第9話 神より強きもの
ぼくは夜のパパリを走った。酒場で歓声が聞こえる。裕福な民が、飲めや歌えやの大宴会を開いているのだ。
背中の聖剣の感触をぼくは思い出す。
もし、あの酒場を襲って、金品を巻き上げれば、我が家は破産しなくてすむんじゃないか?
そんな思いに気をとられる。
迷う。
お金さえ、あれば。
それには、多少の甘い誘惑であった。
王子のことばが頭をよぎる。
もし、きみが剣を手に入れたなら、きっときみは一年とたたないうちに盗賊になり、罪もない農家を襲うだろう。
まさに、それこそがぼくの目指すべき道ではないのか。
あの、太った酔っ払いたちを皆殺しにすれば。剣で脅して、有り金を巻き上げれば。そうすれば、きっとぼくは救われる。
思い切って、酒場に足を踏み込んだそこに、ぼくを待ちうけていたのは。
「ちょっと、いいお兄さんじゃない」
酔っぱらったお姉さんに抱きつかれた。
「ちょっと困りますよ、お姉さん。ぼくは今、人生の岐路に立っているんです」
「あら、何かたいへんそうね。お姉さんが相談にのるわあ」
「それは、もし、命がほしければ、有り金全部置いて」
「あらあ、お兄さん、気が立ってるのねえ。お姉さんが気持よくしてあげようかあ」
「ちょっと、本当に困ります。ぼくは今、とりこんでいるんです」
「わかるわあ。ここが闘士にみなぎっているもの」
お姉さんが、ぼくの股間に手をあててくる。緊張に縮こまっていたぼくの股間は、きれいな魅惑的なお姉さんの頬ずりに負けて、ぐんぐん大きくなる。
いけない。ぼくはこんなことをしている場合じゃないのだ。
このお姉さんを殺すことはできない。
このお姉さんからお金をまきあげることはできない。
このお姉さんの前で盗賊の真似ごとを見せるわけにはいかない。
このお姉さんの前で、恥をさらすわけにはいかない。
ぼくは、この酒場を襲ってはいけない。
ぼくは、顔を引き締め、お姉さんをぐいっと引き離し、面と向かっていった。
「お姉さん。お姉さんはぼくの魂の救済者です。お姉さんがいなければ、ぼくは人生の道を踏み外しているところでした。ぼくはお姉さんに忠誠を誓います。ぜひ、お姉さんのお名前を聞かせてください」
礼儀正しく、堅苦しくふるまうぼくにお姉さんは調子を狂わせたようだが、お姉さんは、ぼくに体を動かされたことが気持ちいいらしく、酔っぱらった酒臭いことばで、答えた。
「あたしはマリアよ。お兄さんの名前も教えて」
「ぼくはチートといいます。マリアさん、あなたはぼくの魂の救済者です。今日、出会った御恩は一生忘れません。その恩に報いるように、ぼくは清く正しく生きていきます。それでは」
もう、お姉さんの顔を見る勇気も残っていなかった。
盗賊になってやろうと思ったぼくは、こうして、パパリの酒場を飛び出したのである。
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