第一章 四話
「学校?」
エル少年がおれの目指していた方を指差す。同じところを目指しているのなら、尚更都合が良い。
「そう。おまえが帰る道が見つかるかもしれない」
学校があるということは、教師がいるということだ。確かにこの少年たちよりも多くのことを知っている人がいるだろう。このまま訳がわからない状態より余程いいかもしれない。おれはおずおずと手を出した。その手をエル少年が力強く掴む。
「おれはエーリク・レイ・アシュレイ。エルって呼んでくれ。よろしくな」
そのままぐいっと馬の上へ引っ張りあげられ、なんとかエルの後ろにまたがった。
「オレはヒュー・アローズ! よろしく!」
赤毛のヒューが勢いよく手を上げると同時に、その髪もぴょこんと跳ねる。茶色の目が円らに元気を物語る。大きな犬に懐かれた気分だ。
ヒューの耳たぶを少女が引っ張り割り込む。ヒューの文句を物ともせず、少女は握手を求めてきた。
「おばか二人組を監督する役目のノイン・マクレガーよ。異世界の話、とても興味深いわ。今度詳しく聞かせてね」
碧眼のノインは左目の下に泣きぼくろのあるおっとりとした美人だが、二人の様子を見ているとお目付け役というのは本当なのだろう。黒髪なところが少し親近感を持ちやすそうだ。
三人の親しげな挨拶に少し気遅れしながら、おれも名乗ることにしたのだが、
「おれは、くれい……」
続けて名前を言おうとするのに、口が止まった。物忘れというよりは、最初から無かったもののように、どうしても出てこない。しかしエルはそれで納得したのか大らかに笑った。
「クレイか。良い名だ」
発音が少しおかしい気がしたが、どうおかしいのかも今のおれにはわからない。一体どうしてしまったのだろうかと、肌が粟立つ。自分が自分だという実感がない。
「これも何かの縁だ。学院でどうにもならなくても、俺の家で預かってやるから安心しろ」
「エルは名門アシュレイ家の次男なんだ」
「そうそう。単純だけど良い奴だしね」
「ひどい言いようだな。クレイ、しっかり掴まっておけよ」
エルが言うやいなや、ぐんと風をきって馬が走り出す。
学院へ向かう途中でエルたちが話してくれたのは、この世界の不思議な力。空を飛ぶ、物を動かす、火や水を操る、など。科学という認識がない代わりになる力。それを使うことを式術といい、高度な術を身につけた者を式術師と呼ぶのだそうだ。詳しいことは全くわからない説明だったのだが、学校には式術師の先生がたくさんいるから、一人くらい異世界について詳しい人がいるかもしれないということだった。
「まあ、覚悟しておけよ」
帰る時にまた痛みが走るということだろうか。帰れるなら、それくらいどうってことはない。
大きな滝の前まで来たところで、ふと疑問が浮かんだ。
「学校って、式術師になるための学校なんですか?」
「いや、おれとヒューは騎士科の生徒だ」
「騎士?」
てっきり魔法学校のようなものかと思っていたが、そうではないようだ。
「一体どういう学校なんです?」
「英雄候補の……女神のための学校さ。それよりその馬鹿丁寧な話し方はなんとかならないのか?」
「そうは言っても……」
と呟きながらエルの顔を窺う。どう見ても自分より堂々とした姿は年上か、はたまた同じくらいの年にしか見えない。そういう時は敬語が出てしまっても仕方ないんじゃないだろうか。
「おれは十七歳なんですが」
その言葉にエルが額に手をやる。
「俺より年上!? 信じられない」
「え? いくつなんですか?」
「十四だよ。まさかヒューとノインと同い年とはな」
その言葉に絶句する。どう見ても、どう見ても……日本人が幼く見られがちだとは知っていたけれど……軽いショックを受ける。
「敬語は無しだ。同門になるかもしれないんだから」
そう言いながらひらりと馬から降り、おれに手を差し伸べる。手を借りてやっとの思いで馬を下りるが、離されない手におれは首を傾げた。
「身元が保証されてないと中へは入れないんだ」
どうやら街に入るためには、登録されている人か、その知り合いでないといけないらしい。どういうシステムになっているのかはわからないが、部外者ならば手に掴まっていればその手を引いてくれる人を保証人として中へ入ることができるらしい。精密なのかざっくりしているのかわからない認証方法だ。
「開門!」
エルが声を張り上げると、地響きがしたような気がした。そして、ざ……っという音が遠ざかる。
おれは呆気にとられた。目の前の滝が、カーテンを開く様に、中央から割れていく。大きな流れから白糸となり、やがてぽつりとも零れなくなる。それは鮮やかな光景だった。そしてそれにも増して鮮やかだったのが、現れた街の姿だ。
玻璃で出来た塔が中央に聳え、濃淡のある色とりどりの煉瓦の建物がその周りをぐるりと囲むように乱立している。それでも随分と広い道には人が溢れている。たくさんの人というのを学校以外で見たことのないおれは、その雑然とした様子に怖気づく。しかもそのほとんどが黒髪ではないというのだから尚更だ。
「こっちだ」
立ち尽くしていたおれの肩を叩いたエルは、街の中央への道を歩いていく。振り向くとエルの馬の轡を取ったヒューがひらひらと手を振っていた。
「ど、どこに行くの?」
「こんな話、いきなり誰にでも出来るわけないからな。とりあえず俺たちの寮の舎監の処に行く。式術の教師でもあるし、困ったことがあった時はあいつに相談しろ」
ずんずんと大きく歩んでいたエルが不意に足を止めた。眩しげに空を仰いだかと思うと、ぴっと指示したのは中央の塔だ。
「あれがこの街の核の、正教会。女神信仰の総本山だ」
地平に落ちようという赤い輝きに照らされ、濃緋(こきひ)に暮れている。玻璃細工のような繊細な建物だというのに、一日の終わりの光によってどこか力強い印象をもたらしていた。
「あそこに女神がいる」
そのエルの誇らしげな言葉が、やけに印象に残った。
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