第二曲 二日目

(1) 二つの名を持つダイヤモンド

 ――――――クッククククッ。


 深夜。


 とある洋館の、宝物庫と化している部屋の中で。

 低い、笑い声のようなが響いた。


 巡回中だった警備員が、不思議に思い部屋の中を覗き込む。


「気のせいか」


 物音一つ聴こえない。


 警備員は踵を返してその場を後にしようとする。


 ――――――クックククククッ。


 コツという足音と同時に、再び笑い声のようなが聴こえてきた。

 それは確かに警備員の耳に届く。


「誰だ!」


 は確かに聴こえてきた。


 だが出所分からない。


 この部屋に入るには屋敷のあるじに許可が必要だった。何せ高価な宝石が沢山展示されているからだ。警備員だとしても容易に中に入れない。


 けれど再び笑い声のようなが聴こえてきて。

 警備員は居ても経ってもいられずに、室内に足を踏み入れた。


 はどこから聴こえてくるのだろうか。


 キラッ、と視界の隅で光が瞬いた。


 不審者だろうか。


 だが、この部屋に誰にも気づかれずに入ることなど不可能に近い。

 警報装置の類いは少ないものの、この部屋は、洋館の一番間中付近にある。洋館には常に三人ほどの警備員が巡回しており、監視カメラは警備員の数を遥かに超える数が備えられている。


 洋館の主は殆どのこの家に戻ってこないため、ここは館全体が宝物庫となっていた。


 ライトの光を頼りに、警備員は光のところに恐る恐る近づいて行く。


 その時、彼は気づいたのだ。


 今の光の色。

 それからこの部屋に飾られている宝石のこと。

 その宝石のとある噂。


 この警備員はまだ、この洋館の警備を任されてから日が浅い。

 洋館の警備の給金が高いため引き受けていたが、そういえばどうしてこの洋館の警備に志願する者はほとんどいなかったのだろうか。


 それが噂によるものだと、彼はこの時に気づいた。


 眩く輝く光は、虹色に輝いていた。


 ライトを向けると、そこにはガラスケースに入れられることなく、飾られている『虹色のダイヤモンド』があった。


 それに思わず目を惹かれ。

 駄目だと思っても手を出さずにいられずに。

 警備員は、『虹色のダイヤモンド』に触れてしまった。


「なん、だ」


 ――――――ククッ。


 笑い声のようなが聴こえたかと思うと。

 色とりどりに輝く光が警備員を包みこんでしまった。


 叫び声を上げる間もなく、警備員を包みこんだ光が、徐々に薄くなり――。


 そして、光がぷっつりと消えた後。

 そこにはあるのは、怪しい輝きを発している『虹色のダイヤモンド』の姿だけだった。



    ◇◆◇◆◇



「おはようさん、唄。今日も元気かー!」

「……」


 教室に入るとすぐに笑顔で出迎えてきたヒカリの前を、唄は一瞥することなく通り過ぎていく。

 自分の席に腰を降ろすと、前の席で本を読んでいた風羽に小声で声をかけた。


「今朝のニュース、観た? また、がでたらしいって、騒いでいたわ」

「ああ、勿論観たよ。あのやつだろ」

「あのやつがどのやつなのかはしらないけど、きっとそれね。……それで、予告状のことなんだけど」

「本当に、『虹色のダイヤモンド』にするのかい?」

「あたりまえよ」

「……予告状だよね。今夜、届けに行ってくるよ。佐久間邸とマスコミでよかったかな」

「任せるわ」

「了解」

「で」


 唄は少しいい難そうに口を濁し、視線でヒカリを一瞥してから、再び風羽の背中を見た。


「今回は、ヒカリも連れて行ったほうがいいかしら」

「そうだね。そっちの方がいいと思うよ。ヒカリもいないよりましだし……それよりも、君が連れていきたいと思うのなら、その気持ちに正直になればいい。ヒカリは喜ぶよ」

「……そう、ね」

「ヒカリは馬鹿だけど、精霊を扱う腕は確かだからね」


 ぺらっと本を捲り言う風羽の背中から、唄は目を逸らした。


 窓の外を眺める。

 青い空に白い雲が漂っているが、今日も日差しは強く暑そうだ。


 あ、と唄は思い出して声を出す。


「そうだ。放課後、屋上ね」

「了解」


 それで朝の会話は終わった。



    ◇◆◇



 本日の授業のお終わりを告げるチャイムが鳴った。


 放課後になり、部活動のある生徒以外は下校の準備を始める。

 だけど、部活動に入っていないはずの唄と風羽、それからヒカリは下校をすることはなく、廊下の人混みに紛れて、それぞれバラバラに屋上に向かって行く。



 唄が屋上の扉を開くと、風羽とヒカリはもう来ていた。風羽は屋上の隅の方に立っているが、ヒカリは胡坐をかいて座り込んでいる。唄は二人に近づく。


 本当は水練のところに集まりたかったのだが、引きこもりの筈の彼女が「今日は用があるから無理や」と言っていたので、昼休みと違って放課後に誰もやってくることのない屋上の、その片隅で作戦会議をすることになった。といっても、本当に些細な話し合いなのだが。


