海賊Project-海賊達の航海日誌-
七夜瑠奈
第1話 海賊船<黒い翼>
「錨を上げろ!帆を張れ!出港だ!!」
青年の声を合図に船がゆっくりと動き出す。
拡げられた帆には大きな髑髏と交差する刃、そして翼の紋様。それが彼らの乗る船
見馴れた港が段々と小さくなっていく。少年は大きく身を乗り出し、波の飛沫と強い潮風を全身に受ける。
「さて、もう引き返せないぜ。覚悟はできてるか?」
そんな彼に青年が言葉をかける。逆立てた銀髪と爬虫類のように鋭い紫色の瞳が特徴的な彼がこの船の船長だ。
「もちろんです、船長。」
少年は力強く答える。いつか船に乗って大海原を冒険するのが少年の夢だった。そして、これから自分も彼らと共に長い航海に出る。
故郷の港はほとんど見えなくなった。どこか物寂しさも感じるが、これで夢が叶う。そう思えば乗り越えられた。
航海技術が飛躍的に発展した今日、海に憧れ、海に駆り出す者達は少なくない。海の玄関口である港町はどこへ行っても各地の文化が入り交じり、かつてない賑やかさを誇っている。
彼はそんな時代の港町に育ったごく普通の少年である。名はヴェルナ=グラウコス。彼もまた海に憧れる者の一人で、いつかこの町から海へ旅立とうと考えていた。そんな平凡だった日常は青年との出会いを期に一転、少年は海賊としての道を歩み出した。
話は数時間前に遡る。
「おい兄ちゃん、どこに目ェ付けて歩いてんだ?」
ヴェルナはいつものように宛もなく町を散策していた。大勢の人が賑わうこの大きな港町で人の波を縫って歩くのは、住み慣れていても意外と難しい。この日は運が悪かったようだ。そもそも露店に気をとられてよそ見をしていたヴェルナがぶつかってしまったのは、見るからに屈強で粗野なよからぬ連中。
「す、すみません、俺の不注意で……」
「おうおう、ちょいと話つけようじゃねぇか。」
そして彼は路地裏に連れ込まれた。これよくあるやつだ、これ面倒なやつだ、全財産いくらもないんだけどなぁ、と思いながらも逃げ出せる状況ではなさそうだった。当然喧嘩などもからっきしで、戦って勝つというのはまず無理だ。そもそも勝ってどうする。
もうダメかと思ったところに現れたのが彼だった。
「おっ、イジメかカツアゲの現場?今時流行んないぜ?」
「うっせぇ、いいんだよ流行りとか!っていうか誰だテメェは!」
「しがないお尋ね者さ。うちの子分が何か粗相やらかしたようで。」
もちろん子分などというのは嘘だ。どこからかあの現場を目撃していたのだろう。
「なるほどな、じゃあ親分が責任取ってくれるってことだなッ!?」
細身な青年より1、2回り大きいかという荒くれが殴りかかってきた。青年はそれを軽く避けると、そのまま激しい蹴りを叩き込んだ。
「なろっ、ふざけやがって!」
もう一人が向かってきたが、やはり同じような目にあった。強い。残る2、3人もその実力にたじろいだ。
「俺、一応民間人には手ェ出すの嫌いだから、これぐらいにしとこうぜ、な?」
そう言って彼は懐から何かを取り出すとそれに火を点けて投げた。空中に放たれたそれはパチパチと爆ぜて荒くれ達を襲った。
「な、なんだこれ、ちょっ!?」
「ば、爆竹…!?」
「よし、今のうちに逃げるぞ!」
そうしてヴェルナは青年に連れられて町はずれの港まできた。
「助けてくれてありがとうございます。あの…あなたは、レイヴ=ヴィスタールさん…ですよね?」
彼の戦い方はその海賊の名を思わせた。安心したところで尋ねてみた。
「なんだ、バレてたか。どうする?俺を突き出すかい?さっきも言ったように、民間人に手ェ出すのは嫌いなんだが、場合によっちゃ容赦しないぜ?」
「まさか。俺は貴方について行きたいです!」
「…は?」
「俺も船に乗せてください!お願いします!」
きょとんとした様子のレイヴに、ヴェルナはどさくさ紛れに思いをぶつけていた。目の前に現れた本物の海賊を相手に、自身の夢と思いを吐き出す。
