最後の女神

Sayaki

最後の女神


四つ目の鉄の時代に

世界は暴力と偽りに溢れた

神々が造った人と大地は

多くの拭えぬ罪と死に満ちた




「誰だよ、あんな女誘ったのは」

 闇の中、眩い鮮烈な光を放つススキ花火を片手に、若い男がそう毒づいた。隣にいた派手な化粧の女性が溜息を混じらせてそれに答えた。

「まさか来るとは思わなくってさ。一応彼女も同期だし、声だけはかけておかないとね。仲間はずれにしてるって、思われてしまうのも嫌でしょう?」

 その二人の視線の先には、地味な洋服に身を包んだ女性が、誰とも会話を交わさず一人手にした線香花火をただじっと見詰めている。

 とある会社の同期会。毎年のお盆時期に恒例となった飲み会後の事である。一度解散した彼らの中で希望者だけが再び集まり、コンビニエンスストアで花火を大量に買い込む。

 参加者は五名。彼らはそのまま河川敷へと向かい、そこで買い込んだ花火を楽しんでいたのだった。

「俺、支部へ移動したから最近見なかったけど……あいかわらずだな、あの女。何考えているのかさっぱりわからねえ」

 二人から侮蔑の視線を受ける彼女の名は明日香。会社で目立つ仕事をするわけではないが、無駄の少ない堅実な働きに上司の評価は決して悪く無かった。

 が、お世辞にも社交的とは言い難いその性格が災いし、「こなす仕事の割に上司受けだけはいい、面白みの無い女」と彼女を滾る嫉妬の目で見ている同期の人間は多かった。




人間達に慈悲と恵みを

もたらす豊かな木々は

容赦無く切り倒された


そうして造られた人間の船は

海を荒らし海神の怒りを招いた

神々が与えた母なる大地すら

人間は力と狡知で奪い合った




「こら、花火こっちへ向けるなよ。危ないじゃないか」

 笑顔でそう言いながら逃げる男を、若い女性が花火を持ったまま追いかける。

「大人しく降伏しろテロリストめ」

「やめろぉ。投降するから撃たないでくれ」

 持っている花火を武器に見立て、はしゃいでいる二人。他の二人もそれに便乗し、二対二に分かれ架空の銃撃戦が開始される。

 だが明日香は、そんな四人を酷く冷めた目で眺めていた。そんな彼女に気付いた若い男は、憤りの表情を隠そうともせず再び毒づいた。

「……おい、お前。そんな目で俺たちを見るなよ。場が白けちまうだろうが」

 その強い口調は、言外に含ませた棘を明日香へと突き刺した。だが彼女は微塵にも動じた様子を見せず、静かに笑みを浮かべた。それが四人が抱く反感の炎に油を注ぐ。

「憐れね。あなたたちは絶対に安全だと信じている場所から、死んでいく人々を嘲笑うくらいの事しか出来ないのね」

 明日香の言葉に、他の四人は失笑で顔を歪めた。若い男は、蔑むような声でそれに応じる。

「何馬鹿な事を言っているんだ、お前。テロなんて、俺たちに直接関係無い他国の話だろう。ちょっとふざけていただけじゃないか。真剣な顔してつまらない事言うなよ」

 言い過ぎだよ、と明日香を庇っていた女性ですら、次の瞬間に絶句した。彼女はそんな四人に対し、凄絶な微笑を浮かべながら信じ難い台詞を吐いたのである。

「……この夜が明けたら、あなたたちは死ぬ。そんな場面、想像出来る?」




あろうことかさらに人間は

神より授かった母なる大地を

その穢れた手で掘り漁った

黄金と鉄を手に入れた人間


黄金は富、鉄は力


それらは人の世を深き闇に染めた

力ある者は鉄を用いて戦い

そして自らの際限無い欲望を

黄金で満たすようになっていった




「死ぬ、だって? 俺たちが? なぜ? お前どうかしてるぜ。薄気味悪い奴だな」

 男の侮蔑は今や怒りへと姿を変えていた。だが、氷のような微笑みを表情に貼り付けたまま、冷たい声で明日香は言葉を続ける。

「あなたたち、本当にここが安全な場所だと信じているの? 地球上にいるほぼ全ての人間達が、ずっと恐ろしいモノを目にし続けているというのに」

「恐ろしいモノ? 何だよそれ」

 彼女の顔から笑みが消える。そして四人が持っていた花火は燃え尽き、辺りは再び漆黒の闇に包まれた。花火に火をつけるための蝋燭だけが、その中で幽玄の淡い光を放っている。

