第2話 海賊としての覚悟

降りかかる朝日でヴェルナは目を覚ます。寝たのも中途半端な時間だったこともあり、身体の調子はあまりよくないが、気分の方はそこそこ晴れやかだ。身体を起こし、大きく伸びをする。まだ身体中が痛むというのと、盛大にお腹が鳴った。

「その様子ならもう大丈夫なんじゃない?」

「う……」

いつから聞いていたのか、ヴァレルが淡々と話しかける。分厚い本のページをめくりながらのその様子は夜と全く変わらない。っていうか、もしかしてずっと起きてたんじゃないだろうか。

「…しばらく仮眠するけど、すぐに出ていけとは言わないから…、好きにして構わないよ。」

「あっ、はい…」

どうやらその予想は当たったらしい。聞けばいつ何が起きても対応できるように最低限の仮眠をとる程度にしているらしい。こんな時間に仮眠とは、船医も大変なんだな、とヴェルナが思っているうちにヴァレルは先程まで読んでいた本を枕替わりにして机に突っ伏していた。そしてすぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。

動くたびに悲鳴があがる身体に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。腹が減っては戦ができない。いや、まだ本調子じゃないし戦をする予定もないが、せめて朝食だけでも、と思いヴェルナは医務室を出た。

気を失った状態で運ばれてきたので、部屋の場所を把握していなかったのだが、どうやら船員達の部屋からも、訓練所からも近い場所のようだ。船内のどこで何があってもだいたい安心できそうな部屋割りだ。

幸い、食堂もそう遠くはなかった。痛みに耐えながらたどり着くと、リクとリキが出迎えた。

「おー!ヴェルナ、無事だったかー!」

「とりあえず死んでなくてよかった。」

出迎えたのは彼らだけではない。「あれ昨日副船長にボコされてた雑用係じゃね?」的な視線が集まる。本当にやめて欲しい。

「まあ…、一応なんとか……」

「それにしても、あの副船長をマジにさせるなんて、何したんだよ。」

昨夜ヴァレルにも同じようなことを訊かれたが、何度振り返って考えてみても本当に心当たりがない。

「嫌われたな。」

「嫌われてるね。」

その通りに答えると間髪入れずに兄弟が口を揃えて言う。やはりそういうことなのだろうか。

「まああれだ、そんなことより喧嘩ごっこしようぜ!」

「は?」

話の流れを全く無視したリキの提案に半ば反射的に声が漏れた。しかしリクは自然に弟に同調する。すっかり話が流されてしまったが、そう思う自分の方がおかしいのだろうかと思ってしまう。自分より先に食べ始めていた兄弟は自分達の分を食べ終えるとさっさと喧嘩ごっこの準備などといって食堂を出ていった。取り残されたヴェルナも少しペースを上げ、二人を追いかけようとした。しかし、

「何々、喧嘩ごっこ?俺もやってみたいねぇ。」

思わぬ邪魔が入った。いや、副船長に対して邪魔というのも失礼極まりないのだが。

「ふ、副船長…、おはようございます……」

「やあやあ、もう退院かい?よかったねぇ。」

「ええ…おかげさまで……」

なんでこの人は他人事なんだ。無意識のうちに表情が強ばっていた。

「やだなあ、そんな顔しないでよ。ところでさ、耳寄りな話があるんだよ。聞きたい?」

不思議と嫌な予感しかしない。昨日人をあんな目に遭わせておいて一体何の用だというのだろう。限りなくトラウマに近い不信感は拭えないが、なんとなくここで退く方が後々面倒になる気がする。

「内容によりますけど…」

「そう、じゃあ今度の<探索>サルベージに参加してみない?」

<探索>サルベージ?」

「まあ早い話が宝探しさね。君を拾った町で、この辺りのお宝の話を聞いてねぇ。<探索>サルベージなら同業者と鉢合わせするか、よっぽどのことがなければドンパチにはならないし、素人の君でもそれなりにやれると思うよ。まあ、それでヘマするようなら一生笑ってやるけど。」

