Act.2

 外に出ると、中とは比べものにならないほど空気が痛い。

 天気予報では今日の最低気温がマイナス十度を切ったと告げていたらしい。

 それを母親から改めて聴かされた紫織は、さらに憂鬱が増した。


「おっ、来た来た!」


 隣の家に行くと、予告通り、朋也が庭の中で待っていた。


 寒さをものともせず、それどころかよけいにハイテンションになっている朋也と、その隣には、彼の兄の宏樹こうきの姿もある。


「紫織、おはよう」


 朋也とは対照的に、宏樹は穏やかな笑みを浮かべた。


「宏樹君、おはよう」


 紫織は宏樹に抱き着きたい衝動に駆られる。

 だが、すんでのところで思い留まり、その代わり、ニッコリと微笑み返した。


「寒いのに悪いな。朋也が、どうしても紫織も誘って雪遊びしたいって言い張るもんだから……」


「うーん……。確かに、ちょっと強引かなあ、とは思ったんだけどね」


「やっぱり」


 宏樹は微苦笑を浮かべると、肩を竦めて見せた。

 その様子から、宏樹も紫織同様、無理矢理外に連れ出されたのだろうと推測出来た。


 十歳も年の離れた弟には甘い彼だから、つい、わがままを聴いてしまったのだろう。

 せっかくの休みなのだし、本当は家の中でのんびりと過ごしたかっただろうに。


「で、これから何をするんだ?」


 雪ではしゃいでいる朋也に、宏樹が訊ねた。


「そうだなあ……。雪ダルマを作るとなると時間がかかるし、かまくらは、時間どうこうよりも、ここじゃあ場所が狭過ぎるし……。

 よし! 雪合戦はどうだ? これならすぐに出来るし、身体も温まって一石二鳥!」


「――なに言ってんの……?」


「なんだよ? 不満なのかよ?」


「当然でしょ! 雪合戦なんて……、雪が当たったら痛いもん。だから嫌!」


 紫織はプイと横を向いた。


 宏樹は何も言わず、ただ、先ほどと変わらずに苦笑いを浮かべているだけだった。


「んだよ、ふたりしてさ。人がせっかくよお……」


 朋也はブツクサとひとりで文句を言いながら、背中を向けてその場にしゃがみ込んだ。

 拗ねてしまったのだろうか。


 紫織はチラリと朋也に視線を向ける。

 心なしか、背中が淋しそうに見えてしまった。


「朋也……」


 紫織はゆっくりと朋也に近付こうとした。


 と、その時だった。



 パシンッ!



 朋也が立ち上がって振り返ったのと同時に、紫織のコートに雪玉がひとつ飛んできた。


 一瞬、何が起こったのか理解出来ず、そのまま呆然としていたら、今度は二発目が飛ばされた。

 それは、宏樹の肩に当たって砕けた。


「と、朋也……?」


 紫織の頬がヒクヒクと痙攣する。


 それを見て、朋也は、してやったり、と言わんばかりにニヤリと笑った。


「油断大敵ー!」


「……こー、のー、やー、ろーっ!」


 紫織が掴みかかろうとする前に、朋也はすでに家の敷地内から逃亡していた。


「もう!」


 悔しがって地団駄を踏む紫織の肩を、宏樹が小さく叩いた。


「紫織、反撃してやろう」


 宏樹はそう言って、いつの間に作っていたのか、雪玉をひとつ差し出してきた。


「そうだね! このまんまじゃ怒りが治まんないもん!」


 紫織は雪玉を受け取ると、朋也を追い駆けながら投げる。

 だが、それは標的に当たるどころか、距離が届かず途中で虚しく落ちてしまった。


「へっへーん! へったくそー!」


 離れた場所から、舌を出して紫織を挑発する朋也。


 怒りはさらに倍増した。


(悔しい悔しい悔しい……!)


 肩を怒らせ、両手の拳を強く握り締める。


 確かに、朋也の運動神経は遥かに高い。諦めるしかないかと思ったのだが。


「減らず口を叩けるのも今だけだと思うぞ!」


 紫織のすぐ横に宏樹が現れ、今度は彼が雪玉を投げる。


 それは紫織のとは比べ物にならないほどのスピードで飛んで行き、見事、朋也の背中にヒットした。


「なんで兄ちゃんが投げんだよっ? きったねえぞっ!」


「俺も紫織も別にルール違反なんてしてないぞ? お前にやられたから、やり返してやっただけだ!」


「――クッソオ!」


 朋也は立ち止まってその場にしゃがみ込むと、すぐ近くの雪を掴んだ。

 また、雪玉を作っているらしい。


(懲りないなあ……)


 そう思いつつ、紫織も宏樹も反撃用の雪玉をこさえている。


 気が付くと、朋也のペースにすっかりはまっていた。

 あんなに嫌だと思っていたのに、雪玉を投げ合っているうちに楽しくなり、身体も汗ばむほどになっていた。


 雪合戦は、しばらく続いた。


「――まさか、ここまで雪と戯れることになるとは……」


 紫織の隣で、宏樹がぽつりと呟く。


「そうだね。――結局、宏樹君も私も、朋也には敵わないってことなのかな?」


 紫織が訊ねると、宏樹は「そうだな」と目尻を下げながら肩を竦めた。


[プロローグ-End]

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