「……月よ。ほら、今日も西の空に浮かんでいるわ」

 抑揚の無い口調で、無表情のまま明日香は四人にそう告げた。




罪はさらに満ち溢れた

争いは絶え間無く続いた

豊かさと引き換えに人は

徐々に心を失っていった


人は疑う事も覚えた


友人を疑った

恋人を疑った

親兄弟ですら疑った

力無き者が奪われぬ為に




 四人は暫く言葉を失っていた。明日香を除く誰もが、表情に困惑の色を浮かべている。

やがて彼女を庇っていた女性が、震える声で尋ねた。無理に笑みを浮かべながら。

「つ……月だったら、当然いつも見えるわよね。でもなぜ月が『恐ろしいモノ』なの?」

 明日香は呆然と立ちすくむ四人から目をそらし、空で輝く下弦の月へ視線を向けている。

「……皆既日食の写真、見た事はあるかしら?」

「あるけど……それがどうかしたの?」

 そう聞いた彼女の方へ、月を背に明日香はゆっくりと振り返った。逆光の為それを見ていた四人の誰もが、彼女の表情と感情を窺い知る事が出来なかった。

「おかしいと思わないの? 月の直径は三千四百七十キロメートル。それに対して太陽の直径は百三十九万二千キロメートル。これだけ大きさが違う二つの天体が、地球上からの見かけの大きさが同じ、だなんて」

「か、皆既日食の写真を見れば、確かに見かけは同じくらいの大きさだってわかるけど……」

 川原を生ぬるい風が吹き抜けた。蝋燭の火は消え、薄雲の中に消え入りそうな月明かりだけが深い闇を照らし続ける。

 四人を縛っていた沈黙を切り裂いたのは、男の嘲笑だった。 

「馬鹿馬鹿しい。くだらねえな、単なる偶然だよそんなの」

「偶然? ありえないわ。太陽と月が、同じ大きさに見えるよう調整する。誰かが作為的にそうしなければ、こんな事決してありえないわ。それを偶然ですって? こんなにも恐ろしい現実がいつも目の前にあるのに。なぜこんな簡単な事から、人間は目をそらすの?」




立ち上る猛き炎は天を焦がし

乾いた大地は血に塗れた

それでも人間は欲した

疑い罪に堕ちても……




神々は地上を見捨て

次々と去っていった




「以前からおかしな奴だとは思っていたけどよ。付き合いきれねえな。おい皆、こんな女なんかに構ってないで、どこかで飲み直そうぜ。すっかり酔いも醒めちまった」

 男は忌々しげに川原の石を蹴りつけながら、そう言って明日香に背を向けた。他の三人も、哀れむような目で彼女を一瞥し彼の後姿を追った。

 下弦の月を覆っていた薄雲が、風で取り払われた。闇の中、月明かりで浮かび上がった明日香の表情を彩っていたのは、深い悲しみと絶望だった。

「……欲に溺れ、罪に満ちた人間。ここには何も無い。もうここには何も無いんだ」

 その場に残された彼女はもう一度だけ虚空に浮かぶ月に視線を向け、そしてゆっくりと目を閉じた。

「この世界の人間が見る、最後の月。私もここから去ろう。そしてもう一度、先にここから立ち去った彼らと一緒に……全てを最初から造り直そう」




正義の神テミスの娘

アストライアはたった一人

それでも最後まで残っていたが


やがて彼女も絶望し

ついに地上から

去って天に昇り


乙女座となった




(乙女座の神話)





(了)8.15.2015

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