第17話 橘灯vs魔王蟲

 魔王蟲は灯の姿を認めると、聞くだけで頭がおかしくなりそうな甲高い鳴き声を上げた。

 と同時に、魔王蟲は殻を破って粘土細工の様に姿形を変化させ、この惑星でもよく見られる人間型の女性になった。

 姿を現したときから宇宙船の情報通りの姿ではなかったが、進化する生物だとは聞かされていなかった灯は、目を眇めて舌打ちをする。

 先ほどの少女と似たような身体をしているが、その異質さと本能に突き刺さるような敵意は、格が違うということを否が応にも感じさせた。


≪勇者の生体データを模倣し、マスターの戦闘力を記憶し、独自に進化したものだと思われます≫


 背中にはアゲハのような色鮮やかな翅を背負い、その血液のような色をした両目にははっきりとした意志が感じられる。

 だが、何より特徴的なのは、腹部から尻にかけての大きな産卵管であろう。その先端は銀色に輝き、長いドリルのようになっていて、どんな物でも穿ちそうな鋭さと濃密で暴力的な魔力を感じる。


 魔王蟲は灯の渋面を見るとにっこりと微笑み、手の平を向ける。

 ハッとした灯は慌てて横に跳んで転がる。瞬間、灯の背後で巨大な爆音が響き、膨大な熱量がホール中の空気を熱する。

 起き上がる灯の前には、腕を振りかぶっている魔王蟲の姿があった。

 灯は舌打ちする間もなく、その拳撃によって殴り飛ばされる。

 両腕がミシミシと悲鳴を上げて軋むのを感じながらも、灯は冷静に状況を分析していた。


(ナビ!)


≪了解! 風魔法展開します≫


 灯は空中で身体を丸めて急速に回転し、衝撃を殺しながら着地した。

 咄嗟にガードした腕は折れてこそいなかったが、かなり腫れて膨張しているように見える。

 腕を通して内臓にもダメージが浸透していたらしい。

 灯は口から赤い色に染まった唾を吐き捨てた。


(身体強化は間に合ったはずだが……これだけの攻撃力があるのか。もたもたしてるとやばいな)


≪魔王蟲もさきほどの少女と同様に、相手の魔力を無効化する特質があるようです≫


「クソ厄介だな……魔力を掻き消す力っつーのは……!」


 それに加えて魔王蟲には、少女の力を圧倒的に上回る攻撃力と速さがある。魔法も桁違いに強力だ。

 相手の魔力を封じて自身の魔力を不自由なく扱うという敵の特性は、灯の攻撃の幅を極端に狭めている。

 それに加えて元人間の少女と違い、魔王蟲は身体的性能がそもそも人間とは完全に比べ物にならないのだ。

 諸々を鑑みて、灯の取れる選択肢というのは酷く少ない。




 灯は深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。

 身体強化を解き、自然体の姿勢になる。

 一見隙だらけに見える格好だが、魔王蟲は動かなかった。


 否、魔王蟲は動けなかった。


 灯から感じる濃厚な強者の気配が、魔王蟲に動くことを許さなかったのだ。

 そしてそれは、魔王蟲が今まで感じたことのない、魔力とは違った未知の力であった。


「どうした虫けら? 遠慮せずにかかってこいよ」


 灯の全身に気が満ち溢れている。

 それは魔力で身体を補強する身体強化とは違い、肉体そのものの能力を強化するに等しい。


 そもそも気という力は、魔力とは根本的に異なる力だ。

 物体や事象を構成するのが魔力なら、物体に命を吹き込むのが気の力だと言える。

 地表の大部分を海と呼ばれる生命の液体が覆っているという特異な惑星、地球。

 そこに棲む生物達が身近に感じる命の息吹、それが気というエネルギーなのである。


 身体強化が肉体の能力に加算すると表現できるなら、気による肉体の強化は乗算するのに近いものがあるのだ。


 ましてや灯の肉体は、人間のそれでは無い。

 死に瀕した脆弱な肉体を、地球の最新技術を完全に超越した宇宙的技術で強靭に造り変えているのである。


 灯の挑発を受け、魔王蟲の魔力が膨れ上がった。

 少女の時とは比べ物にならないほど禍々しく、それでいて強大な魔力。

 灯が僅かに眉を上げて感嘆を示した瞬間、魔王蟲の身体を覆う魔力光がぶれる。


 それは残された光の残滓だ。


 つまるところ、魔王蟲は灯の目の前に瞬間移動し、目にも止まらぬ速さで蹴撃を見舞ったのだ。

 魔王蟲の攻撃は、少女と変わらぬ単純なものである。

 余計な動作を僅かも含まず、己の出せる最速のスピードと超人的な身体能力を活かした打撃は、当てるだけで相手を粉砕する絶対の必殺技となる。

 極限までに研ぎ澄まされた戦闘センスのもたらす最高の一撃は、相手の命を一瞬で消滅させることだろう。


 だが、それは当たればの話である。


 圧縮された時間の中で、魔王蟲は覚悟する。

 彼女は自身の攻撃が失敗したことを本能的に察したのだ。

 意識と意識の合間を駆け抜けた危険信号が、来たるべく衝撃から命を守るため、全魔力を防御に回した。


 と同時に、灯の正拳突きが魔王蟲の背中に突き刺さる。

 しなやかな甲殻がひび割れる音を聞きながら、魔王蟲は壁に激突した。

 壁に穿たれた穴は円形に広がっており、正拳突きの衝撃の強さとその衝撃を、瞬時に壁全体に浸透させて緩和したことを如実に物語っている。


 魔王蟲は一瞬にして壁から出てきたが、息が上がっていた。

 魔力光が不安定にゆらゆらと揺れ、その瞳には狂気染みた激情が宿っている。


「ちょっと気を込めて殴っただけでそれか? 魔王なんつー偉そうな言葉がついてる癖に弱っちいなぁ、おい」


 灯は不敵に微笑みながら、より丹念に気を練って敵の攻撃に備える。

 その身に纏う濃厚な気は魔王蟲にも視えるらしく、対抗するように身体強化の精度を上げる。

 魔王蟲の魔力光はどす黒く、ホールを暗い闇で覆うほどに膨大である。


 周囲が完全に闇に包まれた瞬間、魔王蟲は灯に肉薄した。

 リーチの長い産卵管を、灯の頭部を狙って仕掛ける。

 視界の効かない暗闇の中、音もなく瞬時に迫った魔王蟲の鋭い攻撃は手練れた暗殺者のそれだ。


 鈍い金属音と共に、何かが砕けた音が響く。


「ッ!」


 魔王蟲の攻撃は止まらない。

 拳撃、打撃、突撃、斬撃、蹴撃、幾千にも及ぶ連撃の最中、魔王蟲が感じたのは――正面から忍び寄る死の気配であった。


 初撃で砕かれた産卵管。


 掠りすらしない攻撃。


 気配が微塵も感じられない灯の存在。


 幾つもの状況が、死という実感が、恐怖の波となって魔王蟲に襲い掛かってくる。


 魔王蟲の本能が死の恐怖に怯んだその瞬間、その頭は粉々に吹き飛ばされた。






 膝を着き、崩れ落ちる魔王蟲の肉体。

 その肉体は黒い魔力光と共に空気中に霧散し、跡形も残らなかった。

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