それはプレッシャーなのか。

しかし、これはチャンスと考えていいだろう。もししくじれば一生笑い者らしいが、成果をあげれば一気に見返せるはずだ。持ちかけてきたのがシルバという辺りで何か裏がありそうな気がするが、それも込みでチャンスだ。逃すものか。

「わかりました。俺も行きます。」

「そうこなくっちゃ。あとで作戦の説明をするからよろしくね。で、交換条件って言ったらアレだけどさ……」


その後、シルバの参戦によって喧嘩ごっこが本気の喧嘩になったのは言うまでもない――



<探索>サルベージが行われたのはその翌日。

海に突き出た岩とも小さな島ともつかない場所にできた洞窟が今回のターゲットだ。なるべくギリギリまで船を寄せ、そこから浅瀬を渡って洞窟に入る。

よりによってまたしてもシルバのせいで身体は好調ではないが、初めての作戦参加に胸を躍らせてヴェルナも船を降りた。その背中には身の丈に近い長さの槍を背負っていた。


『剣なんかでやりづらくないの?』

昨日の喧嘩ごっこという名の模擬戦でシルバが突然こう言ってきた。ヴェルナとしては特に考えて選んだわけではないし、それが自分に合ってるかというのは考えたこともなかった。そんなヴェルナが渡された武器が槍だった。早い話がデッキブラシだと言われたが、実際に使ってみると確かに不思議と違和感はなかった。何をもってその適性を見抜いたのかはわからないがこれについては感謝している。


今回は戦闘を目的とした作戦ではない。武器はあくまで万が一の護身用、新入りの自分が成すべきことは洞窟内をくまなく調べ、かつ仲間からはぐれずに帰還することだ。海の中の洞窟なだけあって、あちこちは浸水し、空気も冷たい。先を行く他の船員達は比較的軽やかな足取りで奥へと進んで行くが、ヴェルナはおぼつかない足取りでそれを追った。洞窟といえば、物語の中などでは魔物の住み処としてしばしば描かれるものだが、静まり返っていて自分たち以外の何者かの気配はない。内心少し期待していたのだが、生憎物語は物語のようだ。

洞窟はほぼ一本道で、特にこれといった収穫もないまま最奥へとたどり着いた。それまでと違って比較的人工的な空間に見える。おそらく何者かが宝を隠していたのだろうが、すでに先客があったのか、すっかり荒らされた跡があるばかりだった。

「まあ正直ダメ元ではあったけどなぁ。噂が出回る程度のもんなんてだいたいこういうもんだよな。」

一通りの探索を終えてレイヴがこう漏らした。他の船員達も諦めた様子だった。

しかし、ヴェルナだけは違った。この場所に来てから何故か頭がズキズキと痛む。この間船で感じた、波立つようなあの感じ。自分以外はどうやら気づいてすらいないらしい、この頭痛と共鳴する何かをヴェルナは感じていた。

すでに奪われていた手柄にその場にいた者達が落胆して引き上げようとする中、ヴェルナはその何かに引き寄せられるように奥の壁に触れた。そして、共鳴が最も強くなったところで弾けるように光が走った。

「お、おい、何事だ!?」

その衝撃にレイヴ達は足を止めた。何かまずいことをしてしまったかとヴェルナの頭は真っ白になっていた。

光が収まると、壁が崩れ落ち、そこには先程までなかったはずの道ができていた。

「これは……?」

「ヴェルナ、お前何したんだ?…いや、それは後でいい。この先になら何かあるかも知れねぇな。」

何が起きたのかはわからないが、突如現れた新たな道をレイヴは躊躇いもなく進みだした。

「…ああ、そうだ。ヴェルナ以外は先に戻っててくれ。」

途中、レイヴはこう指示を出した。それに従い、他の船員達は来た道を戻っていく。確かにこの道を発見したのはヴェルナだが、何故彼以外を引き返させる必要があるのだろうか。

「船長、なんで俺だけ…」

「いいから来てみろ。ちょいと気になることがあるんだ。」

わけもわからずにヴェルナはレイヴの後を追う。先程まで塞がれていたはずの道だが、その様子はこれまで通ってきた道のりとさほど変わらない。封印、というものだろうか。しかし誰が何のために?

