地獄には逝かせない

垂季時尾

地獄には逝かせない


 芽里がパパの電動草刈り機で自ら首を切って死んだのはあいつらから逃げたかったからだ。同時に復讐もできる。


 いじめは三年続いた。文科省のいじめ白書に記載されているような嫌がらせは一通りぜんぶされた。あいつらは芽里よりずっと頭も良くて、犯罪に繋がる暴行、恐喝などはあえてしなかった。

 芽里が断れないことも知った上でちゃんと友達として誘い、スクールカーストの最下層である芽里を猫が蝉を口の中で鳴き殺すようにゆっくりといたぶった。


 グループの、つまりカーストの頂点にいるヒカリは委員長を務めるほど人望があり、クラスでヒカリに抵抗する者などは一人もいなかった。成績も学年トップなので担任からの信頼も得ていた。

 芽里は真逆だった。最初につまずいたのは女子高に入学して初日のことだった。

 芽里はバンドがしたかった。大好きなバンドがいて、中学のころから親の目を盗みこっそりライブに通った。いつか自分も同じように音楽がしたいと思っていた。

 入学した女子高には軽音学部がなかった。芽里は同好会でもいいから軽音を作ろうと、入学式の日にすぐに生徒会に掛け合った。簡単にはいかないことは芽里も分かってはいたが溢れる衝動を抑えられなかった。

 結局、入学したばかりの新入生の提案などすぐに却下され、入学当日に大胆な行動をとってしまった芽里の噂話だけが学園をめぐる結果になった。

 中学から優等生であったヒカリの耳にもその噂はすぐに入った。芽里は入学した日からクラスだけでなく学園で浮く存在になってしまった。

 そんな芽里に最初に声をかけたのはヒカリだった。

 芽里はもう友達もできないだろうと落ち込んでいたので、ヒカリが誘ってくれて嬉しかった。その時はこれから地獄が始まるなんてまったく考えてもいなかったのだ。


 バンドが組めると勝手に思い込んでしまっていた芽里は、ヒカリに対して当たり前のように友達として接した。ヒカリも気にする様子もなく芽里と友達として接した。

 ヒカリにはすでに取り巻きがたくさんいて、ヒカリが直接手を出さなくても芽里は周囲の生徒から悪意の的になった。


 なにあいつ。生意気だよね。ヒカリちゃんを同等の友達とでも思ってんの?

 高校デビューでもできるつもりでいるんじゃない? ちょっとヤバくない? あいつ頭おかしいんだよ。


 芽里はヒカリが何もしなくても、自然と周囲から疎ましく思われるようになった。


 ぜんぶヒカリの作戦だった。

 これでヒカリが悪人になることはない。

 空気の読めない芽里が悪いのだ。


 それでも最初は「気にしなくていいよ」などと、ヒカリは芽里に対して優しい言葉を掛けたりもした。これも作戦だった。


 ある日、芽里の靴が無くなった。

 教科書がぜんぶ破られていた。

 体育の授業中、背後からバレーボールが飛んできた。


 登校したら、自分の机の上に菊の花が置かれてあった。芽里もやっとイジメられていることに気づいた。

 ヒカリはまだ動かない。

 動くのは周りの生徒だ。


 なんであんなにされてヒカリちゃんと一緒にいるの? 信じられない。あんなバイキンがヒカリちゃんと一緒にいて良いはずないのに。


 憎悪はだんだん膨れ上がって加速した。


「私、ヒカリちゃんと一緒にいない方がいいと思う」 ある日、芽里がヒカリに言った。


 ヒカリは哀しそうな目で「せっかく誘ってあげたのにわたしが嫌いなの?」と、クラスじゅうに聴こえるようにわざと大きな声で言った。

 これが合図だった。ヒカリが周到に用意してきた爆破スイッチを押したのだ。


 ヒカリちゃんを芽里の方から拒否した!

