第1章 目的:生存・幸福・繁栄
人は、なぜ生きるのだろうか?
私はここで、何か哲学的な問いを提出しているのではない。世界の99%の人間が同意できるような、普遍的な目標を発見するために、この問いは用意された。
まず、この問いは生きている人間だけが受け取り、応答することができるものであることを認識する必要がある。もしかするとあなたは、「自分のペットの○○は人間の言葉が分かる賢い子です!」などと言いたくなるかもしれないが、私はそういうことが言いたいのではない。要するに、生きている人間は生存を目的としている、ということには、特に異論はないだろう。
たとえ、口で「死にたい」と言っている人がいても、その人がまだ生きているのでれば、実際はその人の目的の内に生存することが含まれている。言葉ではなく、実際の行動を信頼するべきだ。言葉の上でなら何とでも言える。
そして、現代社会においては、生存だけで満足する人など皆無、と言ってしまっても過言ではない。ほとんど全ての人は、幸福になるために生きている。現実をわざわざ観察するまでもなく、この事実は明らかなはずだ。もし不幸を求めたがる人がいるのであれば、その人は望み通り不幸になるだろう。しかし、不幸になることを望む人については、もはや政治思想で取り扱える領域を超えている。私はもっと一般的な対象について語る。
人は、自分自身の幸福、あるいは家族の幸福だけを願って生きるのではない。同時に人は、自分の属する共同体、あるいは社会が繁栄することを願っている。自分が幸福になることはいいことだが、他人が幸せになることも、ある程度はいいことだ。
人間の行動の特性は、利己性と限られた利他性として説明することができる。もし遠方で地震が起こり数万人の死者が出れば、私は涙し、死を悼むだろう。しかし、もし私が小指の骨を折ったとすれば、私は遠方の数万人の死者の比ではない、痛みや苦しみを味わうことになる。しかし、第三者の視点から見れば、大地震は私の小指の骨折以上に重要だと考えることに、疑問の余地はない。
それでも、この「共存共栄」に結びつくような利他性が確かに存在することは、忘れてはならない点だ。こうして、「生存・幸福・繁栄」という、人間の簡潔な行動原理が完成した。しかし、この目的を掲げているだけで目的が自動的に実現するほど、人類の立場は恵まれたものではない。合理的な手段が必要だ。
しかし、その話をするのは第1章においてではない。
自由資本主義の空間 冷泉 小鳥 @reisenkotori
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