紅  平安鬼姫奇譚

瀬古刀桜

第1話

 ――――――これは、昔々の物語。それは千年以上、平安の時代まで遡ります。



 延暦三年(西暦七八四年)時の天皇である桓武帝は、長岡京を造営しました。

 しかしながら、天変地異が続発し、近親者である井上内親王や他戸親王、早良親王が薨去。

 これを祟りと恐れた桓武帝は、延暦一三年(西暦七九四年)都を平安京へと遷都しました。

 以後、四百年ばかり続く平安時代の始まりでございます。

 人と鬼、人と神、人と妖が同じ闇で暮らしていた平安時代。



 天長二年(西暦八二五年)桓武帝から数えて四代目。淳和帝の御世。

 ここは伊勢国の鈴鹿山


 

 長らく降り続いていた雨も降りやみ、久しぶりの日差しに、私は目を細めた。

 まぶしい。

 その光は、夏の日差しのような目が焼けるような強さはないが、柔らかく春を感じさせた。

 起き上がり、私は鏡に己の姿を映した。金色の髪の毛に青色の瞳。どう見ても、他人とは違いすぎる。

 それ故、私はこの山の奥で庵を結び、一人、暮らしている。まあ、村や里にいるだけで騒動になるのだから仕方がない。

 女一人で物騒だと思われるかもしれんが、護衛もいることだし、特に不便を感じたことはなかった。

 髪を結わえ、狩衣に着替え、太刀を佩いた。

「黒曜。おりますか」

 私の言葉に、人よりもの大きな……馬ぐらいの黒い毛皮の狼---大口真神がぬるりと姿を現し、私の傍に近寄り、足元に座った。

 名は黒曜。

 黒曜は金色の瞳をこちらに向け、じっと私の顔を見つめる。

「薬草を取りに行きますが、ついてきますか?」

 ふかふかの毛並みを撫でながら、目の前の黒曜に私は問いかけると、黒曜は「是」というように、立ち上がり、取っ手がついた籠を銜えた。

 その様は、正しく従者。頼もしい従者の様子に苦笑し、私も、籠を手に山奥へと向かった。


 

 一つ山を越えると、甘い匂いと共に枝垂れ梅の群生が見えてきた。血止めの薬草が生える場所は近い。

 だが。梅の甘い香りとともに、奇妙な匂いを感じた。

「何があったのかしら」

 私の歩幅に合わせて歩く黒曜も、首を傾げる仕草を見せた。

 何かが焦げたような匂い。

 何かが腐っていくような匂い。

 血の匂い。

「……戦?黒曜、急ぎましょう」

 跨れというように、黒曜は私にすり寄ってきた。私はそれに従って黒曜の背に跨ると、首筋にしがみ付いた。

「ウオン」

 黒曜は一つ鳴き声を上げると、走りだした。



 ------地獄だ。そう思った。

 見渡す限り、無数の兵士が、血を流し、地面に倒れていた。昨晩から続く雨のせいだろう。地面のところどころには、血で染まった水溜まりがある。

 私は黒曜の背から降り、あたりを見回しながら歩いた。

 身なりから見ると、朝廷の兵士だろうか。私は近くの倒れている兵士の首元に触れた。

 指先からは何も感じなかった。

 駄目だ。死んでいる。

 それでもあきらめたくなかった。

「黒曜、生きている人を探して!!」

 黒曜は、私の言葉の意味が分かったのか、走り出した。どうやら匂いで追ってくれるようだ。

 私は懐から小さな木の札を取り出し、腰に佩いた太刀「小通連」を抜き、軽く指先を傷つける。溢れ出した血で、簡易的な呪符を書き、書いた呪符を空へ放り投げた。

 呪符は白鷺へと姿を変えた。

 私が使う式神である。

 式神とは、古来より一部の神職や呪術師が使役する鬼神のことである。私も呪術師の端くれ。式神を使うことはたやすい。

「探しておくれ」

 私の言葉に従い、白鷺が宙を飛んだ。

 しばらくすると、黒曜の遠吠えが聞こえた。やがて、式神として放った白鷺が飛んでくると、頭上を旋回するように飛んだ。

 どうやら生きている人間がいるらしい。私は黒曜の声がした方向へ走り出した。

 