ありえない。何様のつもりだ。

 やっぱり入学式の時から調子に乗ってたんだ。許せない。あいつはクズだ。


 芽里にそんな気がないのはヒカリも分かっていた。だってわざとこうなるように、クラスの悪意の空気に耐えられなくなるように仕向けたのはヒカル本人なのだから。


「そんなにわたしが嫌いならもう一緒にいなくてもいいよ。芽里ちゃんは芽里ちゃんの好きなように行動すればいいよ」


 こんな残酷な瞬間でさえ、ヒカリは優しい声色を作りクラスの同情を誘った。


 完全に悪人は芽里そのものになった。


 トイレでも更衣室でも廊下でも、芽里の心の休まる場所は校舎には存在しなくなった。

 三階からすぐ目の前にレンガが落ちてきたこともあった。

 犯人が誰かは分からない。

 ヒカリは決して攻撃命令はしていない。すべては悪意の空気が芽里を襲うのだ。


 芽里は体調を崩し、学校を休みがちになった。不幸なことに芽里は実家から離れて寮生活をしていた。なので完全なプライベート空間はなかった。

 寮には同級生も居る。学校を休んでも、放課後を過ぎればあいつらはここに帰ってくる。芽里はそこまで裕福な家庭でもなかったので一人暮らしも簡単にはできなかった。


 こうして地獄が始まった。

 共同浴場は夜十時には閉まってしまう。芽里がまともに風呂に入れることなど一度もなかった。誰も居ないのを確認して、走って浴場へ行き服のまま頭と顔を流し、部屋に戻ってから濡れたジャージで身体を拭いた。夕食は寮母さんが近くにいるおかげでなんとか食べられたが、それでも時々スープに虫の死骸が入っていた。


 学校を休んだって結果は同じだ。芽里は仕方なく再び登校するようになった。

 授業中に回ってくる「死ねばいいのに」の殴り書きの手紙などはすでに慣れてしまい、もうなんとも思わなくなった。


 ヒカリはというとますます人気物になり、三年生になってからは学園の生徒会長を務めるまでになった。


 芽里はあらゆる攻撃が毎日のように続くので、もう日常の間隔がマヒしていた。悪いのは私だ。失敗したのは空気が読めなかった私自身のせいだ。そう考えていた。

 なので、もう鞄の中に潰れたカエルがぐちゃぐちゃになって入っていても、なにも傷つかなくなった。無言で水道のとこまでいって、潰れたカエルの臓物を洗い流した。

 カエルさんゴメンね。私のせいでこんなぐちゃぐちゃにされて。ゴメンね。


 三年になり、生徒会長の仕事が忙しくて、なかなか芽里を気にかけることもなくなったヒカリだったが、取り巻きの一人から「芽里のやつもうただの廃人になってますよ」と聞かされ心がざわついた。


廃人?それじゃあもう死んでるのと同然じゃない。それじゃあ意味がないじゃない!


芽里は、中学校のころから好きだったバンドの曲をヘッドフォンで聴いている時が唯一幸せだった。学園や寮では廃人のように虚ろな目で死人同然の暮らしを送っていたが、ヘッドフォンから流れる彼らの曲を聴いている時だけは人間を取り戻せた気持ちになった。ヘッドフォンも、すでに十個以上壊されていた。

もうお金もないので百円ショップで買った安物のヘッドフォンのチープな音であったけど、それでも彼らの楽曲は生きている実感をもたらせてくれた。ボーカルのリラ様の声だけが芽里の安らぎだった。


 ある夜、曲を聴きながらそろそろ眠りにつく寸前のことだった。暗闇の中で芽里は急に誰かに手足を押さえられた。

 一人や二人じゃない。何人もいた。こんなことがあるかも知れないから寝る時はぜったいに部屋の鍵は閉めるようにしていたのに。合い鍵は管理人室にしかない。


「だれ? やめて! うぐぐ。嫌ぁ! やめ

…」


 すぐに口を押さえられて声が出せなくなった。数人からはがいじめにされ身動きが取れない。呼吸もできないから意識が朦朧としてきた。


 ああ、私このまま殺されるのかな?そんな絶望感が頭をよぎり、芽里の意識はそこで途絶えた。


 が、芽里は死んではいなかった。その代わり、意識が戻ると自分の周りにたくさんの生徒たちが笑いながら、あるいは顔をしかめながら自分を覗きこんでいた。見覚えのある場所だった。


