第8話
だが、実際に自分がやるとなるとなかなか決心がつかなかった。
清川の居場所はすぐ調べがついた。
同窓会にああいう現れ方をしたから、今ヤクザでもしているのかと思うと意外なことにぼくと似たような生活をしていた。
親に離れの一部屋を与えられ、日がな一日たったひとりで閉じこもっているらしい。
外出はほとんどしない。食事は親が作って部屋の外に置いていく。よく通信販売で買った荷物が届く。
近所の人に話を聞くのに、ぼくが中学の同級生だというとあまり警戒しないで答えてくれたが、「おとなしい子」という表現が話の中に出てきたのは毎日殴られ蹴られた身としては、違和感があった。
そうまで分かっても、清川がほとんどいつも部屋に閉じこもっているのでは、手の出しようがない。近所の人の話だと昼間はまるで外出しないというので、朝どこからか帰ってくるのを見たことが何度かあるという。
いつ外出するのか、じっくり偵察して確かめる必要がある。焦りは禁物だ。
腹ごしらえしようと、家のコンビニに入って歩き回っているうちに酒が眼に入った。忘年会で味わった酩酊感を思い出すと、ビールと日本酒何本かにひとりでに手が伸びた。
街に出て、人目を避けながら飲み干した。
酔いがまわってくる。
ぼうっとしながら歩いていると、隣に並びかけた者がいる。
横を見ると、姉がいた。
姉は言った。
「何をするつもりなの」
「奴を、清川を殺す」
「それだったら、飲んでる場合じゃない」
「なんで」
「これから清川が出かけるからよ」
「どこに」
「来てみれば、わかる」
ぼくは、姉と一緒に深夜の清川の家に戻った。
見張っていると、両親が寝静まったのを見計らってか、清川がそっと出てきた。手にゴルフクラブを持っている。
「いつもあの父親のお古のクラブを持っていくの」
姉が小声で言った。
後をつけると、顔を隠した清川は公園に入っていった。青いビニールシートで覆われた即席の家がそこかしこにある。見ていると、清川は躊躇せずその一つの中に入っていく。姉と並んで息をひそめていると、ガス、ドス、というような鈍い音がテントの中から響いた。それとともに、長い、弱々しい、しわがれたような呻き声が聞こえてくる。
「なんだい、あれ」
「あいつ、あの中にいる、ここで一番気の小さいホームレスの人を殴ったり蹴ったりしてる」
ぼくは、黙った。
「中学の時、あなたをねらい撃ちしたようにね」
首筋のあたりがカッとなるのを感じた。
「最近は仲間が集まらないものだから、さらに歳をとって抵抗できない人をね」
「とめないのか」
「とめるわよ、もちろん」
だが、姉に動く気配はない。
「あいつは、いつも殺すまでのことはしないから」
「それを毎日繰り返すんだ」
やがて、清川がテントから出てきた。来た時とは逆に、こっちに向かってくる。
姉が右手を上げた。そこには、いつのまにかボウガンが握られていた。ごくコンパクトな作りとはいえ、姉の華奢な手の上でそれは、不吉な鳥が飛び立とうとしているように見えた。
「それを、いつのまに」
ぼくが言うより早く、引き金が引かれた。しゅっと空気を切る音がして、
放たれた矢が清川の眼に刺さっていた。
清川は悲鳴をあげかけた。ぼくは弾かれたようにとびつき、口を押さえた。清川はものすごい力で暴れ出した。むりやりそれを押さえつけているうちに、半ば首を絞めるようにしていた。やがて、清川の体から力が抜け、ずるずると地面に横たわっていった。
他に人の気配はなかった。
テントから人が出てくる気配もなく、姉の姿も消えていた。
急いで公園から出た。
明け方のがらんとした街に、他に人影はなかった。
夢でもみていたのだろうか。ぼくは、家に急いだ。
階段を小走りに上がり、急いで鍵を開けて部屋の中に入る。
やはり、姉はさっきぼくが寝かせた通りにふとんに横たわっていた。
(夢だったのか?)