そんなことを考えながら進む途中――

「せ、船長、今何か…」

洞窟の奥から怪しげな音が響く。その音は規則的なリズムを刻み、何者かの呼吸のように聞こえる。しかし、だとしたら一体その主は何者なのか。

「落ち着け、相手が何かわからない以上、騒いだら余計に危険だ。」

「で、でも……」

「いいから静かにしろ。この先に何かがあることは間違いねぇ。行くぞ。」

レイヴは奥へと足を進める。しかしヴェルナは徐々に不安を募らせていた。この先に何かがいるというのもそうだが、進めば進むほど頭痛が激しさを増す。もはやただの宝探しの緊張感では済まなくなっていた。

そして二人はついにそこにたどり着いてしまった。

「これは……竜……!?」

二人の前に現れたのは水のように澄んだ鱗を持つ竜。幸い竜は眠っているようで、聞こえてきた音はその寝息だったようだ。

もし目を覚まして襲ってくるようなことがあればひとたまりもないだろう。自ずと緊張感がさらに高まる。同時に突如としてより激しい頭痛がヴェルナを襲い、膝から崩れ落ちた。

「ヴェルナ、どうした!大丈夫か!?」

「頭が…!なんだ、これ……」

頭痛はさらに激しさを増す。それと同時に脳裏を何かがよぎる。まるで長い時をかけて移り行く海の景色を見ているような――


フラッシュバックのように見えた海の景色が消えると、頭痛は嘘のように去っていった。レイヴが心配そうに顔を覗き込む。ヴェルナは自分の身に何が起きたのかわからずにいた。

「大丈夫か?船に戻るか?」

「いえ、大丈夫で――」

言いかけたところで息を飲んだ。続いてレイヴがヴェルナの視線を追う。

視線の先にあったのは最悪の事態だった。


竜が目を覚ましていた。


「逃げるぞ!何かされたらたまったもんじゃねぇ!!」

「は、はいっ!!」

二人を視界に捉えた竜は威嚇の咆哮をあげる。その声は洞窟中を震わせた。こうなっては探索を続けるのは難しい。レイヴが目眩ましの閃光弾を放ち、その隙に二人は駆け出した。

さすがにこうなることは予想外だっただろうが、ほとんどの船員を退却させていたのは結果的に正しかったかも知れない。二人が戻るとすぐに船は洞窟を離れた。

船が離れた後、洞窟の方から何かが飛び立ち、辺りを突如激しい嵐が襲い始めたのが見えた。


まさかこんなことになるとは。洞窟の中では緊張やら混乱やらでまともに考えている余裕はなかったが、よく考えてみると今回の諸々の原因は自分なのではないか。あの部屋で封印を解いたと言うべきか、隠し通路を見つけたのも自分。また、あの時の頭痛はあの竜との共鳴で、結果的に自分が目を覚まさせたのではないか――



「やあ、ヴェルナ、お疲れさん。レイヴから聞いたよ、成果はなかった上にやばいのに遭遇したんだってね。初めての<探索>サルベージはどうだった?」

船に戻ってようやく落ち着いたところでシルバがこう声をかけてきた。ヴェルナとしては思うところがなくもない。しかし、それはそれ、推測は所詮推測だ。沸き上がる感情は他にもあった。

「でも、なんていうか、楽しかったです。なんか、改めて俺海賊になったんだなーっていうか、物語みたいでわくわくしました。」

決して良い結果ではなかったが、彼にとって初めての作戦だった。それまで雑用ばかりだったが、初めて海賊らしいことをした気がする。そのこと自体は素直に受け止めていた。

「それはよかった。まあ結果は結果だけどとりあえず今回は労っておくよ。お疲れさん。」

そういえばヘマしたら一生笑い者にするとか言っていたことを思い出す。作戦としての結果はともかく、どうやら少しは彼の期待にも応えられたようだ。

見返すまではいかなかったものの、それは初めて海賊として自信を感じた瞬間でもあった。


その翌日、いつものように雑用を終えたヴェルナは甲板で一人黄昏ていた。あの時自分の身に起きた出来事、もしかしたらとんでもないことをしてしまったのではないかという不安もあったが、この船の一員となって初めて作戦らしい作戦に参加した余韻も一晩明けてさらに大きくなっていた。