 芽里はすぐにそこが学園の校庭だと理解した。芽里はなにも着ていなかった。身体じゅうにマジックで卑猥な言葉が書かれていた。

 頭に違和感を覚え、芽里は恐る恐る自分の頭を触った。肩まであったはずの髪が無かった。刈り込まれた頭髪の先がチクチクと指に触れた。すぐに異臭が鼻をついた。

 地面に倒れ込んだままの自分の足もとを見ると脱糞していた。おそらく小便ももらしたのだろう、地面が濡れていた。


 声が出なかった。慟哭もなく、でも涙だけがどんどん溢れてきた。


 すぐに生徒たちの異変に気づいた教師が毛布を持って走ってきた。

芽里は今起こっている状況が現実に思えなくて周りが灰色に見えた。

 芽里はその場に激しく嘔吐した。周りを囲んでいた女子生徒たちがいっせいに芽里から遠ざかった。

 大好きなバンドの曲が入っている携帯プレーヤーが目の前で粉々に壊されていた。

 そして、そのあとの記憶が無くなった。


 流石にこの出来事は学園でも問題になって、芽里はしばらく休学して実家に帰ることになった。芽里の両親は警察に訴えると怒ったが、学園側から犯人を見つけるから少しだけ待ってくれと言われ、しぶしぶ了承した。

 芽里には分かっていた。

 ぜんぶヒカリが仕組んだのだ。

 でも、もう戦う気力などなかった。命より大事なプレーヤーを潰され、こっそり録音した彼らのライブ音源はもう二度と聴けない。生きている希望は断たれた。

 今更転校するにしても、もう自分は三年生だ。過ぎた時間は取り戻せない。


死のう。死のう。


 そうだ。いっそ派手に。誰も信じてくれなくてもいいや。ノートにこれまでのことを書き残して。派手に死んでやろう。

 最期くらい無茶苦茶に死んでやろう。


 その日の夕方、芽里は物置小屋にあった電動草刈り機のエンジンをかけた。ギラギラと光った刃が高速で回転しはじめた。

 安全カバーを取り外した。刃に歪んだ自分の顔が微かに映った。笑っているような、泣いているような、ひどく醜い顔だった。

 草刈り機を小屋のスチールラックに固定して、芽里は刃に首を押し当てた。いろんな思い出を恨みながら、いろんな人間を呪いながら、本来なら激痛で耐えられるはずないのに、芽里のか細い首はいとも簡単に高速回転する刃に吸い込まれていった。

 小屋は芽里の飛び散る鮮血で真っ赤になった。

 異音を聞きつけ、パパが物置き小屋に駆け付けた時には、芽里の首は皮一枚だけ繋がれた状態で、髪を刈りあげられた地蔵のような小さい頭がだらりと、首から堕ちる寸前だった。瞳はしっかりとなにかを睨んでいた。血の涙を流しながら、芽里の頭はブチっと地面に落下した。

 草刈り機の刃の音だけが、虚しく小屋に響いた。夕日が血だまりをドス黒く映した。


 芽里が死んで一週間後、芽里が最期に残したノートがマスコミによって流され、いじめの実態が世間の知るところとなった。


 世論に押される形で警察も動きだし、寮に残った指紋からすぐに犯人は特定された。主犯格がヒカリであったことは、学園の者はなかなか信じようとはしなかったが、ヒカリ本人を知らない世間は、被害者の残した遺書が完全なる事実であると信じた。

 ネット上でも、ヒカリは吊るしあげられた。芽里を襲った実行犯も、いじめを放置した学園も、すべてが逆転して悪者になった。

 芽里の絶望の淵での復讐は、最悪の形で達成されたのだった。


 遠くで、コオロギかキリギリスか、なにかの虫の鳴き声が聴こえた。


 私は死んだ。自分で、自分の首をかっ切って。

そうか、自殺した人間は天国にも地獄にも行けないのか。

でもいいや、生きていたってずっと地獄だった。

最期に私が残した遺書で、あいつらも私が味わったのと同じ生き地獄を味わうなら、私はここに残ってあいつらの地獄を笑いながら眺めていよう。


 芽里は夕暮れの校舎の屋上から下界を見下ろしていた。空は真っ赤で、無言で下校する生徒たちの影が長く伸びていた。

 どういうわけか、校門より先に広がる町は芽里にはまったく見えなかった。山も無い、ただ真っ赤な空間が陽炎のようにゆれていた。

 

 死んで、もうなにも怖れるものは無くなったはずなのに、赤い空を見ていると芽里の心に鉛色の不安が去来した。


「私これからどうなっちゃうんだろう」


 芽里は確かに心の中でそう呟いた。


 だけど。


「どうにもならないよ。これからも変わらずあなたはわたしにイジメられ続けるの」


 声が聴こえた。芽里のよく知っている声だった。聴こえた途端、震えが全身を襲った。


 え?なんで?