だが、清川を締め上げた時の触感はまだはっきり腕に残っている。
それ以上、姉を見ていられず、ぼくはまた外に出た。
コンビニに入ると、ビールのロング缶を買い、店の外に出てその場をあおった。すぐに頭の芯が痺れてきた。今のが夢だとすると、清川は、犯人はまだ大手を振って生きている。それでも構わないではないか。
一缶目はすぐ空になった。すぐ同じ店にとってかえすのは避け、別の店を探して今度はビールと缶チューハイをまとめて買った。飲みながら、街を歩いた。次第に朝があけ、人々が活動を開始しても、転々と場所を変えながら飲んだ。自動販売機のそばで、さも缶ジュースでも開けているようなふりをして酒をあおり続けた。なくなると、また別の店を探し、バスに乗って場所を変え、同じコンビニでも店員の交代時刻を見計らって入り直し、ひたすら飲んだ。
飲んで頭が痺れていると、みるみる時間が経っていく。ときどきコンビニに入って立ち読みし、また街をぶらぶらし…。たちまち日が陰り、ぼく以外にも酔っぱらいが目立ちだした。
「おい、起きろよ」
肩をつかまれ、揺すられた。
背中が冷たい。固いものに押しつけられていて、あちこちすれたような痛みを感じる。
「起きろって」
真っ暗だった。目をつぶっているかららしい。粘りつくような瞼を上げて、目を開いた。
上から丸まっこい塊が下がっている、と見えたのは制帽をかぶった警官の顔だった。後ろにはまだ暗い、青みがかった空が広がっている。
ぼくは頭をもたげた。警官が、ぼくの肩の下に手を入れ、起き上がらせてくれた。
「こんなところで寝て。風邪ひくぞ」
そう言われたとたん、身体の芯まで冷えているのに気付き、鼻をすすった。
「立てるか?」
「はい」
声を出してみると、問題なく出た。喉も痛くなく、声もかれていないようだ。
警官が貸す手から逃げるように、ぼくはできるだけ急いで立ち上がった。少しふらついたが、立っていられる。
「あまり若いうちから飲み過ぎるな」
「はい」
神妙に答えた。
「帰れるか?」
「大丈夫です。帰れます」
言うより早く歩き出していた。警官が追ってくる気配はない。よくあることなのだろう。
…待てよ。こんなこと、前になかったか?
バスに乗って家の近くに戻ると、急ぎかけて、石畳に少し蹴つまずいた。頭が振れ、全身がひやっとした感覚に包まれた。
気付くと、またぼくは道に倒れていた。
(またか)
立ち上がって、また妙な感覚を覚えた。
こんなことも、前になかったか?
胸騒ぎを覚えながら、部屋の前に来た。
鍵を開けようとしたら、かかっていなかった。かけ忘れていたらしい。
中に入り、台所に立った。
しばらくそのまま立ったままでいる。
隣の部屋を見た。
姉が立っている。ボウガンを構え、ぼくに狙いをつけている。
ぼくの顔が見えた。姉の眼が見ている、ぼくの顔が見えた。
その時、やっとわかった。
「なぜ?」
「なぜ? 日なが一日部屋に閉じこもって、ひとに働かせて、殺したくならないと思わないと思う?」
「でも、なぜ他の三人も?」
「それでも一応、身内だからね。仇はきっちりとっていくことにした」
「なぜ、ぼくと相談しなかった」
「相談してどうにかできた? 何もできないくせに」
そう言われると、一言もなかった。
木口を殺したのは姉。殺している情景を、ぼくは姉の眼を通して見ていた。違うのは、リアルタイムで殺人現場を見ていたのではなく、
「あの、人殺しの現場、あれは他人が見ていたものをテレパシーか何かで見ていたんじゃなかったんだ。自分がやったことを後で思い出していただけなんだ」
と、自分でもわかっていたように、後になって記憶から呼び覚ましたものだったことだ。
橋本を殺したのも姉。同じく殺している情景を、姉の眼を通して見ていた。
現場の鏡に写ったぼくの顔は、後になって現場にかけつけた時に見たものだ。本当なら、ぼくが橋本を殺すべきだった、と思いながら見た自分の顔だった。だからその記憶が後になって記憶の列にはめこまれた。
だから清川殺しには、ぼくも加わった。姉もぼくに共犯になるのを許した。
そう、すべてはもう起こってしまっていたのだ。
いや、まだ残っている。思い出したくはないが。姉はボウガンをぼくに向けている。だが、これからぼくに向かって引き金を引くことはない。自分に向かって引くのだ。
ぼくはその光景を見ていたはずだが、どうしても受け入れることができないでいる。
姉はなおも手の上に鳥をとまらせるようにボウガンを構え続けている。だが、その手から“鳥”が羽搏き飛び立つのを見ることは、決してあるまい。
(終)
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