第16話 橘灯vs対魔王用決戦兵器
通路の奥にあったその扉は、いかにも重厚であった。
なんの飾りも塗装もされず、ただただ素材そのままの役割を果たすだけに存在していた。
魔物を閉じ込め、安全に運ぶための檻。
そういう役割を担っていたであろう分厚い金属板は、灯の一蹴りで単なる鉄塊と化し、地下へと通じる暗闇に落ちていった。
しばらく経ってから、鉄塊が何かとぶつかった衝撃音が空気を揺らす。
「ふむ……察するところこれは、地下エレベーターの扉だったと見えるな」
≪どうやって降ります?≫
「身体強化を掛けて、そのまま飛び降りる。さっきの扉がエレベーターの天井を突き破ってれば良いが、そうでなかったら落下時の衝撃を拳に流して天井を突破だな。それで化け物のいる地下にいける。身体強化を掛けてれば、不意打ちにも対応できるだろ」
言い終わるや否や、灯は鮮烈に赤く輝く魔力光を体に纏い、気負うこともなく飛び降りた。
薄暗い地下の大ホール。
すり鉢状に広がるその形状は、ローマのコロッセウムを髣髴とさせる。
灯はその観客席に当たる高台に立つと、すり鉢の底を見下ろした。
「あいつだな」
円形広場の中央に立っている人影を観察しながら、灯は近づいていく。
その姿は一見すると、ただの美少女にしか見えない。流れるような銀色の髪に、陶磁の様な白い肌。表情は能面のような仏頂面であり、どことなく仮面を被っているような印象を受ける。
(さっきの悪意は、あいつが戦っていた時に出していたものだったのか?)
灯が見るに、戦闘は既に終了しているようだ。
少女の傍らには幾つもの拘束具の残骸と無数の肉片が転がっていて、周辺の床には血痕が染み込んでいる。
身体中が血に濡れている少女の姿を見て、灯は軽く鼻を鳴らした。
「ゲームでよくある展開だな。実験体の人間が多数の敵と戦わされるっつーのは」
その独り言によって近づかれたことに気付いた少女は、驚いたように灯を見た。
ビクリと身体を震わせて身体に黄金色の魔力を纏わせながら、灯を睨み据えて低い声音で尋ねる。
「……貴女は何者です?」
「相手に聞くなら、まず自分から名乗れ。それが礼儀っつーものだ」
≪マスターが礼儀を語るとは、なかなか新鮮ですね≫
ナビの皮肉を飄々と受け流している灯の表情を見て、少女は相手に敵意が無いと判断したらしい。
少女は仏頂面を止めて穏やかに微笑むと、ゆっくりと頭を下げて会釈した。
「これは失礼しました。私は『対魔王用決戦兵器』、製造番号はK-66637564です」
「私は橘灯だ。気軽に『灯さん』とでも呼んでくれれば良い」
灯は肩をすくめて、おどけるように答えた。
それを見て少女は一瞬呆気にとられると、面白そうに笑った。
その表情は普通の人間のそれであり、だからこそ灯は苦虫を噛み潰した様な顔をした。
「おかしな人ですね、灯さんは。私を見てもそんなに平気でいられるなんて大したものですよ」
「そうだろう。私は大物なんでね」
少しも面白くなさそうに灯は言う。
少女は笑いをおさめると、穏やかな微笑みを灯に向ける。
「でも、残念です」
「何がだ?」
「貴女がここに来てしまったことが、ですよ」
瞬間、少女の姿が掻き消える。
灯は少女が掻き消えるのを見たと同時に身が竦みそうになるほどの殺気を頭上に感じ、その場から一気に飛び退いた。
少女は灯がいた場所に、鋭く重い拳を突き立て床石を粉砕し、小さなクレーターを作った。
「流石ですね、灯さん」
少女は何事も無かったかのように、床から拳を引き抜いて微笑む。
「一応聞くが、何のつもりだ?」
「灯さん、貴女は魔王では無いようですけど、底知れぬ程の強大な魔力を感じます」
少女の身体を強化する魔力光が力強く輝く。その光は、辺りを明るく照らすほどに膨大なものだ。
「貴女の存在はこの世界にとって危険ですから……すみませんが、排除させて頂きますね」
「最初から殺す気満々の癖によく言う」
灯も少女と同じように、身体強化の魔法を行使する。
練られた気は速やかに変換されて赤い魔力の輝きとなり、身体を隈なく力強く覆う。
少女は灯が戦闘態勢に入ったのを見ると、嬉々として襲い掛かった。
(ちと不味いな)
少女の拳撃を易々と躱しながら灯は思う。
自分の体力は無尽蔵にあるようで、急激に速く動いても、少しも疲れることが無い。
敵の攻撃も、動体視力と身体能力が生身の時と違ってかなり向上されているのか、避けることが容易だ。
(だが、こいつの攻撃……多分、私の魔力を吸っている)
少女の拳が灯の頬を掠めると、その部分に掛けている身体強化の魔力がごっそりと削られる。
恐らく攻撃を仕掛けても、拳に纏った身体強化は少女の体に当たった瞬間、全て吸い取られてしまうだろう。
そう思う灯は、迂闊に攻撃をすることも出来ないのだった。
思わず舌打ちをする灯を見ながら、少女は心の内で戦慄していた。
一度も攻撃をまともに食らわず、それどころか全て紙一重で避けているという現実。
少女がどれだけ連続で攻撃しても、フェイントを仕掛けても、全て見切られて躱されている。
魔法を直接撃っても、軽く弾かれて鼻で笑われる。
目眩ましも通じない。
爆風で視界を封じても、まるで自分の動きが完全に見えているような動きをしている。
(でも、攻撃を一発当てさえすれば……勝機はある!)