しかし、彼はヴェルナに背を向け、こう言った。
「悪いが、こっちも遊びじゃねぇんだ。さっきはたまたま俺がいたからよかったが、一人だったらどうしてた?」
「それは――」
「そういうことだ。テメェの身も守れないようでやっていける世界じゃないんだ。」
レイヴの言う通りだ。もし彼がいなかったら今自分がどうなっていたか想像もできない。そんな有り様で海賊になりたいなんて、出過ぎた真似にも程がある。しかしヴェルナは諦めなかった。歩き出すレイヴを遮り、頭を下げる。
「この通りっす!!今は確かに弱いし、何の役にも立たないかも知れないです。けど、必ず、…必ずお役に立ちます!この恩を返したいんです!」
レイヴは再び歩き出す。そして振り返り、こう言った。
「……おもしれぇ。着いてきな。」
「じゃあ……」
「いいか、使えねぇと思ったら容赦なくその辺に捨ててくからな?」
そんな経緯を経て今に至る。船内を案内される途中でレイヴがぼやいた。
「申請のない航海はNG、その上で犯罪やらかしたら海賊扱いだ。わかりやすいっちゃわかりやすいけど、面倒な世の中だよな。」
海に出る者が増えたことの弊害も確かにあった。海の治安の壊滅的な悪化。その結果がこの言葉通りの状況だ。
「ま、そんなわけだからそれなりの働きはしてもらうからな。」
「はっ、はい!…でも……」
「何だ?」
「船長は、どうしてそんな時に海賊に?」
純粋な興味で訊いただけだったが、あまりつついてはいけないところだったのか、レイヴは少し考える様子を見せる。
「…訊かない方がよかったです?」
「いや、気にすんな。とりあえず、これだけは言っておくけど、俺達は暴れたくて海賊やってるわけじゃねぇ。どっちかというなら宝探しが本職だ。その辺りはわかっておいてくれよな。」
その答えには気になることもあったが、深くは追及しないことにした。
そうして最後に案内されたのは小さな船室だった。
「邪魔するぞ、お前ら。今日からこいつも相部屋だ。」
どうやらここが自分の部屋になるらしい。しかし、「お前ら」ということはすでに少なくとも二人先客がいる。
目の前のレイヴこそどちらかといえば優男の部類に入るが、もしこれでルームメイトがいわゆるイメージ通りの海賊だったら――
しかしそれは杞憂だった。
そこにいたのは双子かと思う程にそっくりな少年二人。歳の頃はヴェルナより少し下くらいだろうか。
「じゃ、俺の案内はここまで。仲良くやれよ。」
「あ、ありがとうございました…?って、ちょっ……」
戸惑うヴェルナを置いてレイヴは去っていった。まさかここにきて投げ出されるとは。
「やーい、捨てられたー」
そしてまさかのこの第一声である。放ったのは長い前髪で左目を覆った方の少年。直後彼はヴェルナが言葉を発するより先にもう一人の方に殴られた。
「…リクと、このうるさいのが弟のリキ。……よろしく。」
もう一人――リクが挨拶する。どうやらこちらはまともなようで少し安心した。
「ああ、俺はヴェルナ。よろしく。」
リキはまずこの第一印象だし、リクも少々物静かが過ぎるというか――。しかし、歳が近いこともあってか、その後打ち解けるのに難はなかった。
その夜、ヴェルナは不思議な夢を見た。
誰かが名前を呼んでいる。
応えようとしても身体が動かない。何もできないままヴェルナの意識はいつしか闇に飲まれていった。
意識が再び戻ってきた時にも呼び声は続いていた。
「あーさーだーぞー!起きろー!ヴェルナー!!」
名前を呼ぶトーンが変わった……いや、違うこれは夢じゃない。
この声の主はリキだ。大声で起こしにかかっているらしい。朝一番でこれはつらい。
「お、起きた……でも頭痛い……」
「よっしゃ、朝飯だ!行こうぜ!」
「ちょっ……」
散々な目覚めで体調は最悪だったが、食堂に並ぶ食事は最後に立ち寄った港――すなわち今はヴェルナの故郷で仕入れた食材を使っているそうで、すでにだいぶ離れただろうにいつもと変わらない味がそこにあり、いい意味で少し変な感じだ。
