Act.3-01

 ◆◇◆◇◆◇


 友人達と遊び回っていたら、いつの間にか陽がすっかり暮れていた。


 家に着いても両親はいない。

 親戚の叔母が急に倒れたらしく、朝早くから出かけてしまっていたのだ。

 その時、今日は帰って来られないだろう、とも言っていた。


 当然ながら、宏樹も仕事で帰りが遅い。


(今日はなに食お……)


 今晩の夕食のことを考えながら、家の前の門を開けようとした時だった。


 ちょうど朋也が帰って来た反対側から、紫織が俯き加減に歩いて来るのが目に付いた。


「紫織!」


 朋也が呼ぶと、紫織はハッとしたように顔を上げる。


 朋也は門から手を離し、紫織の元へと近付いた。

 同時に、彼女の表情にいつになく違和感を覚えた。


「――目、赤くないか?」


 すぐにその正体を見極めた朋也は訊ねた。


 紫織は何も答えない。

 その代わり、神妙な面持ちで再び俯いてしまった。

 そうだよ、と言わんばかりに。


「――大丈夫か?」


 もう一度訊ねると、今度はゆっくりと首を縦に振った。


(相当無理してんな)


 朋也は眉根を寄せながら紫織を見つめた。


「そんな顔で帰ったら、小母さん達を心配させちまうだけだ。――俺ンちに寄ってけ」


 そう言うと、朋也は紫織の腕をそっと掴んだ。


 いつもであれば、『気安く触んないで!』と怒るか、振り払うかのどちらかなのだが、泣き疲れてしまったのか、紫織は全く抵抗しなかった。


 それはそれで嬉しいのだが、半面で、調子が狂ってしまうというのも本音であった。


(けど、こんなチャンスは滅多にないだろうし)


 心の中で自分に言い聞かせると、腕を引いて紫織と共に家の中へ入った。


 ◆◇◆◇


 家族のいない室内は、どこも真っ暗で閑散としている。

 暖房も切られてから相当な時間が経過しているので、外と大差ないほど、冷たい空気が全身に襲いかかってきた。


 朋也は紫織をリビングへと通した。


 本当は自室へ連れて行こうとしたのだが、紫織はそれを無言で拒絶した。


(信用されてないんだな、俺って)


 朋也は自らを嘲るように小さく口の端を上げると、リビングの電気を点け、ファンヒーターの電源を入れた。


「コーヒーとココアがあるけど、どっちが飲みたい?」


 全ての作業を終えてから、朋也は紫織に訊いた。


 紫織は一呼吸置いたあと、消え入るような声で「――ココア」と返事した。


「了解」


 朋也は一度、キッチンへと引っ込んだ。

 ポットの中を確認すると、中に湯はあった。

 だが、ほとんど冷めかけていたので、それを全てヤカンに注ぎ込み、火にかけた。


 湯が沸騰するまでの間、マグカップをふたつ戸棚から取り出し、それぞれにコーヒーとココアの粉末をスプーンで入れる。

 そして、グラニュー糖の入った瓶と個別包装のミルクを用意して、先にリビングのテーブルへと持って行った。


 そのうち、ヤカンが、ピュー、と鳴き出した。

 湯が沸いたらしい。


 朋也は火を止めると、ガス台からヤカンを取り上げ、それぞれのカップに湯を注いでいった。


 湯気と共に立ち上る、苦みのある芳香と甘い匂い。

 それらを感じつつ、スプーンを掻き回しながら中の粉末を溶かしてゆく。


 完全に溶けきったのを確認してから、朋也はそれらをリビングに運び、コーヒーを手にしたまま、ココアは紫織の前に静かに置いた。


「お袋が作るのよりはイマイチだと思うけど、飲めないことはねえだろうから」


 そう断りを入れた朋也に対し、紫織は何も言葉を発しなかった。

 テーブルの中心に置いていたグラニュー糖とミルクに手を伸ばすと、それらをココアの中に入れ、カップの中に差し込まれていたスプーンで、ゆっくりと混ぜていた。


 朋也はそれを一通り見届けてから、自らはブラックのままでコーヒーを口にする。

 甘いものがそれほど得意ではない彼には、少し苦い方がちょうど良い。


(さて、どうしたもんか……)


 朋也は三分の一ほど飲んでから、カップをテーブルに置いた。


 紫織から話を聞きたいと思ってはいたが、どうやって切り出したら良いのか。

 というより、何を訊きたいのかすら分からない。


 朋也が考え込んでいる傍らで、紫織は黙々とココアを飲み続けている。

 その目はどこか虚ろで、まるで生気が感じられない。


 静まり返ったリビングには、ファンヒーターから出る温風と、壁にかけられた時計の針の音がやけに煩く響いている。

 あとは時おり、カップを動かした時、スプーンの擦れる音が聴こえるだけだった。


「――宏樹君、いつまで私の側にいてくれるんだろ……」


 今までほとんど口を開かなかった紫織が、不意に話し出した。


「ほんとは、宏樹君がいなくなってしまうことなんて考えたくもなかった。けど、宏樹君には他に好きな人がいるから、いつか近い将来、その人と一緒になってしまうかもしれないんだよね……。

 私、ほんとに馬鹿だ……。届かないっていうのはずっと分かっていたはずなのに、それでも、宏樹君の背中ばっかり追い駆けて……。

 私がこんなだから、朋也も、涼香も傷付けてしまっ……」


 全て言いきらぬうちに、紫織から嗚咽が漏れ出した。


 だが、今の紫織の言葉で、彼女が泣き腫らした目をしながら帰って来た理由がやっと理解出来た。


 紫織はひとりで思い詰めてしまったのだろう。

 どんなに願っても、手に入れることの出来ない宏樹の心、自分を一途に想い続ける朋也の気持ち。


 ただ、その中に、山辺涼香の名前が出てきたことだけは分かりかねたが。


(やっぱ、俺じゃダメなんだな……)


 俯き加減で涙を零し続ける紫織を見つめながら、朋也は複雑な心境であった。


 紫織が宏樹を好きなように、朋也も紫織しか見えていない。

 それは幼い頃からずっと変わらない。

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