2、出立前に


 ここは、フロシア王宮の四つの宮の一つ、『二ノ宮』。またの名を、『官宮かんきゅう』という。その名の通り、官吏が集い、働く場所だ。

 その一角にある、外交をつかさどる―――外務ノ部の長官おさの部屋。

 その部屋の中に、一人の男が木彫りの見事な椅子に座っていた。



 男の、腹までありそうな白い顎髭。

 細やかな細工がされた、銀縁の眼鏡。

 着ている上衣の色は文官の最高位の一つを示す、薄藍。

 アンティークらしき机は、落ち着いた茶色で統一されている。

 老齢であろうその男は、きらきらと光るシャンデリアの下で、ある書簡を読んでいた。







 『先の戦についての報告書』

 アマリス大公国(以下アマリス)とフロシア王国(以下フロシア)の間で、戦争が始まる。

 アマリスが突如フロシアとの国境に攻め込んできたのだ。

 宣戦布告もなく、フロシアから見れば完全な不意打ちであった。

 当然、フロシア側は混乱に陥った。

 その間にも、アマリスはどんどん攻めてくる。


 刻一刻とアマリス軍がフロシアの首都フローラルにたどり着こうとしていた時。

 マリー王女が、陣中の国王陛下の元を訪れなさった。

 そして、国王陛下にこう請うた。


“わたくしに、フロシア王国陸軍及びフロシア王宮近衛軍の全権を、一時的に譲り渡していただきたい。わたくしは女の身でありながら、この国と陛下に絶対の忠誠を誓う騎士である。譲り渡していただいた暁には、必ずやこの国に勝利をもたらしましょう。”と。


 この言葉を信じた国王陛下は、王女に王国陸軍の全権と、王宮近衛軍の半分の衛兵をお与えになった。

 直ちに王国陸軍と王宮近衛軍をまとめた王女は、アマリス軍を撃退するために出陣する。

 そして、王女はアマリス軍を迎え撃つため、アマリスとの国境とフローラルのちょうど中間地点にあるキタル盆地に陣を敷いた。


 アマリス軍の進軍は速かった。

 一月も数えないうちに、アマリス軍の先陣はフロシアの陣と睨み合うように布陣する。

 後に、“キタル対戦”と呼ばれる戦いの火蓋が切られた。

 この戦いで王女は、誰も考えつかないような数々の奇策を用いて、負け戦続きであったフロシアに逆転大勝利をもたらす。

 王女にとって、これが初陣となった。

 ほとんど犠牲を出さずに勝利を掴んだ王女は、勢いづいたフロシア軍を率いて敗走し始めたアマリス軍を追う。

 そうして、アマリスとの国境付近でアマリス軍の本軍と戦い、アマリス軍の幹部――――アマリスの公子たち――――を全て捕らえ、一時的に捕虜とした。


 戦後処理も国王陛下から任せられた王女は、アマリス大公と講和を結ぶ。

 講和の内容は、以下のものである。


・捕虜としたアマリスの公子たちに、しかるべき処分を下すこと。

・フロシアに、この戦いでアマリス軍が奪った領地を全て返すこと。国境線は、今まで通りとする。

・フロシアに、賠償金を払うこと。


 これらの講和に、アマリス大公はすべて承認された。


 こうして、アマリスとの戦いは終わった。








「あれからもう、五年か…………………………………」

 彼は、こう呟いた。

 ふぅ………と一息つく。

 そうして、読み上げたばかりの書簡をしまおうとした時。

 コンッコンッと扉をノックする音がした。

(………………………………やっといらっしゃいましたな)

 男は心の中で、呟いた。

 そのまま立ち上がり、扉へ向かう。

 この男―――ジークハルト・ベンストンは、待ち人を迎えに行ったのであった。


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