「やぁ、昨日きた新入りって君かい?」
食事を終え、部屋に戻る途中でこう話しかけてきたのはすらりとした長身の男性。頭に巻いた緑のバンダナから茶の長髪を流し、全体的に海賊らしからぬ爽やかで落ち着いた印象を受けるが、頬に施された大きな刺青がその印象にアクセントを付していた。
「あっ、はい……」
「ふぅん……」
すると彼はヴェルナを観察するようにじっと見回した。
「レイヴもまた面白いのを拾ってきたねぇ。君、名前は?」
「えっ、ヴェルナ=グラウコスです。」
「…ヴェルナね。俺は副船長のシルバリッド=ハーヴェイ。よろしく。そうだ、この後暇かい?ちょっと話がしたいんだけど。」
「えっと…、はい、たぶん……」
「そ、じゃあ後で談話室においで。じゃ、またね。」
それだけ言うと彼は去っていった。
「おいおい、あれ副船長じゃん。何しでかしたんだよ。」
リキがつんつん小突いてきた。しかしまるで心当たりがない。
「よくわかんないけど……ドンマイ。」
「ドンマイって、えっ、何それどういうこと!?」
リクが何やら物騒な言葉を残して二人はさっさと部屋へ戻っていった。仕方なくヴェルナは1人で談話室へ向かった。
「やあ、よく来たね。」
着いた時には彼はすでに一角で待っていた。おどおどしているヴェルナに手招きをした。
「あの、副船長、話って……」
「ああ、そんな堅い話じゃないよ。あと気軽にシルバって呼んでくれていいから。」
「え、いや、でも…」
いいからいいから、と席をすすめる。戸惑いながらも席につくと、シルバは二人分の珈琲を淹れ、それから話し始めた。
「どこから話そうか。まずは……そうさね、なんで海賊なんてなろうと思ったんだい?」
「それは――」
「その様子だとレイヴにホイホイされたわけだね?…ああ、気にすることはないよ。うちのメンバーって割とそんな感じだから。」
上手く言葉にできず戸惑うヴェルナだったがシルバがすっかり拾ってくれた。ひとまず安心して話を続ける。
「いつか海に出てみたいとは思ってたんです。港町で育ったせいもあるかも知れないですけど、なんていうか……ずっと憧れみたいなのがあって。」
「へぇ…、殊勝な心がけだねぇ。」
「そうですかね…?確かに下手すれば海の方が治安が悪いなんて言われる時世ですけど、昔から海に呼ばれてるような気がして……なんて、変ですよね。」
ふっとシルバの表情が変わった。何か考え込むような仕草にヴェルナが問いかける。
「…どうかしました?」
「いや、なんでもない。……よければその話、少し聞かせてもらえる?」
「えっ、いいですけど…」
まさかそこに食いついてくるとは思わなかった。それほど重要なこととは思っていなかったので困惑しつつも話を続ける。
「誰かに呼ばれてる気がするんです。昨日も変な夢を見て……」
「夢?」
「誰かが俺を呼んでるんです。それから…『目覚めよ』って。」
「なるほどねぇ……わかった。面白い話をありがとね。」
何やら考え込んだ後、いい笑顔を見せる。まるで何かを確信したように。
「…どうしてこんな話を?っていうか、信じるんですか?」
「んー、なんでだろうね。平たくいえば興味があるから、かな。ま、変な話したけど、これからよろしく頼むよ。何かあれば頼ってくれていいし。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
シルバは何やら満足げに立ち上がり――何か閃いたようにすぐに席に戻った。
「でさ、正直どうよ?」
「は?」
先程とは違う、かなり砕けた口調で突然また続けた。
「暇、なんでしょ?友達はできたみたいだけど。」
悪戯を思い付いた子どものように目を輝かせてまくし立ててきた。
「ええ……、まあ……。というか、何をしていればいいのかわからないというか……」
「なるほどねぇ……。そんな君にいい暇つぶしがあるんだけど、どうだい?」
それからというもの――
(は、謀られた……!?)