「あら、今日はずいぶんと暇そうじゃない。」

背後からかけられた声にヴェルナは飛び上がった。振り返るとそこには鳩を肩に乗せたセレヴィが立っていた。

「あんた…さすがに失礼じゃない?」

「ご、ごめん……」

正直ぼんやりして油断していた。そんなに隙だらけでは早死にするぞ、というセレヴィの指摘も尤もだ。

「え、えっと、仕事?…もしかして俺邪魔?」

「ううん、これは個人的なことだから。」

小さな鞄を首にかけられると鳩はセレヴィの元から飛び立っていった。伝書鳩というやつだろうか。飛び去る鳩を見送る彼女の目には、どこか憂いの色が感じられた。

「今のは…?」

「ただの手紙よ。めったに帰れないし、それだけ。」

「へぇ、家族とか?」

「え、うん……」

セレヴィは曖昧な返事をしただけで目を逸らした。もしかして何かまずいことを言ってしまっただろうか。慌ててかける言葉を探す。

「あ、あの…」

「あんた、確か昨日の<探索>サルベージに参加したのよね?」

「えっ?そうだけど…」

その言葉を遮ってセレヴィが切り出した。

「収穫はなかったけど、あんたはそこそこいい働きをしたっていうのは聞いたわ。…ヴェルナ、あんたはどうして海賊になろうと思ったの?」

「どうしてって…、海には出てみたかったし、何より船長に――」

「そうじゃなくて、どうしてそのために海賊を選んだのかって話。」

「それは――」

言葉を詰まらせるヴェルナの返答を待たずに、堰を切ったようにセレヴィが続ける。

「あんたは直に相手したからわかると思うけど、副船長のあの技だって遊びじゃない。何人も傷つけただろうし、そのうち何人かは死んだかも知れない。どんなに平和主義とは言っても、同じ船に乗った時点であたし達も同罪よ。だから、よく考えて欲しいの。そして、もし中途半端な気持ちなら…、あんたならまだ引き返せる。……変よね。何言ってるんだって感じだよね。でもこれだけは言っておくわ。自分勝手で、目的のために手段を選ばない海賊って奴らが、あたしは大ッ嫌いだから。」

彼女の目を潤ませていた涙がついに溢れだす。自分でもそれに気づいたのか、逃げるように去っていった。何か地雷を踏み抜いてしまったことは間違いない。追いかけるべきかとは思ったが、そうしたところでどう声をかけるべきだろうか。

それに、強気な彼女のあんな表情を見るとは思わなかった。それも大きなショックだった。

「あーあー、女の子を泣かせるなんて、随分じゃねぇの?」

呆然としていたヴェルナにいつからいたのかレイヴが声をかけた。

「せ、船長!いや、あの、そんなんじゃなくて……あ、違わないですかね……」

「気にすんな、冗談だ冗談。」

ヴェルナの隣に並び、煙草に火を点ける。一服したところでレイヴが切り出した。

「セレヴィはな、昔ある海賊に捕まってたんだとさ。あいつが持つ能力に目をつけられてな。俺が会ったのはもう助け出されて親代わりと暮らすようになってかららしいが。」

「そうか、だからあんなことを……。でも、どうしてこの船に?」

「平たく言えば復讐だな。あいつの方から船に乗せてくれって言ってきたんだ。情報係の役は能力を活かせるように俺から提案した。」

復讐、という言葉が胸に刺さった。自分と同じくらいの年頃の少女からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。話を聞きながらヴェルナは自分の身を振り返る。

