Act.3-02
「――俺は別に、自分が不幸だなんてちっとも思ってねえよ」
静かな口調で朋也が言うと、紫織はピクリと小さく反応した。
朋也は続けた。
「確かに、紫織に応えてもらえないのは悔しいって思う。けど一番ムカつくのは、変に同情を寄せられることだ。だってそうだろ? どんなに同情されたって、結局は最後まで片想いで終わっちまうのは目に見えてんだから」
そこまで言うと、朋也はコーヒーに手を伸ばした。
口にしてみると、中はほとんど冷めている。
温くてあまり美味しくないと感じつつも、朋也は顔をしかめながら全部飲み干した。
「――ごめんなさい……」
鼻を啜りながら、紫織がポツリと謝罪した。
「同情してるつもりなんてなかったけど……。朋也にしてみたら、同情以上の何ものでもなかったんだね……。
涼香もきっと、朋也と同じことを考えてたかもしれない。――あとで、ちゃんと謝らないと……」
紫織はそう言うと、自分のバッグからハンカチを取り出し、それで涙を拭った。
朋也はしばらく紫織の様子を見つめてから、「いや」と首を振った。
「俺もちょっと言い過ぎた……。つい、感情的になってしまって……。悪い、紫織」
自らも謝罪を口にしてから、朋也は、俺も何やってんだか、と呆れた。
口先ではずいぶんと格好良いことを言ってしまったが、もし、宏樹と紫織が結ばれたらどうなるか。
数日前、母親から『ナカガワさんとかいう人から電話がかかってきた』と、宏樹に告げられたあとの彼の反応。
わずかではあったが、珍しく動揺していたのを朋也も見逃さなかった。
〈ナカガワさん〉と何かがあったのは確かだ。
しかし、宏樹は自分のことはあまり話さないし、何より、考えが全く読めない。
(彼女と別れていたら、紫織にもチャンスが回ってくるわけだし。兄貴も今は、紫織を〈妹〉として見ているけど、そのうち、気持ちが紫織に傾くことだって充分にあり得る……)
考えてゆくうちに、朋也の中でモヤモヤとした感情が広がっていった。
(兄貴に奪われるくらいなら、いっそのこと……)
そう思うや否や、朋也は紫織に近寄った。
紫織は、何事、と言わんばかりに目を大きく見開いて朋也を見つめる。
本当は、このまま抱きすくめてしまいたかった。
しかし、揺れる紫織の視線と出くわしたとたん、金縛りに遭ったように身動きがいっさい取れなくなった。
朋也は拳を握り締めた。
やはり、力ずくで紫織を手に入れたって心までは奪えない。
そう悟ったのだ。
(俺の方が、よっぽど最低じゃねえかよ!)
やり場のない怒りを、自分の膝の上にぶつけた。
「――朋也……?」
紫織が首を傾げながら、朋也の名を口にした。
真っ直ぐに注がれる澄んだ瞳。
見ているとやりきれない気持ちになる。
「――そろそろ、帰れよ……」
絞り出すように朋也は言い放った。
自分で誘っておきながら最低だよ、と思いつつ、しかし、これ以上紫織とふたりきりでいることに堪えられなくなっていた。
紫織はそんな朋也をどう思ったのだろう。
一瞬、怪訝そうにしていたが、やがて「分かった」と立ち上がった。
「それじゃあ、またね」
そう言い残すと、紫織はドアに向かってそれをゆっくりと開けた。
朋也は紫織を見送る気になれず、ただ、その場で俯き加減で座っている。
そのうち、玄関のドアが開かれる音が聴こえてきた。
建て付けが悪くなりかけているドアは耳障りな音を立て、ガタン、と閉じられた。
(ほんとに、行っちまったんだな……)
誰もいなくなった部屋は哀しくなるほど静まり返り、あまりにも広く感じる。
高校生にもなって、人恋しくなってしまうのは非常に滑稽だが、何故か今は、誰かが側にいてくれたら、と朋也は切実に思った。
「……ガキじゃねえよ、俺は……」
口にしたとたん、鼻の奥に、ツンとした痛みを覚えた。
朋也は一瞬、何が起こったのか分かりかねた。
しかし、すぐにその正体ははっきりとした。
自分の意識とは裏腹に、瞳から涙が溢れ出た。
それは、テーブルに止めどなく落ち、小さな水溜まりを作ってゆく。
朋也は涙を流しながら、ふと、最後に泣いたのはいつだったか、と考えた。
(こんな醜態、紫織にも兄貴にも見せられやしねえ)
零れ出る涙を手の平でせき止めると、朋也はボックスティッシュを手探りで探し当てた。
そして、その中から連続で三枚引き抜き、勢い良く鼻をかんだ。
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