少女は相手の魔力に触れた時、その魔力を吸収することができる。
そういう体質を持っていて、そういう風に改造された。
全ては人間の宿敵である、魔王を倒すための力である。
ゆえに、拳が当たれば身体強化の魔力を完全に無力化できるだろう。
だが――
(当たらない……!)
時折掠りはするのだが、決定的な一撃が入らない。
ガードすらされず、全て体捌きのみで躱されているのだ。
完全に動きを把握され、見切られてしまっている。
それでも、少女には攻撃を止めるという選択肢はない。
(直撃が無理なら、身体強化を……魔力を削り取る!)
少女は手数を増やすべく、身体強化の比率をバランス型から速度重視型に偏向し、攻撃を劇的に加速させた。
残像すら残さず、目にも映らないほどの拳速。
少女はそれでも一撃に期待せず、手数で押し続けることを選んだ。
戦闘は完全に膠着状態に入っていた。
少女の攻撃が苛烈さを増したものの、灯には全く通じなかった。
灯にとって、少女の攻撃の加速度合は誤差の範疇に感じられる程度の速さに過ぎなかった。
だが、身体強化に費やす魔力がどんどん削り取られている事実を見るに、楽観はできない状況である。
灯はこの膠着状態も長く続かないと見て、開き直ることにした。
「ナビ、身体強化を止めろ。無駄に体力を使うことになる」
≪そのようですね。それで、どうするんです?≫
「当然、そのまま殴り合う」
身体強化を解いた灯は、少女の拳を真っ向から殴りつけた。
戦闘は、流れが変わるとあっと言う間に終結に向かうものだ。
今まで膠着していた状況が、一転して灯の優位に移行した。
少女が幾ら攻撃を繰り出しても、灯はそれを身体強化無しの拳で迎え撃つのだ。
通常の戦闘なら少女の攻撃が優位であっただろう。
強力な身体強化に加え、スピードの乗った拳による絶え間ない連続攻撃。
少女はこの攻撃で魔物を屠ってきたし、攻撃が通じない相手はいなかった。
だが、灯はそうした相手とは一線を画していた。
(身体強化無しで……! どうして私が押されているの……!?)
一言でいうなら、灯を改造したマッドサイエンティスト達の成果と言うべきものであろう。
灯の骨も筋肉も、その身体に流れる体液ですら、この惑星の生物とは一線を画したレベルに達しているのだ。
そのレベル差を比較すると、身体強化した少女よりも生身の灯の方が全体的に能力が上回っているというほどの、歴然としたものである。
灯の優位は当然であり、少女が今まで全力で攻撃できていたのも、灯が攻撃していなかったからに過ぎない。
少女の拳は血に染まり、攻撃はおろか、握ることすら出来ないほどに傷んでいた。
自然、攻撃を撃ち合う訳にはいかず、防御に専念するしかできない。
そして当然、灯がその機を逃すはずがなかった。
(…………ッ!!)
灯の攻撃は一撃一撃が速く、頭の芯に響くほどに重い。
少女の腕は皮膚がめくれ、筋肉が覗き、既に感覚は失って久しい。
そして遂に少女の腕が折れ、ガードの一部が崩れた。
「シッ!」
その刹那に、灯の掌底が少女の胸を打った。
踏ん張ることもできず、少女は一気に壁まで吹き飛び、地下ホールを大きく揺らした。
身体強化の魔法が掛かっているとは言え、無傷とはいかなかった。
少女は喉奥から込み上げる血液を吐き出し、口元に残った血を腕で拭う。
手痛いダメージを受けたショックで痙攣している足を叩きつけ、不恰好ながらも立ち上がる。
土煙が晴れた先に立っていた姿をお互いが認識したとき、どちらともなく笑みが浮かんだ。
「まだ立てるだけの力が残っているとはな……流石は対魔王用の勇者様なことだけはある」
「お褒め頂いて、ありがとうございます。でも、勝負はまだまだこれからですよ……灯さん」
少女がファイティングポーズを取り、灯が目を細めた瞬間――それは起こった。
少女の鼻と口から夥しい量の血液が噴き出した。
手で口を押さえるが、血の流出は収まらない。
少女の表情が戸惑いから苦しみに変わる。
少女は片手で自分の喉を絞めながら、凄い勢いで胸を掻き毟る。
その目には焦燥と、戦慄と、困惑が表れていた。
やがて、胸の皮膚は破れ、肉を表出させる。
だが、血はあまり流れ出てこなかった。
そして少女は、重力に逆らうようにして胸を張り、仰向けに崩れ落ちた。
灯が突然の事態に驚き少女に駆け寄ったときには、状況は一変していた。
少女の胸にある肉と骨の間から、異形の頭が現れていた。
それは、黒い光沢を放つ奇妙な蟲のように見える。
灯はそれを見た瞬間、少女から飛び退いて距離を取った。
蟲は灯が離れたことを感じたのか、ゆっくりと少女の胸から這い出てきた。
その体は、赤い血液や内臓などの粘膜がこびりついて、てらてらと光っていた。
だが、それらの液体は一瞬で蒸発したかのように蟲の体から消える。
その蟲は……一見するとダンゴムシのような、アルマジロのような、甲殻に包まれた丸っこい形状をしていた。
だが実際目にしてみると、世にもおぞましい化け物であることを心身に強く刻み付けるような、異様な気配を纏っている。
灯は無意識的に、その口から化け物の呼称を呟いていた。
「こいつが、魔王蟲……」
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