「どこかで気づいたんだろうな。自分のしようとしてることが、自分が憎むものと同じだと。普段こそ強がってるが、あれでも年頃の女の子なんだよ。」

確かに女性の、それも同じ年頃の海賊なんて珍しいとは思っていた。しかし、そのわけまでは知らなかった。もし復讐を果たす時がきたら彼女はどうするのだろうか。おそらくこの船に乗ることを決めた時点でそれは覚悟しているだろう。

それに比べて自分はどうだ。初めての<探索>サルベージはいろいろあったが楽しいと思った。自分も海賊の一員になれたようで。だが、それだけでいいのだろうか、と思ってしまう。

そんなことを考えているのを見透かしたのか、不意にレイヴがヴェルナの肩を叩いた。

「まああれだ、ややこしく考える必要はないさ。お前はお前の好きなようにすればいい。復讐だろうがスリルを求める冒険だろうがなんでもいいんだ。この海で好きなように生きて好きなことをする、それが海賊ってもんだ。大事なのは命をかけてもいいって程の目的を持つこと。俺はそれが海賊としての覚悟だと思ってるぜ。」

「命をかけても……」

「そうだ。だが考えすぎも関心はしないな。お前はお前のままでいい。いずれ認めてもらえる時がくるだろうさ。」

それだけ言うとレイヴは船長室へ戻ると言って船内へ戻っていった。

ただの船乗りではなく、海賊としての覚悟。確かに冒険は好きだ。それで充分なのかも知れない。考えすぎもよくないというが、つい考え込んでしまうのは自分の悪い癖だ。

「おっ、いたいた!ヴェルナ、喧嘩ごっこしようぜ!」

もはや定型文じみた誘いが背後からかかる。声の主はもちろんリキだ。振り返ると彼が大きく手を振っていた。

「ああ、うん。今行く!」

ここで一人悶々としているより何か行動していた方がいいはずだ。誘いに答えてヴェルナは先に走り出した彼の背中を追った。



しかし人の気分などそう簡単には変わらないものだ。

「えーっ、ヴェルナどうしたんだよー、いつもより割増で弱い!」

「ぼーっとしてる。弱そう。」

不調の自覚はあるし原因は言うまでもないのだが、何もそこまでつついてこなくても、と思う。しかし、喧嘩ごっこをしに訓練室に来たのはいいが、どうにも気合いが入らず早速リキに完敗した。

「ごめん、もう一回!」

「次は本気で。」

彼らが喧嘩ごっこと呼んでいるのは兄弟のじゃれあいの一環から生まれた模擬戦。そのため、特に決まった形式もなく、二人曰く案外乱闘なんかのシミュレーションにはなるらしい。そして相手が身内であるためかまるで容赦がない。

ヴェルナの槍とリクの刀がぶつかり合う。もともとの熟練度の差もあるが、リクは軽々とヴェルナの攻撃を受け止め、的確に反撃を繰り出してくる。

この二人もこうやって技を磨いて、海賊として叶えたいことがあるのだろうか。もしかしたらこれを喧嘩ごっこと呼んでいるくらいだから、実戦はあくまで喧嘩で案外楽しんでいるだけなのかも知れないが――。

