第5話

バスに乗っている間も、ぼくたちは話をしなかった。外を見ていても、単調な風景が流れて行くだけだ。

 目当ての停留所が迫ってきたので、ぼくは降車ボタンに手を伸ばしかけた。と、その前にプーッという音がして、バス中のボタンの上の赤ランプがついた。ぼくは、むっとして先に押した姉を睨んだ。(こんなことあったぞ)。気のせいではなく、小学生の時、同じようなことがあった。気をきかせているつもりなのか、姉が先回りしてボタンを押してしまい、赤いランプが一斉につくのを楽しみにしていたぼくを泣かせたのだった。

 バスを降りて、名簿の住所と照らし合わせながら、木口の住処を探した。長いこと街を歩いていないせいか、どこをどう見てどう進めばいいのか、一向に見当がつかない。業を煮やした姉は、ぼくから名簿を取り上げると、勝手に歩き出した。

 ちゃんと姉がわかっているのか不安だったが、いくらも歩かないうちにざわめきが近付いて来た。野次馬が増え、パトカーが停まっている。見覚えのある建物が見えてきた。だが、記憶にあるのとは違い、青いシートがそこかしこにかけられ、玄関のまわりが立ち入り禁止になっている。

「何があったんです?」

 姉が手近な野次馬に聞いた。

「殺人ですよ。このアパートの住人が殺されたそうで」

「まあ、こわい。なんて人です?」

「さて、木口さんって言いましたっけ」

 ぼくは、それ以上進まず、立ったまま整理の警官や右往左往する捜査官をしばらく見ていた。ストレッチャーに乗せられて布を被せられた人間が通るのが、人垣越しに見えた。

 それ以上確かめる必要はなかった。部屋には当分近付けないだろう。これ以上いてもむだだと思い、ぼくはその場を離れた。

 姉が小走りに追いついて来て、

「どういうこと?」

 と聞いた。

「また、発作が出た」

「発作? 何の発作」

 ぼくは答えず、歩き続けた。

「言いなさいよ」

「言ったって、信じてもらえないよ」

「いいから」

 ぼくは、機先を制することにした。

「まさか、ぼくがやったって思ってるんじゃないだろうね」

「中学の時、お父さんが学校に呼び出されたことがあったわね」

「あった」

「気を失って、うわごとのように、鳥に矢が刺さったって言い続けてたらしい。それで呼び出されたんだ」

「そう」

 父、という言葉を聞いて頭の隅のどこかが疼く感じがした。

「で、調べてみたら、学校の屋上で飼われてた鳩に矢が刺さって死んでいた」

「そうだった」

「ぼくが真っ先に疑われたよ。証明はできなかったけどね」

「やってないんでしょ」

「証明できなかったんだから、そうなんだろ」

 姉はむっとしたような顔になり、声に力を入れた。

「やってないんでしょ」

「誰の仕業だか、わからなかった」

 声が大きくなった。

「ないんでしょ」

 ぼくは面倒になり、「ああ」と答えた。実際覚えはなかったが、どっちにしてもぼくが決められることじゃない。

「それから、やはりうわごとで不良グループの名前を言っていたらしい」

「誰だったの?」

「うわごとで言っただけだったからね」

「不良っていうと」

「きのう、店をごたごた起こしてた連中だよ。進歩しねえな、あいつらも」

「あいつらが、鳩を撃ったの?」

「かもしれない」

「見たんじゃないの?」

「その場にいたわけじゃないのに、なんで見られるんだ」

 はっきり姉が怒り出した。

「人を煙に巻くような言い方してないで、はっきり言いなさいよ」

「ぼくは、人が見ているものが見えるんだ」

 意外なくらい、すらっと言葉が出た。

 姉はちょっとむっといたような顔をしたまま黙っている。

「信じる?」

「それで?」

「信じるの?」

「はいと言ったら、いいや信じてないんだろうと言い出すだろうし、いいえと言ったらやっぱりそうかと言ってまた黙りこくるつもりでしょう。とにかくなんでもいいから、喋りなさい」

 図星だった。姉は感情が昂ってきたのか、喋りなさいと言っておいて自分の方が勢いに乗って言葉を続けた。

「で、見えるって、さっきの人が殺されるところが見えたってわけ」

「そう」

「誰が殺したの?」

「わからない」

「わからないって、犯人が見えたんじゃないの?」

「犯人が見えたんじゃない。犯人が見たものが見えたの。だから、犯人の顔そのものは見えてない。自分で自分の顔は見られないでしょ」

「ふーん」

 わかったようなわからないような顔をしていた。

「信じられる?」

「ちょっと、難しいね」

「だけど、ぼくが見た通りに殺されていた」

「本当に見た通りかどうかはわからないよ。死体を見たわけでなし」

「だけど、殺されてたってことだけで、偶然の一致にしてはできすぎてる」

「どうなんだろう。あんた、酔って店を出てからの記憶あるの?」

「それが、朝起こされるまで全然ないんだ」

「起こされるって、誰に」

「警官」

「やだ、みっともない。飲ませるんじゃなかった」

「だけど、頭が痛いわけでなし、吐き気がするでなし、二日酔いってわけじゃないと思うけど」

「あんた、二日酔いの経験あるの?」

「ないけど」

「だったら、聞いたふうなこと言わないで」

 ぼくはいささかむっとして、声を荒げた。

「で、記憶がないからどうだっていうんだ」

「きのうの夜、酔っぱらってふらふらしているうちに、殺された人と誰かが争っているところを見ていて、忘れてたんじゃないの?」

「店の外に出てからも争ってたってこと?」

「そう。それが記憶だか夢の中で殺人場面に化けて出てきた、ということじゃない?」

「仮にそうだとして、街で喧嘩して、それからわざわざボウガン持っていって部屋まで押しかけていって殺すか?」

「そういう殺し方だったの?」

「そう」

「だとしたら、他にわざわざそういう殺し方する人なんて考えられる?」

「うん…」

「実際、弓矢で殺したかどうかはわからないんだし」

 それ以上、ぼくは言い返すのをやめることにした。

「要するに、ぼくが犯人の目を使って犯行現場を目撃したっていうのは信じてないわけだ」

「あたりまえじゃない」

 にべもない口調で姉は言い切った。

(それはそうだよな)

 と、内心呟いた。

 信じられるわけがない。自分でもなぜ見えるのか、わからないのだから。

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