第一章 五話

 それからいくつかの角を曲がり、ようやく入ったのは五階建ての薄い緑色をした建物だった。中にあった螺旋階段になんとなく安堵し(空を飛ぶのではないかとひやひやしていたのだ。)壁に掛けられたランプがぼんやりと照らす中、吹き抜けの階段を上がっていく。廊下は夏に見学で訪れた大学のような、冷たい陰影を刻んでいる。部屋の扉の脇には在室者の名前の札がかかっている。

「普通舎監室って一階とか、出入り口に近いところにあるんじゃないの?」

「普通じゃないからさ」

 何が、という言葉は一切続かない。先程から思っていたが、エルの説明は全体的に足りないことだらけだ。恐らく質問に答えるということに慣れていないのだろう。そこでおれは、ひとまず質問をすることを止めた。

 これが間違いだったということに気付くのは、すぐ後のことだ。

 とにかく、そんな調子のエルが足を止めたのは、最上階の最奥の部屋。用がなければ近付きたくない雰囲気だ。住人は気を悪くするかもしれないが、学校のトイレみたいだと思ったことは否めない。

「レヴィ、入るぞ」

 はいどうぞー、と穏やかな返事に、軽く開く扉。そこでおれはまた目を瞬かせる。もっと年嵩の人物を思い浮かべていたが、まだ若い男が眼鏡の奥の目を細めた。

「おや、見たことのない顔ですね」

「それはそうだ。なんたって異世界から来たらしいからな」

 エルの口調は先生に対するものとは思えない尊大なものだったが、先生は気にした様子もなく椅子を勧めてくれた。広い部屋はきちんと整理されている。物で溢れているのだが、きちっとした印象があるのは、ものの積み重ねられ方にも秩序があるからだ。所在無く座ると、これ以上無いと言うくらい顔を近付けてくる。そして両肩に手を置かれたかと思うと、全身を隈なくまさぐられる。

「あ、あの」

「うん、普通の人間だね。君、本当に異世界から来たって?」

「は、はい。その、手を」

 爪の先まで点検されて解放された時は、心から安堵の息を漏らした。

「あの、それで……元の世界に戻るには」

「一つ問題がある」

「はい」

 緊張して答えを待ったものの、

「君には式役がいない」

 首を捻る。

「えっ!?」

 エルがなにやら驚いた顔をしているが、おれには話が一向に見えない。

「実に興味深い」

「……はい?」

 目の前には目を輝かせた舎監。が、ずいと近寄って来る。じりじりと後退するにも、椅子の背によって阻まれる。

「あ、あの、近い――」

「レヴィスタニアだ」

「はあ……」

 横目でエルに助けを求めるが、エルは肩を竦めて、目が処置なしと告げている。こうなることも予測済みだったのだろう。落ち着いたものだ。黙ったまま引き合わせるなんて騙し討ちに等しい。

 エルを睨みつけると、そっけなく目を逸らされる。

 口元が微かに笑っているのは見えてるぞ。

「それで、君は元の世界に戻る術を知りたいと」

「そのためにレヴィスタニアさんを訪れたので――」

「レヴィ先生で構わない。君が元の世界に戻りたいのならば、道は一つ」

「え?」

 ようやく先生らしいところが表れたと感動の瞳を向けると、それ以上に輝いた瞳が嬉しそうにこっちを見ている。

 ……とてつもなく嫌な予感がする。

「自分で見つけることだ」

「………………は?」

「学院の校訓は『自主性』だ。頑張りたまえ」

「え?」

 どういうことだ?

 ぽんと肩に置かれた手の主を見上げると、したり顔で笑っているエル。……すごく嫌な予感。

「というわけで、入試頑張れよ」

「は――――!?」

 エルは説明下手なんだろうと、遠慮して詳しく聞かなかったおれも悪い。

 人に簡単に頼ろうとしたのも間違いだったかもしれない。

 だが、騎士になろうという者がこんな卑怯な手を使っていいのか!?

 かくして、悔し涙で前が滲みそうになったおれがかつてないほどの勉強(その他諸々)を強いられたのは言うまでもない。

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