不変の朝の光

白石令

第1章

人形師と迷い犬1

 結末は必ず幸せなものを。

 それがソフィ・ブライトの主義である。

 いや、主義というほど固い信念ではないかもしれない。ただその方が喜ばれるため、自然とそんな傾向になったというだけである。

 観客はほとんど幼い子供たちだ。彼らは目を輝かせて前へ詰め、熱心に身を乗り出す。期待するのは勇者が魔王を倒すことだったり、仲違いした友達と和解することだったり、病弱な子が元気になることだったりする。

 当然、現実はそう甘くない。しかし物語は夢見るものである。そして子供は夢見て良い存在だ。

 ――だから今日も、小さな舞台はハッピーエンドへ向けてページを繰っている。

「そこまでだ、竜王!」

 勇者が剣を掲げて登場すれば。

「こ、この私がー」

 竜の王は刃を受けてぱったりと倒れる。

 観客の歓声とともに、勇者の仲間たちが立ち上がって喜び合う。

 のっぺりした顔、短い手足、全体的に丸い体――役者はすべて、手のひらサイズの人形である。

 しかしからくり糸はどこにもない。下から棒で支えているわけでもない。

 ソフィは人形師だ。

 彼女は触れずとも人形を動かすことができる。

 勇者と姫君は同時に駆けより、仲間たちははやし立て、倒れた竜王は人知れず舞台から転げ落ちる。

 やがてソフィが紐を引いて舞台に幕をおろすと、てんでばらばらな、しかし熱意のこもった拍手が最後を飾った。

「おもしろかったー」

「ねえねえ、竜のおうさま死んじゃったの?」

「わたしもお人形うごかしてみたい」

「ソフィおねえちゃん、次はね、妖精さんとか出てくるお話がいい!」

「今度はいつ?」

「いまのお話、もう一回やって!」

 泡のごとく次々弾ける声と笑顔。興奮気味に飛びついてくる子供たちはなかなか容赦がない。ソフィは一人一人に笑みを返しながら答えていった。

 後ろの方では何人かの大人が微笑ましそうにやり取りを眺めている。顔見知りになった通りすがりや、たまたま時間が作れた親たちだった。

 ――やがて西の空が赤みを帯びはじめた頃、ソフィはお決まりの文句で締めくくる。

「さ、もう陽が沈むよ。おうちにお帰り」

 それは合図だ。子供たちは少しだけ残念そうな顔をする。しかしすぐに目一杯の笑顔でうなずくと、手を振ってそれぞれの方向へ散っていくのだった。

「……………」

 誰もいなくなった公園は急に冷える。

 ソフィは丁寧に人形をしまい、舞台を折りたたんで、手早く片づけた。

 鞄を肩にかけながら、ふと顔を上げて空を見る。

「だいぶ日が短くなったな……」

 かぶっていたフードを後ろへ払い、空気を呼びこむように頭を振る。

 銀の髪が風に揺れた。夕陽を受けてわずかに色づき、頭上から毛先までを光がなぞっていく。長さはない。首筋が隠れる程度で、少年のように短かった。

「夕飯の材料を買って帰――」

 視線を空から戻したソフィは、一瞬ぎょっとして肩をすくめる。

 人がいたのだ。いや、公園なのだからいても不思議ではない。ただ、相手はソフィをまっすぐに見つめていた。

 いつからそこに佇んでいたのか。劇が終わったときか、子供たちが帰った頃か、あるいは最初から――ソフィが人形劇を始めた時から、いたのかもしれない。

「……………」

 ソフィはフードをかぶりなおし、銀髪を覆い隠した。そのまま視線も外し、相手に背を向けて立ち去ろうとする。

 しかし相手は迷いなくソフィの方へ歩いてきた。

 逃げようかと考えたものの、目が合ってしまっている。仕方なくソフィはその場にとどまって相手を観察した。

 二十歳ほどの青年である。柔らかそうな金髪と伸びた背筋が印象的だった。歩き方にも立ち姿にも品があり、腰にさげた細剣さえ優雅な彩りに映る。深い森を思わせる緑の目は理性的で、穏やかな彼の雰囲気をいっそう引きたてているように感じられた。

「――はじめまして」

 声を出すことに慣れたしゃべり方だった。どんな声を出せば相手がどんな感情を抱くか、理解している。

「……はじめまして」

 ソフィは少々警戒しながら応じた。この田舎町で、彼の存在は大いに浮いている。

 にもかかわらず、彼の次の行動に反応できなかったのは、それがあまりにも友好的で自然だったからだろう。

 青年は恭しくソフィの手を取ると、そっと甲に口付けたのである。

「…………!?」

 凍りつくソフィに構わず、彼は微笑んで言った。

「逢えて嬉しいよ。――僕の運命の人」



「あら! 〈運命の人〉がご来店ね!」

「……………」

 ドアを開けた瞬間に先制され、ソフィは回れ右しそうになった。

 奥のカウンターから全開の笑顔を注いでくるのは、この店の看板娘、セリーヌである。

 今年十九歳の彼女は、ソフィのことを少し年下と認識しているのか、妹のように可愛がる。その可愛がりには、当然からかいも含まれるのだった。

「聞いたわよ、きれいな男の子にプロポーズされたって?」

「大きな尾ひれだね……」

 噂とはいえ――である。

 どうやら公園での一幕を目撃していた者がいたらしい。娯楽の少ない田舎町では、ささやかな噂も人の手によって大きな波にされてしまう。

(一晩しか経ってないのに)