船内の掃除だけは完璧に覚えた。炊事は担当している班がいるようだから回ってはこなかったが、洗濯もある程度慣れた。
というか、叩き込んだ。
暇つぶし、とは要するに雑用全般だった。
(『ドンマイ』って、まさかこのこと…?あの話はどうでもよくて、これが狙いだったとか……!?)
その真偽が明らかになるのはもう少し先の話になる。何も知らないヴェルナはすっかり雑用係の地位に収まっていた。
それから1週間程後。
船と肩を並べて飛ぶ鴎達の群れが今日は妙に騒がしい。しかし、今日も今日とて穏やかで青い空と海。鴎達の様子も騒がしいとは言っても悪い予感を感じさせる雰囲気ではない。
穏やかでないのはヴェルナの心境ぐらいだ。まさかルームメイトにまで雑用を押し付けられるとは思っていなかったのだから。とはいえ、掃除のためではあるが甲板に出て見るこの景色がヴェルナは好きだった。
それにしても鴎達が騒がしい。掃除で甲板を回るついでに、鴎達の群がる一角を覗いてみた。
その中心にいたのは桃色に近い赤毛の少女だった。大幅に露出させた身体のラインはか細いと言っていいほどだが、左目の周りに施された大きな刺青がその体格ながら弱々しさを打ち消していた。
まるで言葉を交わしているように鴎達と戯れる少女の姿に、ヴェルナはいつしか見とれていた。
「そこのあんた、何?覗き魔?」
そんなヴェルナの意識を引き戻したのは少々棘の生えた少女の言葉。
「えっ?……っや!これは、覗きとかそういうのじゃなくて……」
そして冷静になって状況を考える。少女の言葉ももっともだ。しかし狼狽しか出てこない。
「ふーん……。あ、わかった、あんた例の雑用係ね。こんなところまでご苦労さん。」
少女はそんなヴェルナを一瞥するとばっさりと言い切った。返す言葉は見つからない。
綺麗な薔薇には棘がある。まさにこういうことかも知れない。
「話には聞いてたけど、こうやって顔を合わせるのは初めてよね。あたしはセレヴィ=ヴェルセス。<黒い翼>の情報担当をしてるの。よろしくね、雑用係くん。」
「あ、ああ、よろしく…。それと、俺の名前、ヴェルナっていうんで……」
「あら、失礼。ヴェルナね?覚えた。うん。」
本人にそのつもりがあるのかどうかはわからないが、同じ年頃の少女に見下されている気がしてヴェルナの心に若干ヒビが入る。まあ、そもそもこちらの覗き魔まがいの行動から始まったのだから多少は仕方ないのかも知れない。とにかく、彼女の中で自分の心象は最悪のはずだ。なんとか距離を縮めて印象を挽回しようと必死で話の種を探す。
「そ、その……情報担当って、何を…?」
「そうね、この船に必要そうな情報の収集、かしらね。一応言っておくと今仕事中なの。」
「えっ…?」
セレヴィの一言はあまりにも意外だった。あまりしつこくするとかえって邪魔をして印象を悪くするだろうか。いや、問題なのはそこではなくて。
「仕事中、って言ったって、君……」
「まあそれが普通の反応よ。でもね、あたしの相手はこの子たちなの。」
この子、といって指したのは船の周りを飛ぶ鴎たち。まさか鳥の言葉がわかるとでも?と訊くと、セレヴィはその通りだと得意げな表情を見せる。
「あたしの特技なの。鳥って意外と物知りなのよ。特に世界中を飛び回る海鳥や渡り鳥なんかはね。近くにある町や他の船の位置、何よりも危険を感じるとすぐに教えてくれるのよ。」
にわかには信じがたい話だ。しかし、得意げに語る彼女の顔は自信に満ちているし、実際のところは本人でなければわからないだろう。鳥たちの話をする彼女には先程のような棘は感じられない。つまりそういうことなのだろう。
「それじゃ、あたしはこれから船長に報告に行かないとだから。またね。」
「ああ、うん。また……」
彼女が去っていった後、ヴェルナは大きくため息をついた。
(き、緊張した……!)