 黒曜の足元には、一人の男が倒れていた。大鎧から、おそらくは将軍ではないかと推察できた。

 私は男の首筋に手を伸ばして、触れた。トクントクンと弱弱しいながらも拍動を感じた。

 男の身体中は傷だらけで、昨日の雨の影響か冷え切っている。だが。

――――――生きている。

 私は軽く息を吐いた。だが、次の瞬間、眉をしかめてしまった。

 黒い霧状の物が、男の体を覆っていたのだ。これは呪詛だ。

「何ゆえこのような呪詛が?」

 私の言葉に、当然だが返事はない。

 私が、この呪詛を払うことができるかどうかと問われれば、払うことはできるが。だが、誰がこのような事を?

しかし、このままでは男は死ぬ。

 私は急いで鎧を脱がせ、男を担ぎ上げた。

 黒曜が私にすり寄ってきた。

 黒曜の瞳を見て、私は一言だけ問いかけた。

「載せていいの?」

「ウオン」

「ありがとう」

黒曜は返事をするように鳴くと、黒曜は私たちが乗りやすいように屈んだ。私は男と共に黒曜の背に跨る。

 私達が跨ったのを理解した黒曜はすさまじい勢いで走り出した。



 庵の前につくと、黒曜は足を止め、再び降りやすいように屈んだ。

「ありがとう」

「クーン」

 私は黒曜の背から降りると、男を背負い、床へ寝かせた。 

男の体は冷え切っている。

 温めないと。

 囲炉裏に火をつけ、部屋をガンガンに暖めても、眠る男の体は冷え切ったままだ。

――――――仕方がない。

 私は男の衣服をすべて取り去り、私は狩衣も小袖も脱ぎ捨てて、男を抱きしめ、自分が脱ぎ捨てた衣をかけた。

 暖を求めての無意識の行動なのだろう。大きな手が私を引き寄せてきた。

 私はそれに逆らわず、男の背を撫でていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。



 起き上がると、私は男の様子を窺った。

顔色は問題なさそうだが……胸元に耳を寄せた。

 心臓の音も、呼吸の様子も安定している。峠は越えた。

 私は起き上がると再び狩衣を着た。

 それとともに、ぬるりと黒曜が姿を現した。口には大きな魚を銜えており、それを籠の中に入れた。

 その後、ちらりと奥で寝ている男へ視線を向けた後、私をじっと見つめてきた。

「確かに、滋養がつくものを食べてもらわないと、怪我も治りませんね」

 是というように、黒曜は瞬きをした。

「ありがとう。黒曜」

 ポンポンと黒曜の鼻筋を撫でると、私は厨に向かった。



 食事の準備を一通り終わらせ、私は眠っている男の様子を見に行った。

「う……此処は」

「目が覚めましたか?此処は私が暮らす庵です。ゆっくり休んでいてください」

 私は眠る男に声をかけ、顔を覗き込んだ。

 目の前の男の左の瞳は、私と同じように透き通った青い色をしていた。男は左手に手を伸ばし、瞳を隠そうしたが、次の瞬間、私を見て驚いた表情を浮かべた。

 無理もない。金色の髪に青い瞳の私は、この国では異端である。それこそ、鬼と恐れられても、仕方がない。

「見ての通りの姿ですので、驚かれるのも無理ありませんが……今はゆっくり休んでください」

男の表情が幼い子供を思わせ、私は幼子をあやすように頭を撫でて笑った。

「私は鈴鹿。この庵に住む鬼でございます」

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紅  平安鬼姫奇譚 瀬古刀桜 @tubaki828

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