第一章 三話

「え?」

 鑓が飛んできたのであろう方向を振り向こうとすると、

「馬鹿っ! すぐに避けろ」

 苦し紛れの恐竜が、鋭い爪を振り下ろそうとしているのが目の端に入った。

 やられる!

 そう思って再び手で頭を庇うと、腹を鈍い衝撃が襲った。

 不思議に思って目を開けると、馬上の者に腹を抱えられていた。どう見ても自前の明るい金髪に碧眼、くっきりとした顔立ち。着ている白い礼装のような格好と合わせて、海外の映画俳優のようだ。

「まったく、素人じゃないんだから」

 俺の腹を軽々と抱えたまま優雅に馬を操る少年がぶつくさと呟く。

「いえ……素人なんですが」

 自分と同じくらいであろう少年だが、つい敬語が出てしまう。

「学院の生徒じゃないのか?」

「……話が全くわかりません」

「エル! おしゃべりよりも先にこいつを倒すことを優先して欲しいね」

 仲間と思われる同じ白い服を着た赤毛の少年が、おれたちを追いかけようと昂奮している恐竜の前に立ち塞がる。手には両刃の剣。少し離れたところに黒服の少女が佇んでいるのも見えた。顔立ちは皆日本人離れしていて、どうしても映画や小説の中の出来事に見えて仕方ない。

 エルと呼ばれた少年はおれを少し離れた場所に降ろすと、馬上から得意そうに笑いかけた。

「そこから動くなよ。すぐに退治してくるから」

「あ、あぶな――」

 止める間もなく、エル少年は剣を抜いて、恐竜へ立ち向かっていく。二人の少年が剣で恐竜を翻弄し、少女の手からひらりと舞い上がった紙(に見えるもの)が恐竜に触れると大きな火を噴く。あっという間に恐竜は地に伏せた。動かなくなった恐竜の前に三人は集まってしゃがみこんでいる。こちらのことはすっかり忘れているようだ。

 この人たちは何者なのだろう。剣を当たり前のように振り回しているというところに恐怖を感じる。

 危ない人かもしれない……。逃げ出すなら今のうちだ。おれは後じさりながら、三人の視界から消えようとした。

 そろりそろりと歩きだすが、草に足を取られて、

「うわっ」

 すっころぶと、ようやくおれが未だいることに気付いたエル少年が近付いてきて、おれの首根っこを剣の柄で掻きあげた。

「何してるんだ?」

「あ、いえ。お邪魔になるかと思いまして。早々に退散を」

 するとエル少年が憮然とした表情になる。

「礼も言わず立ち去るのか?」

「いえ、すみません。助けていただいてありがとうございました。それではこれで」

「おい」

 威圧的な言葉に、思わず背がびくりとなった。エル少年は、鋭い目でおれを見る。

「式術師でもないとしたら、なんでそんな恰好をしている。おまえは何者なんだ?」

 何者かと聞かれても、

「聞きたいのはこっちの方です。ここはいったいどういうところなんですか? 剣なんか振り回して」

 一見助けてもらったようでも、助けたんだからと何かを要求されることだってあるかもしれない。滅多に発動しないおれの猜疑心が、前面に出る。

 おれの言葉に、少女は顎に手をやって微かに首を捻る。

「あなたいったいどこから来たの?」

「どこからって、……空から落ちてきたんです」

「どこかへ飛んでる途中だったとか?」

 赤毛の少年が訝しげに目を細める。空から落ちたという言葉にはなんの印象もないようだ。

 異物を見るかのような視線に、きゅっと身が竦む。これならまだ、存在を認めてもらえない方が気が楽だ。居心地の悪さを感じながら、おれは自分でも信じられていないことを口にする。

「異世界から来た……と思うんです。何か問題でも?」

 おれの言葉に三人はようやくぽかんとする。

「異世界?」

「初めて見た」

「私も」

 おいおい、そんなに簡単に信じるのか?

