(2) 過去に思いを馳せ

「……ふっ。いいな、自由なやつは。お前らは、その翼でどこまでも飛んでいける。けど、ボクは……」


 屋敷の庭に育っている大きな銀杏の木の枝に腰掛けた琥珀は、肩に止まっている小鳥に呟いた。いつもの鋭い眼差しは、どこか儚げに細められている。


 黄色のおかっぱのような髪の毛が、さらさらと風に弄ばれる。

 小さく息を吐き、琥珀は肩に止まっている小鳥に徐に語りかけた。


「ボクは、ここにくるまえは一人だったんだ。親に捨てられて、施設に入ってた。……施設の兄さんや姉さんは優しかったけど、どこかでボクことを嫌っていて……いや、あれは気持ち悪がっていたんだよね」


 囁きは、小鳥以外に聞こえない程に小さかった。


 視線を逸らし、琥珀は遠くの空に浮かぶ雲を眺める。

 ――過去の思い出したくない記憶が、唐突に浮かんでくる。忘れたくても、忘れられないことは、ふとたまに彼の心をかき乱した。


 とある冬間近の秋。まだ産まれて間もない赤子が、児童養護施設の前に捨てられていた。

 夜のことだ。その赤子は、自分の存在を周囲に示すかのように、毛布から少しでている顔面いっぱいを崩して、大声で泣いていた。


 それが琥珀だった。


 泣き声に気づいた職員により発見された琥珀は、それからその児童養護施設で暮らすことになった。泣き疲れて眠る赤子と共に、一枚の手紙があったらしいが、施設の職員に琥珀が何回も聞いたところで、その内容が教えられることはなかった。

 児童養護施設には年上の兄さんや姉さんがおり、琥珀は小さい頃から可愛がられて育った。


 それでも、幼いながらも琥珀はわかっていた。産まれつきの黄色い髪に、人間離れした獣のような灰色の瞳。顔に出さなかったものの、きっと気味悪がられていたのだろう。


 それの上、琥珀は物心をついた時から人とは違う不思議な能力を持っていた。


「ずるいよね。あいつらは、自分と違うものを――例えば、こんな意味の分からない能力――異能っていうらしいよ――を持っているだけで、気味悪がって、仲間外れにするんだ。……だから、ボクは逃げたんだ。あんなところにもういたくない。どこか遠くへ、遠くへ行きたいと思って、ボクは施設から逃げだした。――そこで、白亜様に会ったんだよ……」


 施設を逃げ出したのはいいものの、行く宛のない琥珀は、小さな公園でブランコに揺れていることぐらいしかできなかった。そんな彼に、彼女は話かけてきたのだ。


「どこにも行くところがないなら、家においで」と優しい言葉をかけてくれた。


(だから、ボクは……)


 肩に止まっている小鳥に、琥珀は普段誰にも見せることのない笑みを浮かべた。


「あ」


 琥珀は小鳥から視線を逸らす。


 屋敷の門を飛び越えて入ってくる人物を見つけた。

 ピンク色の影は、琥珀を一瞥してから、屋敷の中に入って行く。


「……水鶏くいな。もうあいつが帰ってくる時間だったか」


 琥珀が舌打ちをすると共に、肩に止まっていた小鳥が飛び去って行った。



    ◇◆◇



 瓦解陽性は、机の上にアルバムを広げていた。まだ陽性が学生だった頃の思い出のアルバムだ。懐かしい顔が、たくさん写っている。

 追想にふけるとともに、陽性は別のことを考えていた。


(白亜は、今、どうしているでしょうか)


 彼女は、自分が守るべき存在だ。――それから、自分がこの世でたった一人の愛する人。


(この気持ちは隠さないといけない)


 陽性は白亜を愛している。そして彼女も、陽性のことを


 白亜はを覚えていない。

 彼女は、陽性との記憶を失くしているのだ。



    ◇◇◇



 小学人二年生の頃に出会い、中学一年生の頃から付き合い始めた。

 長い年月の中、喧嘩したことは幾度もあるが、それでも幸せな日々を過ごしてきた。


 彼女は、活発で元気な少女だった。屈託のない笑みに、黒髪のストレート。今とは真逆といっていいほど、明るい性格だった。

 彼女の優しさと、明るく気遣いができるところが陽性は好きだった。


 陽性と彼女は、先天的な能力者だ。

 陽性は炎の精霊と契約しており、彼女は水の精霊と契約していた。

 幻想学園に通っていた頃は、成績はトップに入っており、相性が抜群でテニスなどのペア競技では敵なしの存在と言われたほどだ。


 幻想学園を卒業してからの二年間。

 住んでいるところは違ったけれど、それでも毎日のように会っていた。



 それは、今から二年前――あれは、成人式が終わった次の日のことだっただろう。



 いつものように、陽性と彼女は公園で会う約束をしていた。その公園は、陽性と彼女が始めて出会ったところでもあり、ちょうど二人の家の真ん中辺りにあった。

 その日は、二人の交際八年目の日でもあった。婚約しており、結構式の日取りも決まっている。とても幸せな日々を過ごしていた。

 前日に少し揉めてしまったが、それでもどちらかが折れればすぐに仲直りできた。だから陽性は、今日は自分から謝ると、心に決めてそこに立っていた。


 だけど、待ち合わせ時間が一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、三、四、五時間とどんどん時間が過ぎていき――とうとうその日、彼女は現れなかった。



 そして、次の日。一日ぶりにあった彼女の姿は変わり果てていて。


 彼女は陽性の記憶を無くすことになる――。



    ◇◆◇



「陽性っ。ねえ、陽性ってば!」


 耳元で響いた大きな声に、はっと陽性は追想から現実に戻る。


 声をかけてきたのは、ピンク色の髪の毛をツインテールした少女だ。心配そうにこちらをじっと見つめる瞳は紫色で、彼女の桜色の唇が少し震える。


 顔を離すと、まだ高校生ぐらいの少女は「ふんっ」と鼻を鳴らして腕を組んだ。


「ノックをしても、声をかけても、全く返事なかったから、勝手に入ってきたよ」

「すみません、水鶏。少し考え事を」

「考え事?」


 水鶏と呼ばれた少女が顔を顰める。


「アンタ、もしかして……。また、思い出していたの?」

「……」


 当てられてた陽性は何も言うことができない。ただ、悲しそうに目を逸らした。


「アンタは本当にバカだよね……」

「……水鶏」

「白亜様の記憶はもう戻らないんだよ。アンタがどんなに望んでも、あの過去は今の白亜様には無意味なもの。それに、万が一思い出したりしたら……白亜様は、今度こそんだよ……。あの人は、死の代わりに大切なモノを失ったんだ。もしそれを思い出しちゃったら」

「わかってますよ、水鶏。あなたにいわれなくても、ワタシは、ちゃんと」


 それ以上聞きたくないと、陽性は水鶏の口を手で塞いだ。


 すると、水練の顔がみるみる耳先まで赤くなる。赤くなった顔を見られたくないのか、陽性の手を叩き落とすと、彼女は踵を返す。


「わかってるならいいさ。別に、アタシには関係ないからねッ。――さ、散歩に行ってくるッ。アンタは、白亜様のところにでもついていてあげればッ」


 赤い顔を隠して、水鶏は部屋から出ていく。


 一人取り残された陽性は、小声で囁いた。


「ありがとうございます、水鶏」

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