第34話IFは重要か
また「SFの話か」と思われるかもしれませんが。SFも含みますが、ほかの全般に言えることです。
さて、フィクションにおいては、どういうものであれ "IF" に相当するものやことがでてくると思います。カクヨムのジャンルを、また並べてみますね。
+ ファンタジー
+ SF
+ 恋愛・ラブコメ
+ 現代アクション
+ 現代ドラマ
+ ホラー
+ ミステリー
+ 歴史・時代
+ エッセイ・ノンフィクション
さすがにエッセイ・ノンフィクションは個別に見ないといけないでしょうけど。それ以外は、「もし、こうだったら」が存在しないと、話そのものがはじまらなかったりします。
たとえば、ミステリーで、「山荘に何人かが集まって、美味しい料理と温泉を堪能して帰った」とします。それ、ミステリーじゃないじゃん。
あるいは恋愛・ラブコメで、「そもそも恋愛やそれに近い状態に陥らない」とします。どうやって、それが恋愛・ラブコメになるんでしょう?
現代ドラマだって、「ある状況がはじまらなかった」ら、いったいなにを書くのでしょう? まぁ、日本文芸の自然主義なんかとも関係する私小説というものがありますから、「"IF" などなくても、『私の日常と心情』を書く」ということはあるかもしれません。それ、面白いかなぁ?
あ、私小説で思いだした。たまにね、退職するかたが、自伝のようなものを自費出版して配ったりします。あれ、無駄ですね。100万円とか捨ててるし、誰も読まないし、読まない割にゴミ箱に直行させるのは気まずかったり。まぁ、私は手渡してくれたそのかたの目の前でゴミ箱に放り投げますが。これってなんなんでしょうね。うがった見かたをすれば、日本文芸での「私小説崇拝」のようなものの影響なのかもしれません。単純に考えると、自費出版社の口車に乗せられただけでしょうけど。
まぁいいや。そうすると、エッセイ・ノンフィクションのある程度と、現代ドラマの一部の除くと、どういう形であれ "IF" が存在しているはずです。
そうすると、問題にはなるのは "IF" の類の質です。
うーん、質の話より量の話から入ったほうが簡単かな。
まず、"IF" の量はすくなければすくないほど望ましいです。"IF" に "IF" を重ねて世界を作るという方向もありますが、それってどうなのかなぁ。世の中には、いくつもの "IF" を重ねた、複雑に見える虚構をありがたがる傾向があるように思います。まぁ、質より量の世界ですね。でも、それってどうなんでしょう? つまるところ、質で突き抜けられないから量で補っているような。なにか違うかなという気がします。
まぁ、そう書いていると、こういう声が聞こえてきます:
そんなに簡単に質で突き抜けられたら苦労はない。
まぁ、そうですよね。でも、それは質で突き抜けられないことの理由にも言い訳にもならないいんじゃないでしょうか。いや、言い訳にはなるのか。
こうやって、質の話をしていると、別の声も聞こえてきます:
世界の豊かさを描くには量が必要だ。
まぁ、これもそうかなと思います。でも、こちらには聞きたいこともあります。というのは、「その世界の豊かさって、その作品に描かれてます?」ということです。
このあたりで「考証・設定(世界の構築)」が関係してきます。
また、質についても、ジャンルなんかによって基準は違いますが、「現実との違いは小さいほうがいい」です。というのも、現実からどれだけ外れてもいいという条件だと、誰でも何でも書けるし、だいたいは面白くもないものにしかならないからです。
というあたりをまとめると、「いかに小さい、かつすくない "IF" で、いかに大きな効果を出すか」が重要だろうと思います。あるいは言い換えるなら「どれだけ鋭い想像力で、問題を突くか」と言うほうが正確でしょう。
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