自分の鼓動の音が喧しい。潮風がいつも以上に冷たく感じる。女の子と話すというのはこんなにも緊張することだっただろうか。
情けないことに脚の震えも止まらない。ヴェルナは近くの壁に寄りかかり、大きく深呼吸した。
高鳴る心臓とは裏腹に、海はいたって穏やかだ。心地よい波の音が心を鎮めてくれる。
「――ッ!?」
その波の音に一瞬何かが――
いや、気のせいかも知れない。ヴェルナは再び耳をすませる。
「――誰?」
波がヴェルナの心を表すようにざわつき始めた。
そしてそれに混じるように、今度ははっきりと。
『目覚めよ……海の記憶を宿す少年……』
「この間の夢の――?痛ッ!!」
声と共に激しい頭痛がヴェルナを襲った。
『――に選ばれし者……その記憶を……』
(選ばれし者…?それに、海の記憶って――)
頭が割れそうに痛い。何かが身体の奥から弾き出そうだ。
その場で蹲り、なんとかやり過ごす。ざわついていた波が静まると同時に激しかった頭痛が嘘のように引いた。
(何だったんだ、今の…)
自分の身に何が起きたのかわからないまま、ヴェルナは残った仕事を片付けに立った。
「おっ、ヴェルナ、お疲れ様っすー!」
キリのいいところまで雑用を終え、夕食の席にやってきたヴェルナをにこやかに出迎えるルームメイト。いや、お疲れも何も今日本当は君達が当番のはずなんだけど、という本音はしまっておこう。
「そういえば、情報担当を口説いてたってマジ?」
リキの突然の切り出しにヴェルナは思わず吹き出した。
「何それ俺も知らないよ!?」
実際口説いてなどいない。少し話しただけだ。それなのにどうしてこうなったのか。
「あの子って見た目は可愛いのに変なところでプライド高いから高嶺の花なんて言われてさ……」
「だから!そんなんじゃなくて――」
手遅れかも知れないが、無駄に噂が拡散するのを防ぐために必死で兄弟を説き伏せる。しかし――
「なになに、何の話?」
ここでヴェルナはまたしても吹き出した。せっかくの食事がもったいない。何て日だ。
「うわ、ちょっと何やってんのよ。あ、ここいいかしら?」
「ど、どうぞ!」
空いていた隣の席にやってきたのはよりによってセレヴィ。向かいの席で兄弟が「動かぬ証拠」だのなんだのとこそこそ話しているが、違う、そんなんじゃない。だから逃げるな。おいこら。
「な、なんで君がここに……」
隣同士二人きりにされたせいでさらに緊張が高まる。なんとかしようと話題を探す。
「ちょっと話し相手が欲しかっただけよ。あたしたちくらいの年頃ってそんなにいないし、たまに人恋しくなるのよね。」
確かにその辺りは納得できたが、ヴェルナの心臓は高鳴りっぱなしだった。同時に話し相手として認識してもらえたらしいことに少し安心した。
「あ、あの……」
「なあに?あたしが相手じゃそんなにやりづらい?」
そんなことはないけど、という反論はごにょごにょと周囲の声に埋もれていった。
「それはそうと、気になってたんだけど、あんた刺青は?」
「えっ?」
「聞いてないの?刺青がここでのマーキングなのよ。抵抗はあるかも知れないけど、後悔する前にやっておいた方がいいわよ。」
セレヴィが自身の刺青を指しながら言う。リキの言った通り可愛らしい顔立ちだというのに、強い存在感を放つ刺青がその印象を大きく変える。例外的にフェイスペイントで済ませている船員もいるそうだが、やはり抵抗がないといえば嘘になる。