ふとそんな考えが頭をよぎった。いやいや、今は模擬戦の途中だ。集中しろ自分、と言い聞かせる。

「がッ!?」

「はい、兄ちゃんの勝ちー!」

手遅れだった。槍をはたき落とされ、王手と言わんばかりに刀が迫る。どう考えても完敗だ。

「…危なっかしすぎ。もう少し身を守ることを考えた方がいい。あと戦闘中にぼんやりするってどうなの?」

そんな批評をしたのは兄弟ではなく、意外な人物だった。

「えっ、ヴァレルさん!?なんでここに?」

「暇だから。あと一応俺も訓練はするし。」

「そうだぜ、レアだけどな!」

珍しいとはいえ、船医であるヴァレルが戦闘の訓練とはやはり意外だ。自分の身は自分で守るしかないから、とのことらしい。

「…で、この間医務室でぐちぐち言って、今度はどうしたの?」

まず前提として何か抱え込んでいるのはお見通しらしい。ヴェルナはセレヴィやレイヴと話した内容を打ち明けた。

「ヴェルナって意外とめんどくさいんだな。」

聞き終えたリキの第一声がこれだった。シンプルかつ的確な指摘が重りのようにのしかかる。彼に限らずリクもそうだが、時々意外と端的に痛いところを突いてくる。

「…この間も思ったんだけど、君は生真面目が過ぎるんじゃない?確かにお尋ね者だし、多少の覚悟は必要かも知れないけど、さすがに考えすぎじゃないの?」

「そうだそうだー!」

「楽しければそれでいいんだー!」

君達の場合は楽観しすぎ、と一蹴されたが、彼らのこういうところは見習うべきかも知れない。いつか船に乗って大海原を旅するという一つの大きな夢は叶った。そして、初めての作戦で冒険の楽しさも少し垣間見えた。それだけでも楽しいし、海賊になったことを後悔もしていない。それだけでも充分なのかも知れない。

「そうですね…、やっぱり俺少し考えすぎかも知れないですね…。ちなみに、ヴァレルさんはどうしてこの船に?」

先日医務室でシルバが少し話していた通りなら、かなりまともな経歴を持ちながら何故海賊になろうと思ったのだろうか。境遇は異なるだろうが、答えを見つけるためのヒントとして聞いてみたくなった。

「俺?レヴィ――レイヴに誘われたから。…もともと幼馴染みだし、俺は俺で将来を決めかねてた時だったから。まあ医者として現場を用意してもらった…っていう感じかな。」

幼馴染みの誘いとはいえ、自ら正規の医者になる道を捨てて海賊になることを選んだというあたりはだいぶ思いきった判断だな、と感じる。しかし、その根底にあった思いが後に続いた。

「…めんどくさいんだよ、あの世界。……だから、自由になりたかったっていうのもあるかもね。」

真面目そうな彼――今更ながらそう気づいた――でもそんな風に思うのか、と少し意外に思ったが、やはり海賊の道を選んだ動機自体は案外単純なものらしい。少し答えに近づけた気がする。

「ありがとうございます。…少しすっきりした!よし、喧嘩ごっこ続きしようぜ!」


そしてヴァレルの立ち合いのもと、再び喧嘩ごっこが始まった。

ヴェルナはやはり芳しい戦績をあげられなかったが、彼の動きに迷いは少し薄れてきていた。



「敵襲だ!!すぐに戦闘準備!!」

それは突然の出来事だった。一隻の船が近づいてくるといきなり攻撃を仕掛けてきた。船の主は同業者、つまり海賊。あまりにも急な敵襲に、<黒い翼>ブラック・ウィングの船員達は戸惑いながら戦闘の準備にかかった。

そんな中、ヴェルナは武器を手放した状態で逃げ回っていた。

いつだったか、後悔する前にマーキングを付けておいた方がいいと言っていたセレヴィの言葉を思い出す。現在、最高に後悔している。

「チッ、あいつどこへ行きやがった!?」

「刺青無しの雑魚取っ捕まえて揺すればあの<黒い翼>ブラック・ウィングだって折れるだろ、探すぞ!」

刺青無し、すなわち新米の雑魚。他所から見ればそういうことになる。あながち間違ってはいない。丸腰では逃げ回るしかない。せめて武器があれば――。

短刀や爆薬ならまだしも、槍など普段から携帯してはいられない。しかし船室まで取りに行くほどの余裕はなさそうだ。むしろたどり着いたとして、狭い船室では不利になるのは明らかだ。

(どうする、俺?)

