(7) 風林火山

「――あなたは、何者?」


 ヒカリと家の前で別れてから、自分の家の玄関の扉を開けようとしたときに、唄は声をかけられた。ヒカリはとっくに自分の家の中に消えており、静かな夕闇の中、唄は一人の人物と相対する。


 長身の青年は人のよさそうな笑みを浮かべて、右手の上に火の球を浮かべていた。赤い髪の毛が夕暮れ時に溶け込んでいる。


 火の玉を見た唄は気づいた。


「その火の球……。もしかして、夕方に私たちを襲ってきた琥珀という子の仲間なのかしら?」


 眼鏡の奥から、警戒心を解くことなく唄は青年を見る。

 人のよさそうな笑みを浮かべた青年は、恐らく二十歳は過ぎているだろう。灯していた炎を消し、青年は空いた手をひらひらさせた。


「申し訳ありません。これは、アナタに正体が分かりやすいように浮かべていただけですので。ワタシは、アナタに危害を加えるつもりはありません」


 そして軽く一礼する。


「ワタシは、瓦解陽性がかいようせいと申します。そうですね、『風林火山』と名乗っておきましょうか。昔、この四字熟語を好きな人がおりまして」


 どうでもいい情報を付け加えながら瓦解陽性と名乗った青年は、にっこりと握手を求めるかのように手を差し出してきた。


 その手を黙殺し、唄は訪ねる。


「あなた達の目的を教えてくれないかしら。あの琥珀という子が教えてくれなかったものだから」

「もちろんです。今日、野崎唄さんに会いに来たのは、それが理由ですからね」

「……なんで、私の名前を知っているの?」

「もう一つ知っておりますよ。美しきさん?」

「ッ」



 警戒を強くし、唄は一歩後ろに下がった。


 青年は少し焦ったように手をまたひらひらさせる。

 危害を加えませんよと言いたいのだろうが、自分の個人情報を掴んでいるらしい相手に、友好的になれないだろう。


 睨むように、唄は青年を見やる。


「そんなに警戒しなくっても……」


 困ったように、瓦解陽性は頬をぽりぽりした。


「しょうがないですよね、怪しいですもんね、オレ」


 ぼそぼそ喋ったかと思うと、コホンと咳をしてから、青年は唄の栗色の瞳を伺いながら言うのだった。


「ワタシが、野崎唄さんに会いに来たのは、警察に突き出すとか危害を加えるとか、そういった理由ではありません。――いいですか、怪盗メロディーさん。アナタが次に狙っている宝石――『虹色のダイヤモンド』を盗むのはおやめなさい」


 赤い瞳は、真剣に。


「あれは、アナタには過ぎた得物です。盗んではいけない」


 もし、と青年は言葉を紡いだ。


「盗むのであれば、ワタシたち『風林火山』はアナタたちの前に立ちはだかるでしょう」


 咄嗟のことで反応のできない唄に、青年は念押しするようにもう一言。


「『虹色のダイヤモンド』に手を出してはいけませんよ」


 その忠告に、唄は耳を傾けるのだろうか?


 そんなこと、あるわけがない。


 状況を把握した唄は、右手を握りしめて、思わず叫んだ。


「冗談じゃないわ! 私は、絶対に、虹色のダイヤモンドを盗むんだから!」


 その叫び声に、青年は驚いたように目を見開き、自分の表情を隠すように顔を逸らした。

 これ以上言うことはないのか、青年はそのまま背を向けると歩きだす。


 その背中を指差し、唄は宣言する。


「怪盗メロディーは、一度言ったことは覆さないわ」


 唄は負けず嫌いだ。それが、唄の心に火をつけてしまった。

 後から後悔しないと、唄は遠のく背中に届くように、大きな声で。


「もし私たちの前に立ちはだかるのなら、私たちこそ容赦しないわよ!」


 一瞬、青年が首だけで振り向いた。

 その表情を遠目に見た唄はわからなかったものの、彼は――瓦解陽性は、少し悲しそうな顔をしていた。


 珍しく語気を荒げたため、唄は肩で息をする。


 幸いといっていいのか、近所の人は唄の叫び声に気づいていないようだ。

 瓦解陽性のいなくなった夕闇の住宅街。


 一人になった唄は、力を込めていた右手を開くと、家の中に入った。



    ◇◆◇



 乙木野町には、古い造りをした家が建ち並ぶ、時代に取り残された住宅街があった。


 古い造りの建物が並ぶその住宅街の中、巨大と云えるほどではないが、周囲と比べると大きめの屋敷の中に、三人の人物が集まっていた。


 一人は御簾みすの中に、もう一人はその前に立ち、一人は壁に寄り掛かっている。


 その内、御簾の前に立つ、赤髪の青年が口を開いた。


「――やはり、怪盗メロディーは『虹色のダイヤモンド』を盗むつもりのようです」

「そう、なのか……」


 溶けて消える水滴のような、透き通る少女とも女性ともつかない声が響いた。御簾の裏の女性が少し俯く。


「それなら、しょうがないのぅ。本当は嫌なのじゃが……陽性、彼女らが『虹色のダイヤモンド』に手を振れぬよう、阻止するのじゃ」

「かしこまりました」


 青年は頭を下げた。


「それでは、白亜はくあ様。ワタシはこれで失礼します。おやすみなさい」

「良い夢を」


 静かに挨拶を交わすと、陽性は背を向けた。

 今まで一言も発さずに灰色の目で眺めていた黄色い髪の少年が、挑発するように

陽性に声をかける。


「本当にそれだけでいいのか? もっと白亜様と話していたいとは思わないのか? なんぜ、お前は」

「琥珀。何を言っているのわかりませんが、もう八時になりますよ。寝る準備はしなくていいのかい?」

「ッ。別に、まだ寝ないから準備は必要ないんだよッ。お前のことなんてどうでもいい。済ました顔しやがって!」


 逆切れした琥珀は、身を翻すと部屋の中から出て行った。


 その後ろを陽性が微笑みながらついて行く。


 彼らの背後の御簾の中で、白亜が小さなため息を漏らした。


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