天竜の首飾り
どれくらい眠っていたのだろう。地下牢に 囚われてからどれくらい経ったのかも既に分からなくなっている。
シグリドはぼんやりと眼を開けると、静かに身体を起こした。不思議な事に、あれほど
少女の周りには色々なものが整然と置かれていた。治癒師が持ち歩く道具箱はもちろん、色々な種類の薬草とそれを刻むための小刀、水を張った
一体全体、どこから……?
「俺達は地下牢に居るはずだが……お前、一体どうやって、それだけの物を手に入れた?」
びくっ、と驚いたように手を止めて、ファランは顔を上げると、おずおずとシグリドの方に視線を向けた。
が、すぐに何事もなかったかのように視線を落として作業に戻ると、練り上げた薬を小さな器に移して、壺の中から濃い色の液体を注ぎ入れた。小指の先で器の中のものをほんの少し掬い上げて口にし、満足気な表情を浮かべて小さく
器を手にしてシグリドのそばにやって来たファランが、彼の顔を覗き込むように座り込んだ。
「どうやってって……必要だったから、あなたが寝ている間にちょっと拝借してきただけよ」
少女が差し出した器からは、微かに葡萄酒の香りがする。その液体は何やら入り混じった濃い緑色だ。
「飲んで。傷口の熱を取るための薬よ」
「……口をつけたくない色だな」
顔をしかめながらも、シグリドは薬を全て飲み干した。目覚めた後、身体が確実に力を取り戻している事に気づいて、ようやく少女の治癒師としての腕を信用する気になったらしい。
「拝借してきた、と言ったな。何処からどうやって? 看守にでも頼みこんだのか?」
辺りに人の気配など全くしないが……シグリドは怪訝そうに目を細めながら、辺りを
「もともと看守なんて、この牢にはいなかったわよ」
ファランは少し不機嫌そうにつぶやくと、シグリドに一層近づいて、その胸の辺りを小さな指で、とん、と叩いた。
つられるように視線を落としたシグリドの胸には、見覚えのない首飾りが掛けられていた。手のひらに収まる程の大きさの、不思議な青い光を帯びた石が、銀の枠にはめ込まれている。
青い石をファランが指先でそっと撫でると、心なしか光が強みを増したようだ。同じような青い石をはめ込んだ銀の腕輪が、少女の左腕で、からりと音を立てた。
首飾りの銀の枠は竜のような生き物を
天竜だ……シグリドは心の中でつぶやいた。
妖魔の王である「聖なる天竜」を神と
この西の小国ヴァリスにあっても、その信仰は根強く、異端の竜の刺青を持つ「火竜」の傭兵達が不信心な荒くれ者として恐れられる
その昔、天竜の名の
神など、この世に存在しない。
妖魔がこの世界を救うなど、あり得ない。
自分を救うのは自分自身だ。誰も守ってはくれない。だから、地を這ってでも、死に物狂いで戦い続ける。ただ生き残るために。
それが、「火竜」の傭兵として故郷の「谷」を守り続ける誇りと「二つ頭」の名を背負うシグリドの生き方だった。
目の前の少女は、祈りを捧げさえすれば、いつの日か天竜が自分の前に現れて世界の果ての、その先にあると言われる「魂の安息の地」に連れて行ってくれる、などと本気で信じているのだろうか?
「これ……お前のか。なんでまた、俺なんかに預けている?」
そう言いながら首飾りを外そうとするシグリドの手を、小さな手がぎゅっと握りしめて動きを止めた。
「ああ、もう! 質問ばかりしないで!」
顔を真っ赤にして本気で怒っているらしい。それが妙に愛らしくて、シグリドは思わず口元を緩めた。先程までの大人ぶった態度とは大違いだ。
「説明しても信じないだろうから……見ていて。でも、その首飾りは絶対に外さないでね。私が迷わずここに戻って来るための
意味が分からない、とでも言いたげに顔をしかめるシグリドをよそに、
刹那、少女の姿が、地下牢から忽然と消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます