Act.2
学校へ着くと、外とは対照的な暖かさに加え、涼香の明るい笑顔に迎えられた。
「おおっ! 紫織おはよーっ!」
教室に入るなり、涼香は紫織に声高らかに挨拶し、さらには人目も憚らずに抱き着いてきた。
「あんた、風邪引いたんだって? もう、私、すっごく心配してたんだからねえ!」
抱き締めるのに加え、今度は頭をグシャグシャと撫で回す始末。
今朝の宏樹よりも遥かに乱暴だ。
「ちょっ……! 分かったから離して……!」
「何言ってんのよお? 今さら恥ずかしがる必要なんてないって!」
「違うって……! み、みんなが見てるでしょ……」
「んなもん気にしない!」
「気にするってばあ!」
さすがに紫織も強く突っ込みを入れた。
現に今、紫織と涼香はクラス中の晒し者になっている。
こいつら絶対ヤバいって、とクラスメイト達の目は言っている。
「りょ、涼香、せめて教室出ようよ。ね? ね?」
紫織が必死で訴えると、涼香は口の端を上げ
「仕方ないな」と、やっとで解放してくれた。
「じゃ、せっかくだからふたりっきりの時間を作ろうか?」
またしても誤解を招く言い方をする涼香。
紫織はガックリと項垂れた。
これにより、さらにクラスメイト達の好奇心を煽ったことは言うまでもない。
◆◇◆◇
教室を出て、涼香と共に来た場所は学校の裏庭だった。
そこは、雪が降ってから誰も足を踏み入れてないのか、氷の混ざったような白雪が積もったままになっている。
涼香はその中を、躊躇うことなく進んで行く。
「ほら、紫織も来な?」
涼香に促されたものの、そこの雪の量は膝ほどまでではないにしろ、ふくらはぎの辺りまであるのは一目瞭然だ。
もっとも、涼香が先に入ってしまったのだから、そんな基準は考えるまでもなかったが。
紫織が雪の前で迷っていると、涼香は再びこちらへ引き返して来て、紫織の手首を引いて、雪の中へ引っ張り込む。
「りょっ、涼香っ? 何すんのっ?」
抗議をするものの、涼香はそんなものは意に介した様子もなく、ニヤリと悪戯っ子のように笑んだ。
「病み上がりなのは分かってるけどさ、たまには雪まみれになってみるのも悪くないんじゃない?」
「は? なにわけ分かんないことを……」
「いいから! たまには私に付き合いなさい!」
「『たまには』って……。いっつも付き合ってるじゃん!」
「まあまあ」
もう、何を言っても無駄なようだ。
紫織は深い溜め息をひとつ吐くと、諦めて涼香に従い、雪を踏み締めた。
冬仕様のブーツを履いているとはいえ、それは、くるぶしより高めな程度なので、当然ながら、一歩を踏み出すごとに雪が靴の中へと入り込む。
紫織は刺すような冷たさと、濡れてゆく黒タイツの不快感に顔をしかめた。
一方、涼香の表情には変化が見られない。
(たまに、何考えてるのか分かんない時があるもんね)
そんな親友をまじまじと見つめながら、紫織は思った。
涼香は常に笑顔を絶やさない。
どんな時も悲愴感など微塵も出さず、明るく紫織に接してくれる。
だが時おり、涼香は何かを抑えているのではないか、と思ってしまうことがある。
どことなく、宏樹と同じ空気を纏っている。
そんな感じがどうしても否めない。
「涼香」
紫織は涼香の名前を呼んだ。
涼香は雪の中で立ち止まり、振り返って「なに?」と紫織を真っ直ぐに見つめてきた。
「なんか、私に言うことない?」
どう切り出していいか分からず、つい、喧嘩腰な訊ね方をしてしまった。
その時、涼香のポーカーフェイスがわずかに崩れた。
「――『なんか』って?」
あくまでもシラを切るつもりか、わざとらしく首を傾げながら訊き返してきた。
紫織は怯みかけたが、一度出てしまった言葉は取り消すことなど出来ない、と思い直して意を決した。
「涼香、私のことにはよく口出しするけど、自分のことは全然話さないよね? 私はそれが当たり前だと思っていたつもりだったけど、やっぱり、心のどこかではそれが引っかかってて……。
ねえ、どうして涼香は私に何も言ってくれないの? 私は信用出来ない? それとも、本当は私のこと……、嫌いなの……?」
「馬鹿言わないで!」
涼香は語気を荒らげた。その表情はいつになく険しさを増している。
「あんたのこと、嫌いなわけないでしょ。私はね、めんどくさいことは大っ嫌いなんだから、嫌だと思ったら最初っからあんたに近付こうなんて考えもしないよ!」
「じゃあ、なんで話してくれないの?」
「それは……」
紫織の再三の質問に涼香は口籠った。
避けるように視線を逸らし、忙しなく目をあちこちにさ迷わせている。
ふたりの間に静けさが流れてゆく。
その内に、校舎の方から始業を知らせるチャイムが鳴り響いたが、涼香は全く動く気配がない。
紫織は教室に戻らないと、と思いつつ、それ以上に涼香の反応の方が気になっていた。
「――私も、よく分かんないんだよ」
涼香がポツリと呟いた。
多分、この先に続きがあるはずだ。
紫織はそう思い、涼香の口から告げられるのを辛抱強く待った。