 芽里が生きている時だってこんな悪夢は見た事がなかった。

 そこに居るはずのない者が、芽里の目の前にいた。そいつは宙に浮いたまま、まっすぐ芽里を睨んでいた。


「ヒカリ…」


「パニックってる? 死んで終わりだとでも思ってた? あんたは卑怯者ね。そしてバカ。クソバカヤロウ」


 泣き出したいのに涙も出ない。恐怖で感情が停止してしまう。芽里は呼吸すらできず、気絶しそうになった。しかし、すでに死んでいる芽里には気絶すら許されなかった。


「あんたがあんな遺書残して死ぬもんだから、わたしはすっかり悪人よ。ネットじゃ住所まで晒されて、ママも頭おかしくなっちゃうし」


 ヒカリは一方的に話したが、芽里は心を整理するのに精いっぱいで、ヒカリの言葉はほとんど頭に入ってこなかった。それでもヒカリは続けた。その顔は嬉しさで溢れていた。


「びっくりしたでしょ。あんたはあれで復讐でもしたつもりでいるんでしょうけど、わたしなんだよ。ほんとに復讐してたのはわたしのほう…」


 復讐?


 その言葉を聞いて、やっと芽里はヒカリの言葉が頭に入ってくるようになった。

 同時に、疑問が心に溢れてきた。ずっとイジメられていたのは私の方だ。私はヒカリになにもしちゃいない。どうして私が復讐されなければいけないのだ?

 芽里はすぐにでも口から声を出してヒカリに訊きたかったがうまく言葉が出てこなかった。不安だけがさらに増幅していった。


 芽里の心をすべて読めるように、ヒカリは芽里の心の疑問をそのまま言葉で返した。


「被害者は私の方で私はなにも復讐されるようなことはしていない…って言いたいんでしょ? 教えてあげたくないし、教えないままこの地獄を続けたほうがあんたにとって恐怖でしょうけど、でも特別に教えてあげる。わたしは優しいからね。あんたは、わたしのリラ様を触った。ぜったいに許さない」


 ヒカリはそう言うと、歪んだ笑みを浮かべていた表情を一変させ、悪鬼のように目を吊り上げ、奥歯をギリギリ噛みしめた。


 リラ様。


 芽里はその名前をよく知っていた。芽里の唯一の心の支えとなっていたバンドのボーカルの名前だ。自分がバンドを始めたいと思い立ったきっかけを作った人物だ。

 ヒカリも同じバンドが好きだったのか。


 だけど……。


「だけど、私はただのファンでリラ様と関係があったわけじゃないし触ってもいない!」


 芽里はやっと声に出して言えた。


 芽里の声を聞いてヒカリはさらに顔を歪めた。噛みしめた奥歯から血が出て、唇が赤く濡れていた。


「はぁ?あ、あんたはそのことすら忘れているの? リラ様と触れたのよ。そんな特別なことを忘れたっていうの?」


 ヒカリは怒髪、天を突く表情で、その顔はもう人間の物ではなかった。悪鬼そのものだった。


 芽里にはまったく思い当たる節はなかった。ライブには何度も通ったが、いつも最前列にはもっとコアなファンが陣取っていて、バンドのメンバーに触れるなんて不可能だった。

 まだ中学生だったから追っかけをする勇気もなかった。高校に入ってからは寮生活になったのでもうライブには行けなくなった。

 芽里にはどこには接点はなかったのだ。


「なにかの勘違いだよ。私リラ様には触ってない。ライブには行ったけどぜんぜん近づいてなんかない」


「バカね。バカね。バカね。死ねばいい。やっぱりおまえは死ねばいい! ははは。そういやもうあんたは死んでるんだっけ。あんたリラ様のことなんにも知ってないんでしょ。ビチクソ野郎ね」


 確かに芽里はそのバンドのファンではあったが、ボーカルの詳しいプロフィールまでは知らなかった。純粋にバンドの楽曲のファンであって、ボーカルの「リラ様」はもちろん好きではあるけれど、決して恋愛感情などではなかった。


