第21話構成(キャラクター)
先に「構成(プロップのファンクション)」を書いた。「プロップのファンクション」という言葉に馴染みがない人もいるだろう。まぁ、プロップは研究者の名前だ。問題となるのは「ファンクション」の方だろう。今回は、そっち関係のことを書く。
プロップが言う「ファンクション」とは、昔話に登場する人物の「役割」や「機能」のことだ。「機能」なのだから「ファンクション」。そのままだ。
だが、「構成(プロップのファンクション)」を読まれた方にとっては、「登場人物の機能」と言ってもわかりにくいかもしれない。プロップのファンクションを眺めたただけならそうなるかもしれないし、「構成(プロップのファンクション)」では概略だからなおさらだろう。
プロップは、昔話の登場人物の機能に注目して、研究をまとめた。言ってしまえば、それだけのことだ。詳しくは「昔話の形態学」(水声社だったかな)を読んでもらうのが手っ取り早い。なに、大したことはない本だ。
ここでは、そういう研究があったし、構造主義時代に発掘されたし、構造主義やそれ以降を牽引したし、まぁハリウッドでもなんとなく生き残っているということだけ知っていてくれればいい。
話においてキャラクターがまったく現れないというのは、例外の部類だろう。そこで問題になるのは、「どうやってキャラクターを作るのか」というところだろう。
投稿サイト界隈で見かけるのは、「キャラクターの特徴を書き出して」というようなものだろう。投稿サイト界隈だけではなく、もしかしたらあちこちの創作論でもそう書かれているのかもしれない。
そういうものに書かれているのは、「キャラクターを生きた人間として云々」ということかもしれない。もしそれを真に受けているなら、そこから間違っている。キャラクターはどのような意味においても生きていない。
twitterでのつぶやきなどの集積から、個人の一部であっても再現しようという試みがあることは知っているだろう。だが、話のキャラクターはその程度の意味としても生きていない。なぜなら、そのキャラクターを復元するのに必要なデータが、どうやっても足りないからだ。まず、これを認めよう。キャラクターは生きていない。
そもそも、キャラクターは何のために作られるのか。それは機能を果たすためだ。
では、その機能というのは何か。話を進めるための仕掛けだ。その仕掛けが果たす役割が機能だ。ただそれだけだ。
ここまで書くと、「キャラクターの人間らしさをどう思う云々」という声が聞こえてきそうだ。そんなものはどうでもいい。そもそも生きていないのに、人間らしさなど求めてどうしようというのか。
あるいはすこし柔らかくこう言おう。「人間らしさは、機能の後につけるものだ」と。機能を持たないなら、話にそもそも登場のしようがない。登場する必要もない。そして登場させてはならない。
もし、まずキャラクターの特徴や、キャラクターの相関図などを書いているという方がいたら、キャラクターを作る最初の一歩を間違っている。まぁ、そこから逆に機能にいたることもないとは言わないが。
話の概形を想定し、そこに必要な機能を想定し、その機能を果たすキャラクターを作る。そういう順番だ。
もちろんこれは、プロップのファンクションがすでにあるからこそ言えることだ。そしてプロップのファンクションはある。ならば、それを使わない手はない。
「魅力的なキャラクター」と評される作もある。さて、どこかで書いたことと似たことがここでもおこる。キャラクター以上に魅力的なものはその作にはないのか? 「ない」と書き手が答えるなら、とくになにか言うつもりはない。
だが、「作全体こそがキャラクターよりも魅力的であるはず」と思うにもかかわらず、「魅力的なキャラクター」と評されるなら、どこかで何かを間違っている。仮にキャラクターが実際に魅力的だったとしても、どこかでなにかを間違っている。あなたは「作全体」をこそ読んで欲しいのだろうからだ。
そして、プロップのファンクションや、キャラクターの機能というのがその答えではなかったとしても、答えの一部であろうし、答えへのヒントになるだろう。
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