せめて落ち着いて考えようとヴェルナは倉庫に駆け込んだ。そこで、閃いた。探せば武器の1つくらい見つかるだろうが、使いなれたそれを見て、ヴェルナは自身を奮い立たせた。


少しだけ開けた扉から外を覗く。すっかり標的を見失って油断しているようだ。その隙を狙い、ヴェルナはデッキブラシを手に突っ込んでいった。

「なっ…」

一人が倒れると周りに散っていた数名も一挙に向かってきた。

使い馴れたデッキブラシをまさかこんな使い方をすることになるとは思っていなかった。

脚どころか全身が緊張してがくがくと震えていた。さらに、訓練を積んだとはいえ相手の反撃を全て見切れるわけでもない。しかし、これならやれる。確かに手ごたえを感じていた。

「何だこいつ、ナメたマネしてくれやがって――」

剣を手に斬りかかってきた相手に強烈な突きを食らわす。

「こっちだって必死なんですよ。そう簡単に死にたくはないですからね。」

当たりどころがよかったようだ。相手はそのまま床に崩れ落ちた。

とりあえず見える範囲の敵はもう抵抗してこないようだ。少し冷静になって目で数えると伏しているのは5人。我ながら大したものだ、と思う。

(そうだ、この場は離れないと……)

いつまた起き上がってくるとも限らない。ヴェルナは念のためデッキブラシを手にその場を去ろうとした。

「ああ、やっぱりここにいたんだ。」

「ッ!?」

何者かがヴェルナを呼び止めた。その人物は顔のほとんどを布で覆い隠していたが、状況が状況であるのと、見覚えがないことからおそらく敵船の者だろう。

「こいつらを倒したの、君だよね?それもそのデッキブラシで。ちょっと手合わせしてみたいな。」

「お、お前も敵…なのか?手合わせなら受けて立つぜ!いつまでもやられっぱなしじゃないっていうのを見せてやる!」

突如現れた相手にヴェルナはデッキブラシを構える。またこれを武器として使うのは多少気が引けるが、今はそれどころじゃない。

そうこなくっちゃ、と相手が構えたのは先が三ツ又になった槍。こちらは現状は一度置いておくとして、同じ槍使いとして負けるわけにはいかない。

「うおおおおおっ!!」

先手必勝、とヴェルナはいきなり相手の懐へ突っ込んだ。しかし、それは軽く受け流され、ヴェルナは勢い余ってよろめいた。その隙を狙って刃が迫る。上手く態勢が整わないまま寸でのところで避けるが、攻撃は2、3度続き、数ヶ所に切り傷が走った。この程度、とデッキブラシを振るって反撃を試みるが、まるで全て読まれているかのように避けられた。これは相手が悪いかも知れない。しかし、かと言って負けるわけにはいかない。

「俺は…!俺は強くなるんだ!この船で、この海で!」

自身を鼓舞するように叫ぶ。戦況はいたって劣勢だが、不思議と力が湧いてくる。相手の槍が何度も避けきれずにその身を斬るが、荒削りな戦い方ながらなんとか立ち向かう。

「「うおおおおおっ!!」」

二人の雄叫びと共に互いの武器がぶつかる。少しでも気を緩めれば押し返されるだろう。ギリギリの攻防戦となったその時――


『目覚めよ、海の記憶――。力を解き放て――』


(またあの声!?こんな時に……ッ!!)

脳裏に声が響いたと思うと、ぶつかり合う武器の間で何かが弾け、二人はその勢いで吹き飛ばされた。相手がどうなったかもわからぬまま、ヴェルナは全身を打ち付けられ、そのまま気を失ってしまった。


ヴェルナが目を覚ましたのは医務室のベッドの上だった。

「ヴェルナ!大丈夫か!?」

声をあげたのはレイヴだった。当のヴェルナは何が起きて今どんな状況なのかもわからずに辺りを見回す。

「船長、俺は……」

「倉庫の近くで倒れてた。何人かアホ共の仲間が倒れてたからそいつらは片付けておいたが……。お前、何があったかわかるか?」

「…たぶんそれは俺が倒した奴らです。でも、もう一人……三ツ又の槍を持った奴が……」

現在の混乱する頭ではそこまでの記憶が限度だった。おそらく敵船との戦闘が落ち着いたところで救出され、今に至るのだろう。ということはあの戦士も敵船で敗走したのだろうか。しかし、レイヴは予想外のことを口にした。