「最初はもちろん、何とも思ってなかった。クラスは違うし、話したことがあったとしても、本当に二言三言程度。――それなのに、しょっちゅうあんたの元を訪れて来るのを見かけるようになってからは……、何故か、その姿を追い続けるようになってて……」
そこまで言って、涼香は口を噤んだ。
しかし、紫織はそこで初めて気付いた。
涼香がずっと抱え続けていた想いを。
「――そうだったんだね……」
名前を出すのは憚られるだろうと思い、紫織はそれだけ言った。
涼香はわずかに目を瞠り、だが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「分かっちゃった……?」
「――うん」
「そっか……」
涼香は空いている方の手で自らのショートヘアを掻き上げると、そのまま冬空を仰いだ。
「自分でも馬鹿だって分かってる。〈一目惚れ〉なんて絶対にあり得ない、ってずっと思ってたんだからね。それなのに、抜け出せなくなるほどどっぷり浸かってしまっちゃってさ……。紫織も、アホだと思うでしょ?」
「そんなことないよ」
紫織は大きく首を振った。
「私は、人を好きになることが悪いなんて全然思わない。一目惚れだろうと何だろうと、誰かを想う気持ちはみんな一緒なんだから。――私だって、朋也だって……」
言いかけて、紫織はハッと口を閉ざした。
二日前、朋也に告白され、抱き締められたことが頭の中を掠めてゆく。
「――高沢と、何かあった?」
涼香が訊ねてきた。
どうして、と訊き返そうとすると、涼香は苦笑しながら、「ここに出てる」といつものように紫織の頬を突いてきた。
「いつも言ってるじゃない。紫織は思ったことがすぐに顔に出る、ってね」
「――そうだったね」
紫織も釣られて微苦笑を浮かべた。
もしかしたら、涼香を傷付けてしまうかもしれない。
だからと言って、隠しごとを出来るはずもないと思い、紫織は二日前の出来事を話した。
話している間、涼香は神妙な顔をしつつ、時おり、小さく頷いていた。
「――そっか」
話し終えると、涼香はそう呟いた。
紫織は不安を感じつつ、涼香を見つめる。
「ちょっと! そんな目で見ないでってば!」
いつもの調子で涼香が口を開いた。
「私はね、別に高沢とどうにかなりたいなんてちっとも考えちゃいないんだから! それ以前に、高沢には紫織以外は見えちゃいないでしょ? 私なんかが付け入る隙なんて全然ないんだしさ」
「――涼香……」
「ああもう! だからその辛気臭い顔はやめな! こっちまで気分が萎えちゃうわ!」
そう言うと、涼香は紫織を真っ直ぐに見据えた。
「紫織は、紫織の思うがままにすればいいんだよ。誰にも遠慮なんていらない。もちろん私にもね。
私はさ、自分の気持ちに素直な紫織が一番好きなんだよ。そういうとこ、私には全然ないからね。凄く羨ましいと思ってる」
涼香の言葉は、紫織にとって驚くことばかりであった。
紫織はむしろ、同性から見ても、綺麗で小ざっぱりした性格の涼香を羨ましく思っていたほどなのだ。
もちろん、そんなことは一度たりとも告げたことはない。
悔しい、という思いもどこかにあったのかもしれない。
「――私、そんなに出来た人間じゃないよ」
紫織が言うと、「馬鹿じゃないの」と一笑されてしまった。
「自分のことなんてね、案外、自分じゃ分かんないもんなんだって! 紫織のいいトコは、紫織よりも絶対に私が分かってるんだから!」
涼香の言葉に、紫織はなるほどと納得した。
「私だって、涼香のことは涼香以上に知ってるよ」
負けじと紫織も言い返した。
「涼香って、頭に〈馬鹿〉が付くほどお人好しだよね。オヤジ臭いことばっかり言いながら、実は凄く心配性。そして、自分よりも他人を最優先しちゃう」
紫織の思わぬ反撃に、涼香はポカンと口を開けていた。
紫織はそんな涼香の表情を見られたことに満足感を覚え、ニヤリと笑いかけた。
「――言ったな」
涼香が呟くと、紫織は「言ったよ」と返した。
「私だって、言う時は言うんだからね。油断大敵ー!」
「――ほんとだわ……」
涼香は降参だと言わんばかりに両手を挙げた。
「全くもう……。あんたはたまーに予想外のことをしてくれるんだから。――ま、だからこそ紫織と離れられないってのもあるんだけどね」
「それはこっちの台詞です!」
ふたりはしばしの間、視線を合わせる。すると、どちらからともなく小さな笑い声を漏らした。
「こりゃ、死ぬまで縁が切れそうにないわ!」
「死ぬって……。やめてよ! 縁起でもないったら!」
「だって、ほんとにそう思うもん」
「だからってね……。――もういいわ」
紫織は溜め息を吐くと、改めて涼香に視線を注いだ。
「では、これからも末永ーくお願いしましょう!」
「――なに? その上から目線は?」
「いいじゃんたまには。私だって一度くらい、涼香を振り回してみたいもん」
「なんじゃそりゃ……」
涼香はあからさまに呆れていたが、やがて、「やれやれ」と髪を掻き上げた。
「しょうがない。お願いされようではないか!」
涼香はそう言うと、両腕を組みながら、これでもかとばかりに胸を張って見せてきた。
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