「うちってそんなに暴れまわってる方じゃないし、むしろ規模の割には大人しい方なんだけど、いざって時にマーキングって役立つのよ。味方にとっても、敵にとってもね。海賊旗と同じようなものよ。近づいてどうなっても知らないぞって、そんな意味。」
「そうだったんだ、ファッションか何かかと……」
「どこの年頃の女の子がそんなことするっていうのよ。」
いや、それにしたってだいぶ派手に刺青入れてるよね?という言葉は一歩手前で飲み込んだ。ここで余計なことを言って毒を吐かせてもお互いに何も得しない。
「とは言っても、今のあんたじゃ近づいてもまるで危なそうにないわよね。」
何も言わなくても損した。
「あんたになら負けない自信ある。っていうか勝てない気がしない。」
何もそこまで言わなくたって……。彼女の実力は知らないが、自分の腕を考えると否定はできない。我ながら情けないと思いながらもヴェルナは反論できずにいた。
「大して訓練もしてないんでしょ?」
「うっ……」
「でも強くはなりたいんじゃない?船長との約束もあるんでしょ?」
じわじわとヴェルナの心を追い詰める言葉の暴力がそこで止まった。
「な、なんでそれを?」
「やっぱりそう?その気があるヤツしかあの人は仲間にしないからそうかなって。」
そうだ、船長と約束したはずだ。雑用の合間を縫ってたまに訓練所に足を運んではいたが、結局ノウハウもわからずになんとなく剣を振るうだけだった。これでいいはずがないと、思ってはいたがどうすればいいのかもわからないでいた。
「ん、じゃあ食休みしたらちょっと付き合ってあげようかしら。」
「えっ!?」
「遠慮はいらないわ。そうだ、さっきまで一緒にいた二人は友達?それも連れてきなさいよ。まとめて相手してあげるわ。」
これなんてご都合主義?覗き魔まがいと女の子が接近するのってこんなにトントン進むものなの?いや、付き合うというのは戦闘訓練の話だけど。まさかの展開に戸惑いが隠せない。ようやく落ち着いた鼓動がまた跳ね出した。
食事を済ませ、一度部屋に戻ってルームメイトを誘ってから一行は訓練所へ向かった。もちろん二人には散々からかわれたが、本当に散々な目にあうのはこれからだった。
「やあ、ヴェルナ。元気してた?」
訓練所では、何故かシルバが待ち構えていた。
「皆さんお揃いで。そんな君達に俺の特別訓練だ。拒否権は認めないよ。」
「と、特別訓練って…?」
「なーに、俺と模擬戦するだけだよ。余裕だって。」
その余裕には一体何の根拠があるというのか。心なしかセレヴィの表情が引きつっているような気がするが、やはりその辺りは拒否権が認められていないらしい。まずはリク達から模擬戦という名の公開処刑が始まった。
そして--
「いっ…てぇ!!ちょっ、副船長、本気ですか!?」
「マジだよ。なんだ、素人レベルじゃないか。」
「し、仕方ないじゃないですか!!」
戦況は思わしくないなんてもんじゃない。最悪だ。
リク達は真っ先に餌食になり、すっかりのびている。周りで訓練に勤しんでいた船員達も手を止めてこちらを見ている。本当にやめて欲しい。
「セレヴィ、これどういうこと……うわたっ!」
「ほら、余所見しない!戦闘中に気ィ抜いてる暇はないよ!」