「しょうがないから教えてあげるわ。クソが。リラ様のバンドは今じゃもうメジャーデビューしてるけど、あのころはまだインディーズで、リラ様もバイト生活しながら音楽活動していた。これは偶然だった。偶然見たのよ。あんたが、リラ様が差し出したお釣りをその汚い手で受けとって、その時リラ様は笑顔であんたの手を握った。まだ思い出せないの!」


 ヒカリに言われて芽里はやっと思い当たる記憶がよみがえってきた。


「もしかして、駅前のコンビニの……」


「ファンのくせに素顔のリラ様が分からないなんて信じられない。わたしは毎日通ったのに、一度だってお釣りを渡される時にあんな風に手を握ってもらったことなんてなかった」


 芽里は手を握られたなんて意識はなかった。それよりも目の前にいるヒカリのことを狂っていると再び怖くなった。


「たったそれだけのことであそこまで私をイジメたの?」


「たったそれだけ……」


 ヒカリは芽里の言葉に目を見開いた。ギラリと両眼が光った。

 芽里は咄嗟のことで避けられなかった。


 ビシャ!


 芽里の額辺りに激痛がはしった。なにかが芽里の頭を直撃したのだ。ぬるっと生温かい物が顔を伝って落ちた。

 白いカッターシャツに真っ赤な血がついていた。まだ顔に付いたままだったそれを芽里は恐る恐る手で拭い取った。


「ひっ!」


 芽里の手の中に潰れた眼球があった。

 ヒカリは怒りのあまり、自分の眼球を芽里に飛ばしたのだ。


 眼球の無くなったヒカリの顔に、かつての美少女の面影は無かった。


「なんであんただけ。きっとリラ様は接客態度が悪いからって、クソ店長から丁寧に接客しろとでも言われたんだわ。あの日を境にリラ様はコンビニのバイトを辞めたんだから。あんたみたいなクソブスの手を握るなんて屈辱的だったのよ。あのコンビニの店長はユキに援交させて、強姦されたって警察に駆け込ませて潰してやったわ。リラ様をぞんざいに扱ったから人生終わって当たり前だ。リラ様はもう遠い存在になってしまった。もう近づけない。一度でもリラ様に触れたあんたがバンドをするなんて言うから、こうなっても自業自得じゃない。そう自分で思わないの?」


 やっぱり狂ってる。

 芽里は確信した。だがすべてが遅すぎた。


「それで私をイジメて、それだけじゃなく死んだ私を追いかけてきたの? 頭おかしいんじゃないの。狂ってる。完全に狂ってる」


「うるさい! うるさい! うるさい!」


 芽里とヒカリ二人だけの空間が音を立てて揺れ出した。赤い空がブヨブヨと膨張したようになった。

 校舎の窓ガラスがすべて吹き飛んだ。


 両目を無くしたはずのヒカリが、一直線に芽里に向かって飛んできた。

 芽里は校舎の屋上で横に転がってなんとかヒカリの突進をギリギリで避けた。


 自分自身も自殺して追いかけてくるヒカリの執念を芽里は寸分も理解できなかった。

 ファン心理がここまで膨れ上がり歪んでしまうのか。もう恐怖を通り越して、芽里は哀しくなった。こんなやつのために私は死んだのか。

 自殺を心底後悔した。流せなかった涙が溢れだした。赤い涙だった。


 芽里も血の涙を流した。これまでの想いが爆発した。


「バカはおまえだぁ! 私の音楽を返せ! 私の命を返せ! 私の頭を返せぇぇ!」


 芽里の首がビチビチと根元から引き千切れ、ヒカリの肩に芽里の頭が襲いかかった。


「痛い! 痛い! 痛いぃぃぃ!」


 芽里の歯がしっかりとヒカリの肩に食い込んでヒカリがいくら頭を剥がそうとしても駄目だった。

 ヒカリの肩は肉ごと喰われて白い骨が見えた。


「畜生めがぁ」


「畜生はヒカリおまえだぁ!」


 ヒカリが芽里の頭を掴んで校舎の壁に思い切り投げつけた。

 壁に激突した芽里の顔はグチャグチャになったが死ぬことはない。


 二人はただの肉塊になるまで戦ったが、やがて身体は元に戻り、再びぐちゃぐちゃになるまで戦った。校舎は鉄骨むき出しになった。


「地獄には行かせない」

「あんたも地獄には行かせない」


 二人だけの地獄は永遠に続いた。

                  了

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地獄には逝かせない 垂季時尾 @yagitaruki

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