「三ツ又の槍?あの船のアホ共は全員追い返したはずだが、槍なんて持ってた奴はいなかったぞ?」

「えっ…」

そんなまさか、自分は確かにその戦士と戦ったはずだ。その時に傷を受けたところに包帯も巻かれているし、痛みもある。夢ではないはずだ。

「まだ混乱してるんじゃないか?まあ何にしても今は休め。…それと、何人かは倒したんだろ?よくやった。」

労いの言葉をかけるとレイヴは医務室を後にした。

あの時戦ったはずの相手は一体何者だったのか。そしていつの間に姿を消してしまったのか。ヴェルナの頭を次々と疑問がよぎる。

「…まったく、起きてすぐの人間に聞くことでもないだろうに……。」

レイヴが去っていったあとに声をかけてきたのはヴァレルだった。その手にはぽっきりと折れたデッキブラシを持っていた。

「……よくこんなので戦おうと思ったね。」

「もしかしてそれ、俺の…?」

冷静になって考えると、何故よりによってこれを選んだのだろう。今更ながら恥ずかしくなった。

「…でも、レヴィも言ってたけど、よくやったと思うよ。」

「ありがとうございます。……でも、負けたんだよな、俺。それは悔しいけど…なんとなく見えてきた気がする。俺の、海賊としての覚悟…」

「…ああ、あの話?」

「はい。…俺、やっぱりこの海で、この船のみんなと生きたい。そして、そのために強くなりたい。…戦いながら、そんなことを考えてました。」

「……こんな時までそんな調子だから生真面目が過ぎるって…。でも、悪くないんじゃない?」

やはりかなり消耗していたらしく、ヴァレルのその答えを聞くとヴェルナは満足したように再び眠りについた。そしてそのまま医務室で朝を迎えた。



襲撃の日から数日後、すっかり身体も本調子になったヴェルナはしばしの休息から明け、久しぶりに訓練所を訪れた。

「おはよう、デッキブラシ戦士。」

「う、うん、おはよう。」

あの日以降、ヴェルナの武勇とデッキブラシで大立ち回りを演じたのが受けたらしく、いつの間にか『デッキブラシ戦士』なるあだ名が広まっていた。複雑なものがなくもないが、それはそれで一つの進歩だ。

その不名誉なあだ名と共にヴェルナを出迎えたのはセレヴィ。あの日からまともに顔を合わせたのは初めてかも知れない。お互いそれを意識してか少しぎこちない空気が流れる。

「…あ、あのさ、あれから考えたんだ。」

その沈黙をヴェルナが破った。

「セレヴィの言う通り、海賊は悪い奴らだ。けど、俺はそれも含めてこの海と生きたいと思ったんだ。だから、決めた。俺もこの船で強くなる。そしてこの海と生きる。」

認めてもらえるかはわからない。でも、それでもいいかも知れない。これが自分の決意だ。

「…そこまで言うなら止めないわ。後悔するんじゃないわよ。」

「うん、もちろんさ!」

説得なんて大袈裟なものではない。けれど、あの日の問いの答えと自分の海賊としての覚悟は伝わったのだろう、と思う。セレヴィの出した握手を求める手がその証だ。ヴェルナはそれに応じ、強く握手した。

ちょうどそこにレイヴがやってきた。

「よお、ヴェルナ。いよいよ復帰かい?おっ、刺青入れたんだな?似合ってるぜ。」

「あ、はい。ありがとうございます!」

どうやらセレヴィには気づいてもらえなかったようだが、ヴェルナは眉間に三ツ又の槍をイメージした模様、両頬にも小さく刺青を施していた。眉間の模様はあの謎の戦士への雪辱を誓って描いたものだ。マーキングという本来の趣旨から考えると物足りないのかも知れないが、彼なりに考えた結果だった。

「この間から気になってたんだ。まあでも安心したわ。これでお前も一人前だな。改めてよろしくな!」

「はい!」


命をかけてもいいと思える目的。

海賊としての覚悟を決めて少年は改めて<黒い翼>ブラック・ウィングの一員となった。

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海賊Project-海賊達の航海日誌- 七夜瑠奈 @LLuna_chilele

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