せめて何か事情を知っていそうな人物を呼ぶが、その間にもシルバの猛攻は止まらない。しかも当のセレヴィは「あたしに聞かないでよ」と言いたそうな顔をしている。
いきなり特別訓練だとか言って始まった模擬戦だが、相手が強すぎて話にならない。もちろんお互いに武器は本物ではないし、相手は短剣、こちらはオーソドックスな長剣。こちらの方がリーチがある分有利なはずなのである。しかしそこはやはり経験の差なのか、一向にシルバの動きを捉えられない。
「ヤバいな、アレ……」
「ああ。副船長に目ェつけられるとか、何やったんだあの新入り…」
観衆の目線が痛い。ざわざわするなお前ら。
決して目をつけられたとかではない。たぶん。ただ、たまたま鉢合わせになってしまっただけなのだ。きっと。
模擬刀とはいえ、本気で当たれば痛い。あちこちが赤く腫れてきていた。これが実践だったらすでに何回か死んでいるかも知れない。
「隙ありッ!」
しかし容赦なんてなかった。まあ、実戦はそうだろう。鳩尾に激しい打撃を喰らい、ヴェルナはその場に崩れ落ちた。
その一撃を喰らう直前、シルバの周りに蝶のようなものが見えた気がした。回避しようもない危険を前におかしくなった頭が見せた幻覚だろうか。
「ちょっ…、副船長、どういうつもりです!?素人相手にそんなムキになって……」
目を覚まさないヴェルナを背負ってシルバは訓練室を出た。そのあとをセレヴィが追いかけ、問い詰める。
「んー、もうちょっとはできる子だと思ったんだけどねぇ…。ね、セレヴィはどう思う?君にも関わることだけど。」
「あたしに?」
「あれれ、俺の勘違いかねぇ。ま、いずれわかることでしょ。」
真意は図りかね、セレヴィはシルバを見送ることしかできなかった。
『ヴェルナ……』
誰かが名前を呼んでいる。起きているのか夢の中なのかはっきりしないが、その声だけは聞こえてくる。
(俺を呼んでるのは誰……?またあの夢なのか…?)
『ヴェルナよ……お前の真の力はまだ眠っている。……その力を、そして記憶を……』
(真の力…?それに記憶って、確かこの間も……。何のことなんだ?)
『お前は選ばれし者……。その真の力が目覚める時……』
(何?目覚めたら、何が起きるんだ?教えてくれ、ねぇ!!)
「おい、大丈夫かい?」
またこの間のように大事なところで声が消えていき、替わりに聞き覚えのある声が降りかかった。
それから少しずつ意識がはっきりしてきた。徐々に感覚が戻ってくると、自分が見知らぬ場所にいるらしいことが認識できた。柔らかいベッドの上、しかしほんのりと漂う潮の香りに薬品の匂いが混ざる。起き上がろうとすると身体中が痛み、呻き声が漏れる。
「ああ、無理はしない方がいいよ。それより、だいぶうなされてたようだけど大丈夫かい?」
「そうでした?…調子はめちゃくちゃ悪いですけど……」
シルバが心配そうに言葉をかける。後から考えれば誰のせいでこうなったと思ってるんだ、と思わないでもないが。
「それより、ここは…?」
「なーんだ、初めてかい?じゃ、よく覚えておきな、ここが医務室。そんでこの人がこれからお世話になるだろう先生ね。」
ということはまたあんな目に遭わされるということだろうか。それは勘弁してもらいたいが、何も世話になる理由はそれだけじゃないか、と思い直す。
彼が『先生』と呼んだのは血のように紅い瞳が印象的な、小柄な――あれ、どっちだ?
