第7話
なぜ姉に話したのか、よくわからない。いつもは何も話さないのに、よほど混乱していたのだろう。
「ばかばかしい」
橋本の部屋で見たものについてのぼくの話を姉は一笑にふした。いや、にこりともしないで言下に否定した。ぼくは珍しく逆らって、いや確かに見たんだと力説した。
「あの、人殺しの現場、あれは他人が見ていたものをテレパシーか何かで見ていたんじゃなかったんだ。自分がやったことを後で思い出していただけなんだ」
「また酔っぱらって記憶が混乱しているんじゃないの?」
「酒なんて飲んでいない。二日酔いしてすぐ後に飲むんじゃアル中だよ」
「じゃあ、夢でも見ていたんでしょう。あんたに人殺しなんてできるわけがない」
と、ちょっと口の脇を上げるようにして笑った。
「動機だって、俺にはちゃんある」
「だから、できるの? あんたに」
あまりににべもない姉の調子に、ぼくは話をまったく変えることにした。
「探偵が犯人ってパターンになってきた」
「なんですって?」
「推理小説の意外な犯人のパターンの一つだよ」
「誰が小説の話してるの」
「もののたとえ」
「だったら聞くけど、その凶器というのはどこにあるの。ここにないのは確かだけど」
「心当たりがある」
「どこ」
「今は言えない」
「もったいぶって」
「橋本は本当に殺されてたよ」
姉の顔がこわばった。
「警察に言う?」
「ぼくが着く、すぐ前に」
姉が小さな悲鳴をあげた。
「なんて、危ないことを。犯人とかちあったら、どうするの」
ぼくは、黙っていた。
「2度と、超能力ごっこで危ない真似しないで」
黙ったまま、うなずいた。
だが、ぼくは翌日、あの石垣がどこにあったか調べるために、朝、姉を送りだしてから、学校の近くに行った。
裏門の前に立ったが、なつかしさはなかった。この中で清川に持ってきた金を取られ、代わりにまだ矢のついたままのボウガンを処分しに行ったのだろう。この近くで石垣のある場所というと、H神社のだろう。
ぼくは神社に向かった。相変わらず人気がなく、印象はまったく変わっていない。石垣の前に来ると、発作が起きた時の記憶と全体として一致する。どのあたりに隠したか歩きながら記憶を探っているうちに、足が動かなくなった。
まるで、足が地面にひっついたように動かない。
あれ? あれ?と思って用意していた弁当に手を伸ばそうとしても、それもできない。眼も動かせない。と、視界に入った石垣のうちの一つの石に気付いた。あの石を外すと中に空間がある、あそこに隠したのだ、と思い出した。そういえば、ここは小さい時の遊び場だった。それでそんな仕掛けを知っていたのだ。
誰か来てくれ、と内心叫んでいると、人の気配が背後に近づいてきた。助けを呼ぼうとして、それが犯人かもしれないと突然思い至って背中に冷たいものが走った。だが、その人物は別にこちらに注意を向けるでもなく、歩き去っていった。ちらと視界に入ったのは、腰にタオルをぶらさげた農夫だった。
内心じたばたしているうちに、日が傾いていた。まさかと思ったが、確かに日の光の色が変わってきている。
人通りはない。助けを呼ぼうにも声も出ない。まさかこのままずうっと動けないのではないかと恐怖を覚えた。
虫の鳴き声が高まった。こんなに長い間じいっと突っ立っている男を見たら、誰しも不審に思うだろう。
「どうしたんですか」
急に声をかけられ、ぼくは振り返った。さっきの農夫らしい人が立っている。
「いえ、突然金縛りにあって」
「金縛り?」
そう言ってから、自分が動けたことに気付いた。
「いえ、もう解けました。ありがとうございました」
と、言ってぼくはその場を離れた。
戻りながら、後でここで不審人物がいたという目撃証言を警察が得た時、もろに自分がその対象になるだろうと思うと、胃の辺りからいやな感じがこみあげてきた。
すでに暗くなりかけている。姉が帰るまでに間に合うだろうか。
突然、発作がきた。
(街を歩いている)
そいつがまた、獲物を探しているのだろうか。警察に連絡した方がいいと思いながら、そいつが誰でどこをうろついているかもわからないのでは警告も発しようがない。ぼくは懸命にそいつの視野に入るものを見ながら、どこを歩いているのか知ろうとした。
(踏みにじられて二つに折れたタバコの吸い殻)
(暗渠の蓋の隙間にたまった土から生えた雑草)
(缶コーヒーの自動販売機)
(電柱に張られた広告)
(取り壊し中のコンビニ)
(ベージュのジャケットと黒いスカートの若い女性が、ポストにいくつも封筒を入れている)
ポストがあって、閉店したコンビニがあった場所というと…うちの近くじゃないか。今日も出てくる時にちらりと見た覚えがある。
あの同窓会で、清川は橋本と木口と大喧嘩し、姉に言い寄って手酷くはねつけられた。昔の仲間の二人を殺したのだとしたら、あとの…。
呼吸が止まった。
急がないと。携帯を持っていないことを、これほど後悔したことはない。
足は動いているのだが、さっきのようにこわばって一歩も動けないようだった。
(駐車場が見えた)
その先の、黄色い花が咲いたアパートのニ階に、姉とぼくの部屋はある。
(駐車場を過ぎた)
自分が走っているらしいことに気付いた。
(黄色い花が見えた)
頼む、通り過ぎてくれ。
(アパートに向かう)
行け、あっちに行け。
(蹴つまずいたらしい、視界が揺らいだ)
そのまま地面に頭から突っ込め。
(体勢を立て直し、2階に向かっていく)
ぼくは、まだ姉が帰っていないことを祈った。
(見慣れた部屋が見えた)
まだ薄明るい中、明かりがついている。
(ドアが迫ってくる)
気がつくと、ぼくもアパートの前にいた。階段を駆け上がり、部屋に突進する。
危険を感じ、ドアの前でいったん立ち止まった。そして、中の気配をうかがい、そっとノブを回す。ドアを引くと、鍵がかかっていない。
部屋の中には、ひと気がなかった。そうっと入っていき、台所に立った。寝室をうかがうと、柱の影から畳の上に横たわった脚が見えた。剥き出しになった女の脚だ。
ぼくは、ゆっくりと寝室に入っていった。心臓に矢が刺さった姉が、畳の上に横たわっている。傍らには、ボウガンが転がっている。ぼくは、姉の首筋に手をやった。脈は完全に止まっている。硬直もしているようだ。
ぼくは、ゆっくりと眼を閉じ、また開けた。
何かが、砕けた。
ぼくがなすべきことは決まった。
ボウガンにはまだ矢が残っている。なぜ、犯人は凶器をわざわざ残したのだろう。それも矢を残して。
形跡を見ると、姉に抵抗され、とびつかれて至近距離で矢が出てしまい、そのまま慌てて凶器を回収する暇もなくて逃げ出したのかもしれない。
あるいは清川が中学の時ぼくに金を持ってこさせた上に小鳥を撃った凶器を処分させたように、念には念を入れて、姉を殺してそれでも復讐できない憶病者とせせら笑うつもりか。
いずれにせよ、清川、おまえを殺す。
殺意だけが、頭を占めていた。
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