「どうやって異世界から来たの? そういう術式があるのかしら。あなたが編み出したの? 興味があるわ。簡単でいいから教えてくれないかしら」

 黒い詰襟をきた少女が、目を輝かせて問い詰めてくる。もちろんそんなの答えられるわけがない。おれにだって何が何だかわかっていないんだから。

「ちょ、ちょっと待って。疑ったりしないんですか?」

「何を?」

「おれが異世界から来たってことを」

 三人はうーんと唸りながらお互いを視線で探り合っている。

「だっておまえ、式術のことは知らないし、空から落ちてきたんだろう?」

 おれの言葉を素直に信じているようだ。

「それもこれも、異世界から来たっていうなら納得できる」

 ここでは異世界とは身近なものなのだろうか。純粋な日本人のおれにはその感覚はわからない。

「どこかへ向かっているのか?」

「いや……突然ここに出て」

「じゃあ、行き場がないってことか」

 エル少年が考えるように顎に手をやった。

「おれたちと一緒に来るか?」

「えっ、いやっ」

 おれは咄嗟に大きな声を出していた。

 剣を振り回すような人物と一緒にいるなんて、何をされるかわからない。もし途中で助けも呼べないようなところへ連れ込まれたら、どこかへ売り飛ばされたら、剣を向けられたら……さまざまな不安が渦巻く。

「いいです。大丈夫です。自分でなんとかしますから」

 助けてくれたのだって何の意図があるのか、おれには計れない。一人でさっき見えた街のようなところへ向かってみよう。そう決める。

「見たところ武器も持ってないだろう? また竜が出たらどうするんだ?」

「うっ」

「この辺は危険な獣も出るし、もう暗くなる。食われてもいいっていうならいいけど」

 なんてことはないというように言われると、決心が揺らぐ。だけど、こいつらを信じていいのかという決定打がない。

「大丈夫です。失礼します」

 そのままくるりと身を翻して、建物の見えた方へ足を進める。するとエル少年たちもゆっくりと馬を歩かせてついてくる。

「なんだってそんなに頑ななんだ?」

「別に……」

 怪しんでいるとは流石に言えない。なんと言い訳をしようかと悩んでいると、少女がぽんと手を打った。

「私たちを人攫いか盗賊か……そういうものと思っているんじゃない?」

「何!? 失礼な」

「だって丸腰なのよ。外に出るのにそんな自殺行為。慣れてないってことなんじゃない?」

 赤毛の少年がぴゅいと短く口笛を吹いた。

「そんな安全なところから来たのか? 羨ましいな」

「馬鹿だな、ヒュー。竜がいなかったら鱗が取れないじゃないか」

 にやりと笑うエル少年の貫禄が怖い。だが、さっきのような恐竜が他にも出るなら、武器になるものを持ってないおれには危険すぎるかもしれない。だが信用していいものか。おれの中で不安と不信感がせめぎ合う。

「でもこういうのって、どうしたらいいんだ?」

「先生たちでどうにか出来るものかな」

「私たちじゃあ、どうしようもないってことだけはわかるわね」

 馬上から三人が見下ろしてくる。どこか困ったような視線だ。

「とにかく、こんなところにいても仕方ないし。こんなところで放って帰ったことがばれたら、俺たちが処分に遭いそうだし。馬に乗ってくれないか」

 懇願するような言葉に、少しだけ心が溶かされる。瞬時に働く計算。

 馬を歩かせてまで付いてくるということは、無理に何かさせようという魂胆はないと推測できる。それならば、この辺りのことどころか常識さえ違うような場所にいて、何かを知っている者と一緒にいた方が少しは良い状況なのではないか。どこかに売り払われたとしても、一定の文明がある以上、少なくともここがどんな場所なのかわかるし、状況が分かってくればそれを打破する機会もあるだろう。今のおれには利用させてもらうことも必要だ。

「どこに行くんですか」

「学院だ」

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