「作戦会議を始めましょうか」

「うん。なに話すんだ」


 唄の言葉に、やたらテンションの高いヒカリが手を上げる。

 それを黙殺して、唄は風羽を見る。


「風羽。『虹色のダイヤモンド』に、どんなトラップが仕掛けられているのか。水練、何か言ってなかった?」

「……ない」


 小声で風羽が答えるが、唄はよく聞こえずに聞き直した。


「何?」

「ないんだよ、トラップは。それがなくても、『虹色のダイヤモンド』自身が、トラップと化しているからね」


 無表情となった唄は、眉を潜める。


「君は、『虹色のダイヤモンド』にもう一つ名前があることを知っているだろ。どうしてそう呼ばれているのかも……」


 風羽の言葉を聞き、唄は無意識に呟いた。


「……人食いのダイヤモンド」


 その呟きに反応したヒカリが、唄に尋ねる。


「人食いのダイヤモンドって、何?」

「は?」


 思わず唄は不機嫌な声を上げてしまう。


(なんでこいつは、そんなことも知らないのかしら。乙木野町で有名な話なのに)


 この町に住んでいる人であれば、ほとんど知っているだろう。

 『虹色のダイヤモンド』が保管されている洋館の持ち主、佐久間美鈴さくまみすずは世界的にも有名な人だ。数々の骨董を集めるのが趣味で、日本でも三カ所に宝石を補完するためだけの建物を所有している。その内の一つが、乙木野町にある、『白い園』と呼ばれる洋館だ。


 あそこには、『虹色のダイヤモンド』だけではなく、数々の骨董品が保管されており、中には自由に見学できる展示ペースも存在している。もちろん、『虹色のダイヤモンド』は曰く付きのため、展示されていないが。

 この町に住んでいる人なら、「人食いのダイヤモンド」を噂で聞いたことあるだろう。


 唄はもちろん知っていた。

 だけどヒカリは知らないらしい。


 答えるのも馬鹿らしくなり、唄は風羽に教えるように目線で語りかける。

 少しため息をついてから、風羽が口を開いた。


「簡単にいえば、『虹色のダイヤモンド』は二つの名の通り、と云われているんだ」

「っ、ひ、人を食べる! マジで!?」

「噂によると、『虹色のダイヤモンド』にはがあるらしい」

「宝石に意思って、本当かよ」

「本当かどうかはわからないけど、僕たち異能力者に不思議な力が宿っているように、宝石に意思があったとしてもおかしくないと、僕は思うね」


 ごくりとヒカリが唾を飲み込んだ。

 尻込みして情けないと唄はヒカリを見たが、彼は真剣な顔をしていた。


「良くそんな宝石を使用しているんだな、その誰かさんは」

「誰かさんじゃなくて、佐久間美鈴という女性だよ。とても有名な人だから、名前ぐらい覚えておいた方がいい。――まあ、僕に金持ちの気持ちなんてわからないから、どうしてあんな宝石を所有しているのかは謎だけどね」

「俺なら所有しねーぞ」

「僕もだよ」


 会話が途切れたことを見計らい、唄は声を出した。


「もう随分と時間が立ったから、そろそろ帰りましょうか」

「そうだな、唄」


 うししと、ヒカリが笑って立ち上がる。


「それじゃ、僕は夜になったら予告状を出しに行ってくるよ」


 風羽は我先にと屋上を出て行こうとした。

 その背中に、ヒカリが声をかける。


「風羽、一人で大丈夫か? よかったら、俺もついて行くぜ」

「君に心配されなくても、これぐらい僕一人で大丈夫だよ。それよりも君は、自分の力を少しでも磨いておきたまえ。今回は、君も来るんだろ?」

「うっせー。……心配してねぇっつーの。心配しているのは、俺じゃなくて」


 ぼそりと呟いた声は、唄にも聞こえなかった。



    ◇◆◇



 透き通るような純白のシルクのような長い髪。

 浴衣に身を包んだ、少女とも女性ともとれる風貌の彼女は、天井を眺めながら寝転がっていた。


 馳せている思いは、あの怪盗。

 次に彼女たちが狙うとされている、あの宝石のこと。


 あれは、能力者といえども気軽に触れてはいけないものである。もし、少しでも触れてしまったら、を落としてしまう恐れもある。


(それを、何としてでも止めなければならない)


 これは、彼女に課せられた、めい


 天井に届けとばかりに、彼女は白く細い手を高く掲げた。掌をギュッと握り再びひらくと、力を失くした腕はゆっくりと布団の上に落ちる。


 目を閉じた彼女の瞼の裏に、優しかった両親な顔が浮かぶ。自分を愛してくれた両親は、彼女が中学生の頃に亡くなってしまった。不運な事故で。


 それから彼女は一人で生きてきた。

 ぽっかりと空いた一人の空間を、明るく元気に一人で生きてきた。


 一滴、涙が零れ落ちる。


 これは決して彼らに見せることのできない、彼女の表情。

 頬を拭い、彼女は震える唇で、言葉を紡ぐ。


「――――――ッ」


 その言葉は、壁に反響してやがて消えて行く。


 やがて彼女は眠りについた。

 夢を見ることのない、深いに眠りに。



 彼女は、一人御簾の裏に隠れて過ごしてきた。

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