第32話モンタージュと視点移動(映画の技術)

 モンタージュとはソビエトの映画連が確立した、あるいはよく使ったという技法です。

 大雑把に言えば、あるシーンから別のシーンに移るとき、あるいはあるカットから別のカットに移るとき、前のシーンやカットの最後と次のシーンやカットの最初に、映像的に関連がある、似ている、あるいは意味として関連する、連想させるものを持ってくるといようなものと思えばいいでしょう。たとえば前のシーンが三角形ぽいもので終わるなら、次のシーンは三角形ぽいものからはじめるなどなどです。あるいは、サムライが刀を相手に向けて振り下ろしたら、次のカットでは動物が切られる、物が壊れるなどが入り、それからサムライが刀を鞘にもどす。などなどなどなど。単純ではありますが、シーンのつながりやシーンの間の関係を示すのに有効な方法です。現在の映画でもよく見られるので、ちょと注意してみてはどうかと思います。

 これは逆に、それを使わないことによってシーンの間に何らかの断絶があることを示したりもできます。

 また、映画においては30°以下の視点、つまりはカメラの移動であれば、むしろないほうがいいと言われているようです。細々した移動では、移動があってもそれに意味がない、あるいは意味があったとしてもその意味をつかみにくいということで。

 この2つは小説においてももっと活用されてもいいのではないかと思います。私が知らないだけかもしれないということは、ここではひとまず置いておくとし。

 文芸では一瞬一瞬はだいたい一文字ずつ、あるいは一単語ずつ見るので、このような視覚効果は使いにくいと考えるかもしれません。では、たとえばこういうのはどうでしょうか?


 第X章の終わり:

   Aさんは、富士山の脇から日が昇るのを見ていた。


 第X+1章の始まり:

   Bさんは、明るくなってくる富士山をみていた。


 これはあきらかな富士山というものを使っているのであまりいい例ではありません。

 これが富士山と閉じかけた傘とか、東京タワーとか、まぁほかのなんでも、関連しているようなものだと、そこのつながりがスムースに行きます。

 あるいは、こういう例を考えてみましょう。


   私は、ビルの窓からを眺めていた。

   カバンからとりだし、コースターにメモを書いた。


 ここではなにも書いていませんが、スカイツリーを見ていたこととボールペンになにかつながりがあるように読めるかもしれません。たとえば、メモしておこうと思ったことを思い出し、そしてボールペンを取り出したとかなんとか。


 モンタージュは映像の間、シーンやカットの間に意味をもたせようという技法です。映像として撮るのではなく、編集によって効果や意味を作り出す手法です。ならば、文章の構成、章の構成においても、それは活用できるのではないでしょうか。編集によって意味などを生み出すというとは、そのものは撮らず、つまり小説で言えばそのものは書かないという手法です。

 書いてしまうことの怖さや、水増しにやっきになっている様子、そういうのから、こういう方法もあるということで紹介しました。

 それは映像の話だとしてしまうならそれでかまいません。そうではないのかもしれないと思うのでしたら、試してみてください。


 なお、これに対して、映画ではワイプなどによって、時間の経過やあるいは別の場所での出来事であることを示すことがあります。

 これは便利なのですが、もろに視覚というか映像効果なので、小説には使いにくいかもしれません。

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