Act.3
◆◇◆◇◆◇
放課後、人の疎らになった教室の中で、涼香は黙々と帰り支度を始めていた。
今日は委員会の集まりがあったので、待たせるのも悪いと思い、紫織は先に帰らせた。
その紫織は、ギリギリまで、涼香を待っている、と言い張っていたのだが。
(大人しそうなくせに、意外と頑固だからなあ)
通学カバンに教科書を詰め込みながら、涼香は微苦笑を浮かべる。
今朝、裏庭に出た涼香達は、一時間目の授業が終わってから教室に戻った。
案の定、教師にはあとで呼び出しを食らい、こってり絞られたが、紫織と心を開いて話を出来た喜びの方が大きかったため、説教も不思議と苦には感じなかった。
ただ、紫織は病み上がりだったこともあり、解放されてからは少々ぐったりしていたように見受けられた。
そればかりは、少し可哀想なことをしたかな、とさすがの涼香も反省した。
そんな経緯もあって、涼香は紫織に、とっとと帰って休みな、と言ったのである。
(説得力ゼロだけどね)
涼香は教科書を全て詰め終えると、椅子から立ち上がった。
と、その時であった。
静まり返った教室内に、勢い良く戸が開かれる音がした。
涼香はビクリと身体を反応させ、そちらを見た。
同時に、目を見開いたまま呆然としてしまった。
「あれ? 紫織は?」
戸を開いた主は、涼香と視線が合うなり訊ねてきた。
涼香は、一呼吸吐いて心を落ち着かせると、「帰ったよ」と相手に答えた。
「紫織に、何か用だったの?」
今度は逆に訊き返してみた。
「いや、別に用事、ってほどじゃないんだけど……。ただ、あいつ病み上がりだし、心配だから家まで送ってやろうかって思っただけで……」
正直な男だ、と涼香は思った。
彼――高沢朋也は、紫織が絡むと、これ以上にないほど面倒見が良くなるらしい。
幼なじみというよしみもあるだろうが、何より、紫織に想いを寄せているという理由が大きいと思う。
もちろん、本人から改めて訊いたことなんて一度もない。
この少年は紫織同様、顔や態度に出やすい体質なので嫌でも分かってしまうのだ。
ただ、肝心の紫織は朋也よりも、この兄に淡い恋心を抱いているというのだから報われない。
そして、涼香も然り。
目の前の少年に多くは望んでいない。
しかし、紫織から気持ちを聞いた時、ほんのわずかに期待を寄せてしまった。
(私らしくもない。ほんと馬鹿だわ)
そう思わずにはいられない。
「――山辺、さん?」
朋也が怪訝そうに涼香を呼んだ。
苗字とはいえ、朋也に固有名詞で呼ばれるのは初めてだったので、涼香の胸は急速に高鳴る。
「なに?」
朋也に動揺を悟られまいと、涼香は平静を装いながら訊ねた。
朋也は眉根を寄せながら、「いや」と続けた。
「何となく元気がなさそうに見えたから……。もしかして、具合でも悪いんじゃねえかな、って」
朋也の言葉に、涼香は目を瞠った。
まさか、自分の気持ちに勘付かれたか。
そう思ったが、どうやら違っていたというのが、朋也の次の台詞で明らかになった。
「山辺さんって、決して人当たりは悪くなさそうだけど、どこか他人を近寄らせない雰囲気があるっつうか……。まあ、俺はクラスが違うから何とも言えないけどさ。
けど、何となく、紫織といる時だけは違うんだよね。――現に今もちょっと怖い……、あ、わりい! つい口が……」
朋也は言いかけて、気まずそうに頭をポリポリと掻き出した。
『今もちょっと怖い』
その台詞に涼香はショックを受けるよりも、やっぱりそうか、と冷静に受け止めた。
素直な紫織に比べると、涼香は一癖も二癖もある。
それは涼香自身が一番自覚していた。
「――気にしなくていいよ、高沢君」
笑いを含みながら、涼香は言った。
「高沢君の言ってることは当たってるからね。紫織は……、一緒にいると安心出来る存在だから。本音を言えば、人付き合いなんてめんどくさくて嫌いだけど、あの子に限っては、そうゆうのはいっさいない。
これから、色んなことがあるかもしれないけど……、それでも、あの子とはずっと一緒にいたい、って思ってる」
言い終えてから、涼香はハッと我に返った。
お互い、さして親しい間柄ではないと言うのに、何故、こんなことを朋也に言ってしまったのか。
朋也を見ると、彼もまた、ポカンとして涼香を凝視している。
ふたりの間に、何とも言いがたい沈黙が流れた。
静まり返った教室からは、何の音も聴こえてこない。
ただ、耳鳴りだけが鬱陶しいほどに響いている。
「――あんたも、紫織をよく理解してるな」
不意に朋也が口を開いた。
「あいつは山辺さんの言う通り、ただそこにいるだけで周りをホッとさせてくれるんだよ。ただ、俺に対してはムカつくほど態度が悪いけどな。
でも、どんなに貶されても、あいつのことはどうしても嫌いになれない。――それどころか、あいつを見るたびに……、堪らなく苦しくなる……」
朋也はそこまで言うと、哀しげに笑みを浮かべた。
「――悪いな、いきなりこんな話をしちまって」
ばつが悪そうに謝罪する朋也に、涼香は「ううん」と首を横に振った。
「高沢君の気持ちは、私もなんとなく分かるから。――辛いよね。好きな人に見向きもしてもらえない、って……」
涼香は朋也に向けてより、自分に言い聞かせるつもりで口にしていた。
当然ながら、朋也は涼香の深意になど気付くはずもない。
ただ、「そうだな」とだけ答えていた。
「さてと! そろそろ帰ろっかな!」
朋也は自分の腕時計に視線を落としながら言った。
「それじゃあ俺行くわ。山辺さん、付き合わせて悪かったな」
「いいよ別に。私もそんなに急いでたわけじゃないから」
「そっか。――じゃあ、お先に」
「うん、さよなら」
朋也は涼香の挨拶を聞く前に、教室の戸を閉めてしまった。
再び、中には静けさが広まる。
涼香の身体から力がいっぺんに抜けた。
フラリと椅子に腰を下ろすと、そのまま机の上に突っ伏した。
自分の気持ちなんて気付いてもらえるはずがない。
多くは決して望めない。
分かっているはずなのに、この空虚感は一体何なのだろう。
ほんの一瞬でも、紫織と変われたらどんなに良いか。
そう思ってしまった自分にも嫌気が差す。
(どっちも欲しいなんて、わがままにもほどがある……)
涼香の瞳が、じわじわと滲んでゆくのが分かった。
泣きたくなんてないのに、そう思えば思うほど、涙は湧き出る泉のように留まるところを知らない。
(誰も、来ないでよ……)
涼香は小さく嗚咽を漏らしながら思った。
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