「…船医のヴァレル=カーディアル。よろしく。」
無理矢理シルバの隣に立たされてぎこちなく挨拶するその声も、その容姿同様中性的な印象だ。あまり詮索するのも失礼か、とヴェルナはそっと諦めた。
「ヴァレル先生は頼りになるぜ。何しろ海賊のクセにちゃんと医大の出だからね。あ、無免許だけど。」
「余計なことは言わなくていいから。あと、その『先生』っていうのやめてくれる?」
「はいはい、ドクター・カーディアルさん。」
徹底的に茶化し続けるスタンスを崩さないシルバに苛ついたのか、しかしそれでも相手の扱いを心得ているように目を逸らし小さく舌打ちした。なるほど、この人を相手にして苦労しているのは自分だけではないらしい。
「さて、気がついたようだし、俺はこの辺でおいとまさせてもらおうかな。それじゃあヴェルナ、お大事に。」
だから誰のせいだよ、と言いたいところだったがさすがにやめておいた。
リク達も先程までここにいたそうだが、ヴェルナより怪我も軽く、すでに部屋に戻っているそうで、自分とヴァレルの他に人の気配はなかった。ふと窓を覗くと、すでに外は真っ暗になっていた。訓練に行ったのが夕食の後だったから、今はもう真夜中かも知れない。
「すみません、こんな時間に……」
「…大丈夫。そもそも元はといえばシルバのせいだしね。」
机に向かい、分厚い本を開きながら言う。本人曰く、これくらいの時間の方が集中できるらしい。邪魔はするまいと再び眠ろうとするが、逆に冴えてくるばかりだった。そうしてしばし沈黙が続いた後、ヴァレルの方から口を開いた。
「…それにしても君、シルバに何かしたの?」
「してない、と思います……。俺、あの人に嫌われてるのかな…」
「シルバが人で遊んでるのはいつものことだけど…、さすがにここまですることはそうそうない……と思う。」
ということは遊びではなく本格的に嫌われているのかも知れない。まだ推測でしかないが、ヴェルナの心は沈んでいく一方だった。
「俺、やっぱり向いてないのかな…。喧嘩だって全然ダメだし、これだっていう特技もないし…。そのうち船長に捨てられるんだろうな。」
そんな弱音がつい零れてしまった。独り言のつもりだったが、ヴァレルは本に向かいながらもそれを聞いていたようだ。
「…本気でそう思ってる?」
「えっ?…だって、そうじゃないですか。強くなりたいって、強くなるって、そう言ってここに来たのに、今の俺はただの雑用係だし、ましてやこんなところでのびてるなんて……」
「じゃあ聞くけど…、君は自分の実力をどれくらい理解してる?」
思わぬ問いかけにヴェルナは言葉を詰まらせる。自分のことなど、自分が一番わかっているだろうと思うのだが、答えらしいものは出てこない。
「夢を見るのと理想を語るのは簡単だけど、自分を見極めるのは意外と難しい。それができないから人は挫折する。…これはあくまで持論だけど、少なくともそれがわからないようなら……その時は捨てられるだろうね。」
ヴェルナは改めて自分の身を思い返す。ヴァレルの言葉がグサリと刺さった。
「…誤解しないでね?別に夢とか理想とか、そういうのを語るな、っていうわけじゃない。ただ、その前に何が必要かって話。捨てられたくなければ……折れたくなければ、まずは君自身を知ることだね。そうすれば、いずれは…」
「自分を……、俺にできることを…?」
確かにそんな風に考えたことはなかった。ただ漠然と自分は弱いのだと思うばかりで。
「…俺でも強くなれますかね?今は無理でも、これから、訓練を積んでいけば、いつか……副船長にも負けない、この船で一番の戦士に。船長が俺を助けてくれたように、俺も誰かを助けられるように……」
実際、今は弱い。しかし、だからこそその弱さに向き合わなければ。
「…君が望むなら、ね。本気でそう思うなら……いつか変われるだろうね。」
「…はい!すみません、変な話してしまって…、でも、ありがとうございます。」
礼を言われるとは思っていなかったのか、ヴァレルは照れ臭そうに本に視線を移した。何にせよ、まずは調子を取り戻すことから、と寝るように促され、それからは互いに言葉を交わすことなく夜は更けていった。
今、自分にできることは何か。
強くなるために、いつか雪辱を果すために。
そんなことを考えているうちに時は経つ。
そして朝がきた。
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