが、残念なことに口は思考ほどなめらかには回らない。
どう返すべきか悩んでいるうちに、彼は――ギイと名乗った人形は、公園で会ったときのようにソフィの手を持ち、その指先にキスを落としたのだった。
「……………」
ソフィは隣を歩くギイを見上げる。目が合うと、彼はにこりと笑った。
湿気を吸って艶を増す金髪が、暗い雨空の下でも眩い。森を写しとった豊かな緑の瞳、温かみのある白い肌、色を乗せた表情。ぱっと見ではとても人形とは思えない。
(綺麗)
単純な顔の造作ではなく。美しい人形だ。
「そんなに見つめられると、勘違いをしてしまいそうになる」
頬に手を伸ばされ、ソフィは一歩退いた。
「……昨日から思っていたけど、オリジナルもそんな性格なの?」
「そうだと思うよ。会ったことはないけど」
「初対面の人間に運命だなんて口走るような?」
多少呆れるような口調になっていた。
それを察したのか、ギイは不思議そうに瞬きをしながら聞き返す。
「女性はそう言われると喜ぶんじゃないの?」
(どれだけ運命の人を量産してるんだ)
彼の赤い糸は無数に枝分かれしているようである。
ソフィは早々に話題を変えた。
「そういえば、ちゃんと宿はとれた?」
「とれたよ。――でも、僕はソフィの家でも良かったんだけどな」
「絶対駄目」
修正不能なまでに噂が膨らんではたまらない。
「そんなに周りが気になるなら、僕は人形だって言ったら? それなら一緒に暮らしても問題ないでしょ?」
「……うーん」
呻いてソフィはギイを見る。頭の上から靴の先まで、しっかりと観察してから、溜め息をついた。
ギイのような等身大の自律人形は、現在かなり数が少ない。しかも彼ほど人間に近いものとなると、相当希少だ。よからぬ企みに巻き込まれないとも限らない。
「やめた方が、いい気がする」
「どうして?」
説明しておいた方がよさそうである。
そう考え、ソフィが口を開いた時だった。
「――ソフィ!」
激しい雨音をかき消す声。ギイではない。振り向くと、一人の若者が水たまりを跳ねながら駆け寄ってくるところだった。
「ノウル」
ソフィは軽く片手を上げた。
褐色の髪を短く刈り上げた、長身の青年である。セリーヌの幼なじみであり、彼女同様、よく仕事を持ってきてくれる友人だった。
彼はちらりとギイを一瞥してから、すぐにソフィへ爽やかな笑顔を向ける。
「セリーヌのところか?」
「うん。注文していた物が届いたんだ」
「ぜひとも、それでまた新しい人形を作ってくれよ。この間の孤児院での劇、評判良かったんだ」
「そうなんだ。じゃあ頑張らないとね」
「そうしてくれ。期待してる」
――と、ノウルの愛嬌のある茶色の目が、ふいに鋭くなった。視線はいつの間にかギイに転じられている。
「……で、そいつが噂の『王子』?」
「王子?」
紹介しようとしたソフィはきょとんとした。
「王子様みたいな外見だってさ。アルヴェート王子に似てるって」
(アルヴェート王子)
ソフィははっとした。以前、肖像画を見かけたことがある。
肖像画というものは大抵写実的には描かれない。一般的にそういう習慣なのである。全体的な顔立ちや印象だけを似せるものなのだ。それゆえすぐには分からなかったが――
(ギイのオリジナルって、まさか……)
上流階級だろうとは思っていたが、王子殿下となると洒落にならない。
毒を盛られた。王子の代役。役目を終えれば処分。王都には置いておけない――もはや自律人形が希少だとかいうレベルではない。ギイの存在が広まれば、大いに厄介なことになる。
「そんなに似てる? 光栄だね」
ソフィの胸中を知ってか知らずか、ギイは穏やかな微笑みを浮かべた。
対してノウルはあまり好意的ではない。
「あんた、ここの人間じゃないよな。どこから来たんだ?」
「王都からだけど、そもそも僕は人――」
「――ギイ!」
冷や汗とともに大声が出た。二人の視線がソフィに集中する。
ソフィは誤魔化すように言った。
「ギ、ギイって言うんだ、彼。私に、依頼に来てくれたの」
「依頼? へえ」
ノウルの目つきは明らかに胡乱な者を見るものであった。
「ギイ、彼はノウル。私の友達なの」
「はじめまして」
懐っこくギイが挨拶する。
が、ノウルの方はお世辞にも友好的な雰囲気とは言い難かった。
「ソフィの恋人だって聞いたけど」
「違う。誤解」
「僕はそうなってほしいと思ってるんだけどね」
――爆弾投下。
ソフィはギイを睨み上げた。しかし、返ってきたのは変わらず温和な笑みである。
決定的にノウルの表情が敵意に染まった。
「……何。ソフィ、こいつに付きまとわれてんのか?」
「彼なりの冗談だよ」
ソフィの笑顔は引きつっている。
「僕はいつも本気なのに――」
「ギイは冗談ばっかりだね。ちょっと黙って」
あくまでにこにこと笑顔を崩さないギイ。
緊張感溢れる微笑のソフィ。
そんな二人の奇妙なやり取りを、ノウルは何とも複雑そうに見ていた。
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