第18話 事後処理
灯が消え逝く魔王蟲を見下ろしながら考えていたことはただ一つ。
師匠から叩き込まれた気功についてであった。
気功は己自身の身体能力を極限まで高めることができる。
それだけではなく、相手の体内を流れる気の方向や力強さを読み取り、行動を完全に先読みすることすら可能になる。
気功は最古にして最大の技術であるのだ。
酒を飲むたびに吐き出される師匠の話は、かなり誇大されたものであると、灯は今まで思っていた。
だが実際に、灯は先の戦いの中でそれを実践し、実感することができた。
(……やることが増えたな)
人知れず拳を握りしめていた灯は、一つの微弱な生命反応を感知する。
視線の先には、血溜まりに浸かっている少女がいた。
≪魔王蟲に寄生されていた実験体ですね≫
灯が慌てて少女に近づくと、少女は仰向けに横たわったまま灯を見つめる。
息は細く、口の端には固まりかけた血がこびりつき、瞳は今にも閉じてしまいそうに細い。
傷口は見るに堪えないほど酷くボロボロで大きい。出血が止まっているのは体内を循環している血液がほぼ無いことを示しているのだろう。
少女の口元が微かに動いているのを灯は見てとり、耳を近づける。
耳朶に響いた言葉はひとつ。
――ありがとう。
それが灯に伝わったことが分かると、少女はゆっくりと目を閉じた。
≪心臓破裂、血液循環不能、仮死状態に移行しました≫
「応急処置を施す」
≪しかし――≫
「早くしろ」
灯は端的にナビから処置の方法を聞き、そして迅速に行動した。
自らの気で少女の身体を全体的に覆うことにより、体温の低下と肉体の劣化、腐敗を防ぐ。
次いで灯はナビの補佐で魔法を使う。
創造魔法で心臓と血管の代替機関を構築し、体内の臓器に繋ぐ。あくまで応急措置なので、それを体内に納めることはしない。
最後に灯は自身の手首に爪を当て、皮膚と血管を深く切った。噴き出した液体型ナノマシンを、少女に繋いだ心臓機関に注入していく。
「ナビ、上空に待機してる駆除隊を呼べ」
≪そこまでする義理はありますか?≫
「勘違いをするな。魔王蟲の死体が無いから、倒したところを目撃しているこいつを生き証人に仕立てる必要があるだけだ」
≪……やれやれ、素直じゃないですね≫
「やかましい。で、駆除隊は後どれくらいで着く?」
≪転移装置の作動を感知しました。もう間もなくです≫
ナビが伝え終わると同時に、複数の足音が灯の背後から聞こえてくる。
灯が振り返った先にいたのは、白衣を着たちびっ子を先頭に据えた、銀色の防護服を着込んだ怪しい集団であった。
「まさか2日で片づけるとは……我々の予想を良い意味で裏切ってくれたものだ」
「そうだねぇ。もっと寄り道すると思ってたからねぇ。最悪、任務のことを忘れて狩りに夢中になるかと予想してたんだけど、杞憂だったみたいだねぇ」
鈍い銀色に包まれた集団は防護服を着込んだまま、すぐにばらけてホール中を練り歩いている。
白衣を着たちびっ子は、灯のすぐ後ろであくびをのんびりと噛み殺している。
「こいつの治療には後どれくらい掛かる?」
灯は少女の傍から離れず、容体を見守っている。
少女の身体に大小様々なチューブが繋がれている光景は、見る者に少なくない衝撃を与えるだろう。
だがここにいる誰一人として、それを気にする者はいない。
灯は少女に内在している魔力の濃度と、生命エネルギーの流れを感知し、その生命が確実に取り留められたことは確認している。
しかしその生命力は、先ほど戦っていた時と比べるとあまりにも小さい。
そのことを見抜いていた灯は、あっと言う間に治療を施したちびっ子に尋ねた。
