第5話


 水が流れるように時は流れる。


 やがて二年が経ち、我が家に魔女が転がり込んできてから、三年目の春が訪れた。


 世間では、『カスト』という病気がにわかに人々を騒がせていた。古くから認知されているにも関わらず、現代の医療でもいまだ治療不可能な、死の病。潜伏期間が長いこの病気は、一度発症すると、たった三日で死に至る――が、とても珍しい病気で、感染したとしても発症率は極端に低い。交通事故よりも、死ぬ確率は低い。


 しかしだからこそ、発症したときの心理的ショックはとても大きなものになる。それはむしろ、発症した本人よりも、身近にいる者こそが強く受ける。


 魔女からの感染率が高いために、『魔女の嫌悪』とも呼ばれていたりもする。根拠のないただの俗説だが、彼女たちが発生源と言われているからだ。心無い人は、魔女が世界を乗っ取るために『カスト』を人間社会へと持ち込んだのだ、などとほざく。


 もちろん僕は信じていなかった。彼女たちが本気になれば、そんな回りくどいことをしないでも、世界なんて一週間で制圧できるほどの『ちから』があることを知っていたからだ。


 この国では、一四歳から十八歳までの五年間を高等学校で過ごす。卒業試験が難関だが、それをパスすれば、ほとんどどんな大学へも進学できる。ただし、医学部と建築学部を除いて。


 僕の少ない友人たちも、たいていは大学へ進学する。ただ、一人だけ軍隊に入るやつがいた。この国は戦争になると弱いのに、変わった男だった。植民地を増やさないと、他の国から攻められるとかなんとか言っていた。国を守ることは、家族と恋人を守ることだとか、なんとか。


 そいつの家は自転車を製造する会社を経営している。最近ではそれにエンジンを付けた「モト」を初めて、これがまた儲かっているようだった。にも関わらず、家族と家業を放り投げてでも、やらなくてはいけないことがあるなんて、その時の僕にはとても理解できなかった。


 さて、僕はと言えば進学することにしたが、みんなとは違って試験が必要だ。医学部へ入るために。


 『カスト』によって親しい人を二人亡くした僕は、医者を目指していた。




「……ポゥくん、いる?」


 ドアをノックして、魔女が顔を覗かせた。


 入学試験に向けて勉強をしていた、ある夜のこと、突然ケンオが僕の部屋を訪れた。


「なんだよ」


 休憩中――と言ってベッドに横たわっていた僕は、起き上がり、露骨に嫌な顔をして、つっけんどんにそう言った。会うのは一週間ぶり。まともに話すのは一ヶ月ぶりくらいだ。


 そのころの僕は、ケンオに対して完全に壁を作っていたし、彼女もそれを気づいていたのだろう。二人は、『仲の良い姉弟』などでは有り得なかった。もちろんその状況を生み出していたのは、他ならぬ僕自身なのだが。


「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……」


 後ろ手に扉を閉めて、ケンオが近づいてきた。すとん、とベッドに――つまり僕の横に――座る。肩まである艶やかな髪と、切れ長の青い瞳が、腹が立つくらい美しかった。


「どうしてわたしを、ここに置いてくれるの?」


 いきなりそんなことを聞かれて、僕はどきっとした。


「ど、どういうことだよ」


「わたしはただの居候よ。ポゥくんが嫌なら、いつでも追い出せたはずでしょう? この家はもう、あなたのものなのだから」


 確かにそうだ。両親から家を受け継ぎ、ここの家主は僕ということになっている。ケンオをいつまでも住まわせてやる義理は無い。


 ではなぜか。その理由は単純にして明快なのだが、それをこの女に話すのは、僕のプライドが許さなかった。進路を決めるべきはずの二年間に、ろくに家にも帰らず遊び呆けていたこの女には。


「別に。深い意味なんてないよ。今さら追い出すのも可哀相だしな。それにどうせ、他に行くところも無いんだろ?」


 いくら居候させてもらっているとは言え、二つも年下の義弟に、こんな侮辱的な言い方をされたにも関わらず、しかしケンオは怒るでも無く、にっこり笑って答えた。


「そう……。優しいのね、ポゥくん」


 きっと彼女には、僕の気持ちなんか手に取るようにわかっていたのだろう。それがいつか言っていた、『魔女の『ちから』と言うよりは女の勘』かどうかは分からないが。


「ありがとう。わたし、ポゥくんのこと、好きよ」

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