 ソフィは溜め息をついた。

「ね、ね、どこの誰なの? 聞いた話じゃ、貴族様みたいだっていうじゃない。アルヴェート王子にそっくりだって話も――」

「違うよ。あの人は――依頼人、みたいな人で。私も昨日初めて会ったの。運命云々っていうのは、彼の冗談」

 あらかじめ用意しておいたセリフを淡々と読む。

 しかしセリーヌは簡単には納得しなかった。

「ひざまずいて薔薇を差し出したんでしょ?」

「……何それ」

「あつーい抱擁をしたとか」

「してない」

「ダイヤの指輪をもらったって」

「ないってば」

「いっそ押し倒された!」

「いっそって何、いっそって! ないから! 全然!」

「じゃ、手の甲にキスをされたのね?」

「そっ……」

 ソフィは言葉に詰まり、そして自らの失敗を悟った。セリーヌがしてやったりとばかりに目を光らせる。

「ただの依頼人がそんな挨拶するかしら。しかも運命の人だなんて!」

「だから、それは深い意味なんてないんだって……」

 ソフィは説明を諦めて、注文していた品物を催促した。

 セリーヌの店は手芸用品店である。針や糸といった基本的な道具から、様々な材質の生地や飾り、粘土、時には珍しい異国の人形まで置いている。ソフィは大抵ここで材料を調達していた。

 さらに――

「そういえば、この間の依頼人さん。ファスレ男爵がお礼を言ってたわよ。子供がすごく喜んでたって」

「そう。それなら良かった」

 ソフィはようやく顔をほころばせた。

 セリーヌはソフィの仕事の仲介役にもなっている。といっても、顔の広い彼女が、人形を欲しがっている者に相談されソフィを紹介する――という程度だが。

「服の生地はピンクって言われて迷ったんだけど……おとなしくて優しい子だって聞いたから、淡い感じのピンクの方が合うかなと思ったんだ」

「可愛い色って喜んでたみたいよ。また来年もお願いするって。あたしも鼻が高いわ」

 ソフィは嬉しそうに微笑み、支払いを済ませて品物を受け取った。

 茶化されないうちに退散しようと、セリーヌに別れを告げてドアに向かう。

 その背中に、さらりと真剣な声音が届いた。

「もししつこく言い寄られてるなら、あたしに言いなさいよ?」

 ――それは、くだんの彼のことであろう。

(……敵わない)

 ソフィは苦笑してうなずき、店を出た。



 ドアを開ければ、まず飛び込んでくるのは雨音だ。昼頃から降り始めた雨が、ひさしの向こうでカーテンのように揺らめいている。

 ソフィはドアを閉めながらなにげなく顔を動かし、――そして引きつらせた。

「早かったね。用事は終わったの?」

 ドアのすぐそば、店の壁にもたれかかるようにして立っていたのは、金髪緑眼の美貌の青年であった。

「……どうしてここに」

「色んな人に聞いて回ったら、きみはここにいるだろうって言っていたから」

「聞いたの? 色んな人に?」

「うん。色んな人に。きみって有名人なんだね」

「……………」

 噂の種は追加で蒔かれていたらしい。――いや、むしろ現在進行形で。

 貴族然とした彼はただでさえ目立つ。それが目鼻立ちの整った若者となれば尚更だ。ソフィは無駄と知りつつもフードをいつもより目深にかぶり、傘を差して足早に歩きはじめた。

「持つよ」

 彼がひょいとソフィの荷物を取り上げる。

「ありがとう。でも自分で持てるよ。たいして重くもないし」

「女の子が荷物を持っているのに、男が手ぶらでいるわけにはいかないよ。ましてや、きみは僕の大切な人なんだから」

「……………」

 昨夜から何度も襲われた虚脱感が再びやってきて、ソフィはそれ以上食い下がるのをやめた。溜め息をついて黙々と進んでいく。

「ソフィ」

 柔らかな声音があとをついてきた。決して大きな声ではないのに、傘を叩く雨音すら縫って届く。

「迎えに来たこと、怒っている?」

「怒ってないよ。どうしたものかと思っているだけ」

「僕のことが嫌い?」

 ふいに彼の指先がフードをつまんだ。ソフィは反射的に足を止めてフードをおさえる。

「嫌いではないけど、君の姿勢は根本から間違っていると思う」

「どうして?」

「真似ごとをして本物らしくはなっても、本物にはならないよ」

 翡翠の瞳が悲しげに曇る。

 ソフィは慌てて付け加えた。

「本物になれないって言ってるわけじゃなくて、他に方法があるんじゃないかってこと」

「たとえば?」

「……例えば」

 ソフィは困った。眉間にしわを寄せて黙考するも思いつかず、素直にかぶりを振る。

「今は、思いつかないけど……」

「それなら、思いつくまでこれでいいよね」

 雨でわずかに湿った彼の指が、一瞬銀髪にからみ、離れていった。

「僕の可愛い人」

 ソフィの髪が長ければ、彼はそこに口付けでもしていたに違いない。

 そんな馴れ馴れしい仕草を拒絶できないのは、彼が人間ではないからだ。

 興味津々な人々の視線を感じ、足を早めながら、ソフィは昨日のことを振り返っていた。

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