「治療はもう粗方終わったよぅ。後は彼女が目覚めるのを待つくらいだねぇ」
チューブはもう抜いちゃっていいよぅ、と言うちびっ子の声を聞きながら、灯は少女の身体に繋がっているチューブを外していった。
身体に傷一つ残っていない少女の顔を見下ろすと、疑わしげな口調で灯は問う。
「以前よりも生命力が弱っているみたいだが?」
「灯ちゃんの回復力と比べたら彼女が可哀想だよぅ。弱っていると灯ちゃんは言うけど、それでも人間を遥かに凌ぐ生命力でどんどん回復しているよぅ。実に興味深いよぅ」
灯が振り向いて睨む前に、防護服を着た一人がツカツカと歩いて近づいて、ちびっ子の頭に拳骨を落とした。
「主任、く・れ・ぐ・れ・も! ……この惑星の住人を実験材料にしないでくださいね?」
「実験材料になんてしないよぅ。純粋なる知的好奇心ってやつだよぅ」
主任と呼ばれたちびっ子は、目に涙を浮かべながら酷く遺憾だという表情を作っている。
情緒を感じさせない作り物めいた表情は、その幼い容姿とは裏腹に恐ろしい本性を内に秘めている、と見る者の本能に働きかける。
「主任、魔王蟲の残留魔力が思ったより広範囲に渡っています。次の指示をお願いします」
「そうだねぇ……」
主任と防護服を着た部下達が集まり、灯には分からない言語で会話をしながら、手に持ったタブレットを指で叩いている。
灯はそれを横目で見つつ、ゆっくりと立ち上がった。
「おい、私はもう行っても良いか?」
主任はタブレットから灯に視線を移し、少ししてから頷いた。
「あぁ、はいはい。ギルドに向かった青年のところに行くのかなぁ? うん、そうした方が良いだろうねぇ。豪く君のことを心配してたからねぇ。ついでにしばらくここら辺に近づかないように説得してほしいなぁ」
「分かった。じゃあな」
「気をつけてねぇ~」
主任が瞬きした瞬間、灯は既にこの場から消えていた。
「あれ? 灯ちゃんは?」
「もう転移して行っちゃいましたよ?」
「あぁ、そう。まぁ、別に良いけどねぇ」
「しかし、灯さんの稼働テストは問題無いですね。転移魔法まで使えるようになるとは」
「そうなんだよねぇ。困ったもんだよぅ」
主任は途端に苦虫を噛み潰したような顔をして、うろうろと辺りをうろつき始める。
防護服を着た部下達は理由が分からず、お互いのマスクを見合わせた。
やがて、主任は立ち止まりため息をついて低い声でつぶやいた。
「……トウィンと賭けてたんだよぅ。向こう一週間分のおやつをねぇ。まさかここまで討伐が速いと思わなかったから、大損だよぅ」
困った困ったと言いながら、主任は再びタブレットを睨み始めた。
防護服を着た部下達も、肩を竦めてタブレットを操作し始める。
「賭け事も程々にしといてくださいよ……?」
「はいはい、次は絶対勝つよぅ」
「主任、この地における魔王蟲の残留魔力は2.5288パーセントです。既に広範に――」
「主任、それで今後のスケジュールですが――」
「主任、灯さんの精神調整のデータですが――」
「主任、灯さんの魔力変換効率の指標が――」
「はいはい、分かってるよぅ……面倒だよぅ……。こんなことになるんなら賭けに乗っかって蟲を送るんじゃなかったよぅ……」
灯が知ったら全力で殴りつけそうな台詞を吐きつつ、主任と呼ばれた女性はだらだらと事後処理を行った。
彼女ら駆除隊の処置により、発生元の証拠に関してはほぼ完ぺきに隠滅されたのである。
だが、駆除隊の仕事はそこまでであり、この惑星における魔王蟲の影響は完全に放置されることとなった……。
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